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July 2016

July 29, 2016

言葉の裏側で幸福を祈った時代 松村由利子著「少年少女のための文学全集があったころ」

同じく福岡出身の歌人・作家の松村由利子さんから

新著「少年少女のための文学全集があったころ」を献本いただいた。

松村さんは、僕と同じく福岡のご出身。
とはいえ、僕は福岡のデトロイト 北九州で育ったので、福岡市ご出身の松村さんとは過ごした環境がまるで違う。

祖父は軍人、父親は自衛官という縦社会家庭の上に、母親不在の家庭だったので、極めてめんどくさい男所帯で育った。

加えて、筑豊を後ろに控える荒っぽい町で育ったので小学生の頃からケンカ三昧。

そんなこともあって、松村さんの作品を拝読すると、博多のお嬢さんと会話する機会を得て、どぎまぎするケンカっぱやい思春期の悪ガキに戻ったような錯覚を覚える。

それだけの環境の違いがあるのに、本書で触れられている松村さんの読書体験を共有しているのは驚きだ。

どちらかといえば、小学生の頃は、本を読まない子供だった。

何より読書感想文が嫌いで、小学生の時は夏休みの宿題に、有島武郎の「一房の葡萄」の後書きだけを読んで、原稿用紙10枚に膨らませたものを提出したことがある。

(余談だが、何を間違ったのか文部大臣賞みたいな賞に入選しそうになって、かなり慌てた)
そんな子供でも、一気に引き込まれる子供向けの作品が多数あった。

ジュール・ベルヌの海底二万里や、椋鳩十先生の作品群は、仮に私が物書きを仕事として選択しなくても、人生の背骨になった作品ではないかと思う。

インターネットが普及し、私たちは言葉を簡単に交わせるようになった。

簡単に言葉を交わせるようになったものの、私たちは本当に理解できることが増えたのだろうか。

手紙や書籍でしか、遠くにいる人に言葉を伝えることができなかった時代。

作家と呼ばれる人ではなくとも、多くの人は言葉を発する際に慎重になった。

私の親の世代は、手紙を出す際に「書中にて失礼いたします」という一文をよく付記していた。

「言葉をやりとりするなら、実際に会って話をするべきであることは重々承知しているが、やむを得ず出向いていけないので御容赦いただきたい。」

こういった意味だったと記憶している。それだけ言葉を放つことに慎重になる裏側で、祈りを込める人が多かったように思う。

今のように簡単に言葉をやりとりできない時代だったから、他の生活圏で暮らす人の苦況(すべての人生に訪れることも含めてね)を慮り、祈ることが当たり前のように行われていたように思う。

そして、おそらく一生出会うことがない人の幸福を祈ることも。
このことが文章に込められていたから、僕のような不勉強な子供も感じ入る作品があったのだと思う。

かつて子供だった私たちは、子供たちに何を祈り、託したいと考えるのだろうか。
松村さんの「少年少女のための文学全集があったころ」は、そういった意味でも、小学生くらいのお子さんがいらっしゃる方に、ぜひ一読をお勧めしたい作品だ。
時間を越えて文章に込められた他者の幸福を祈る力に触れれば、自ずとお子さんに伝えたいこと、託したいことは見つかるように思う。是非手に取っていただきたい。

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