« July 2011 | Main | October 2011 »

August 2011

August 09, 2011

長崎原爆忌

長崎に原爆が投下された日から、66年目の朝を迎えました。

毎年この日は、ブログに記事を綴っていますが、今年は忘れられない日になると思います。

昨年は、ノーベル平和賞受賞者サミットの取材のために広島を訪問しました。幸運にも、各国の方々と意見交換する機会を得ることができ、恒久平和への希望を感じることができました。
対立の時代が終わり、世界が確実に変わることを確信できた歓喜は、今も忘れられません。

その希望のともしびの前に立ちはだかった3月の東日本大震災。そして、福島第一原子力発電所の原子力災害。これらの災害は、まだ収束していません。

5月に、福島第一原発20キロ地点の取材に同行させていただく機会を得ました。
小さい頃から、広島・長崎で被爆された方たちを見て育った私としては、まだ言葉にできない光景や思いがあります。

福島第一原発20キロ地点で取材したことは、掘り下げて、かつ、長期にわたって記事にしたいと思います。

核については素人の域を出ない科学的知識しか持ち得ませんが、
少なくとも私たちに課せられた試練は、今後長い時間をかけてつきあっていかなければならない問題になるのは間違いなさそうですね。
関心を失わず、今できること。そして早急に対応しなければならないことについて考え、行動できればと思います。

さて、この記事の中では、第二次世界大戦に投下された原爆についてフォーカスを絞りたいと思います。

前述の通り、昨年、広島で行われたノーベル平和賞受賞者サミットを取材する機会を得ました。

その中で感じたのは、「戦争の史実や原爆の被害について、風化が進んでしまっているのだなあ」ということです。
観光客の方の中には、私より年配の方でも、原爆ドームを前に、ピースサインをして記念写真におさまる方がいらっしゃいました。

それが悪いこととは言いませんが、20年ほど前までは、原爆によって亡くなられた方の死を悼むことを求められるような、独特の空気があったように思います。

広島・長崎の原爆資料館も久しぶりに見学してみました。
諸外国の方やお子さんに配慮されているのか、原爆によって人が亡くなったということを直に感じられる資料は、少なくなっているように感じました。

広島の原爆にいたっては、捕虜収容所のアメリカ人兵士も犠牲になっています。

戦争に勝つために、自国民の兵士を犠牲にした事実や、国際法で禁じられていたはずの一般の方が犠牲となった事実は忘れてはならないことでしょう。また、なぜそのような残酷な史実が残ることになったのか、多角的に検証すべきだと考えます。

そのことによって、世界中に存在する軍事目的の核、民間利用の核の今後について、最良の解決方法が得られるのではないでしょうか。

以前の記事でも書かせていただいていますが、66年前の今日、長崎に投下された原爆の史実について触れておきましょう。

ちょうど66年前の今日、原爆を搭載した米軍のB29爆撃機「ボックス・カー」は、グアム島の近くにあるテアニンの基地を飛び立ち、僕が生まれた街・北九州の小倉に向かっていました。

奇しくも、66年前のこの日の小倉の空は、前日の八幡大空襲の煙のために、地上が確認できないほど曇っていたこと。

芦屋基地、築城基地などから離陸した迎撃機の攻撃を避けるため、急遽、攻撃目標が長崎に変更されたそうです。

広島に投下されたウラン235型原爆の2倍以上、TNT火薬22キロトン相当の破壊力があるといわれていたプルトニウム239型原爆・ファットマンは、

一瞬にして長崎の市街地を焼き尽くし、死者・負傷者14万人、消失面積6,702,300m2
全焼全壊計約12,900棟という被害をもたらしました。

また、爆発の際に放出された放射線の影響で、現在も後遺症と戦っている方が
たくさんいらっしゃいます。

NBC・長崎放送の記者として活躍された伊藤明彦さんは、ご自身の被爆体験を通して、
1971年より、全国を訪ね歩いてヒロシマ、ナガサキの被爆者の方284人の証言を、
音声ファイルに収めていらっしゃいます

被爆者の声 ヒロシマ・ナガサキ 私たちは忘れない
※クリックすると、音声ファイルを納めたホームページに
ジャンプします。ぜひ一度ご高覧ください

当時は、現在と社会環境が違った部分があったとはいえ、家族や地域社会の人たちと生きていくという「生活の本質」は、現在とさほど変わらなかったはずです。

様々な年齢、そして様々な社会的立場にあった方たちが述べられる66年前の生々しい体験は、この問題が決して過ぎ去った過去の危機ではないことを、伝えているように思います。

イエス・キリストが十字架にかけられ、磔刑の後、復活の奇跡を人々に示したように
原爆によって倒壊した浦上天主堂は復元され、美しい姿を見せています。

当時の面影は、やはり薄れてしまっているそうですが、焼け焦げたアンゼラスの鐘と聖母マリア像が、この街に住む方と訪れる人々に、人類の歴史を刻んだ一日を、今も静かに物語っているように見えます。

同時に
憎しみを捨て
赦しを与える寛大な心と強さを持つことで

神々しいまでの
満たされた生を手に入れられることを
強く 静かに
私たちに伝え続けているように
思います。

もし
8月6日の広島に雨が降っていたら
8月9日の小倉が晴れ渡っていたら

おそらく間違いなく小倉に
原爆が投下されたことでしょう。

そうしたら、私はまず生まれてくることが
できなかったでしょうし
当然こうやって文章を綴っていることもないはずです。

私たちは、ふだん意識することはありませんが
私たちの命は、私たちだけのものではありません。

次の世代の命を育むためのものでもあります。

今ある命を絶ってしまうことは、
これから先、生まれてくるかもしれない命を
絶ってしまうことでもあるのですね。

66年前のこの日、小倉に原爆が投下されなかったために
この世に生まれてくることができたのかもしれないと思うと
そのことを「幸運」とか「運命」いう言葉で語るには、
やるせない思いを感じずにはいられません。

このように原爆の問題は、
広島と長崎だけの問題では
ありませんでした。

戦争当時アメリカは、原爆の投下予定地として
複数の都市を
候補にしていました。

たとえば、首都圏有数の政令指定都市である横浜も原爆の投下予定地として有力視されていましたが、5・29の横浜大空襲のため、投下予定地から外されてしまったそうです。

最終的な投下目標が絞られた後も、米軍は、原爆投下に備えた訓練のために、

東京、静岡、茨城、福島、新潟、富山、愛知、京都、岐阜、滋賀、大阪、愛媛、徳島、山口
をはじめとした約50箇所に「パンプキン爆弾」という、原爆と同じ重さの通常火薬を積んだ
模擬原爆を投下しています。

http://www1.ocn.ne.jp/~susuma/bombing/509/509MSN.htm

大阪の東住吉には、模擬原爆が投下された記録を残すための碑が、現在も残っているそうです。

そのことを考えると、広島や長崎の方だけでなく、他の地域で生まれ育った方も、ひょっとすると、この問題に大きく関わりを持たなければいけなくなっていたかもしれませんね。

誤解のないように付記しておきますが、僕は、アメリカ政府が決定した原爆投下の加害を
責めるつもりはありません。

紙幅が足らないため詳細は割愛しますが、すでに60年以上の時間が経過していますし、

当時は、日本を含め、第二次世界大戦に参戦した全ての国が、必ずしも戦争を望む意見を述べている方ばかりではなかったからです。

また、戦争という極限の状態の中、当時、第二次世界大戦に参戦していたそれぞれの国にも、人としての理想を貫いて善行を行った人たちがたくさんいました。

アメリカをはじめとした当時の交戦国もそうですし、日本もそうです。

それなのに、戦争は止められず、あれだけの被害を生んでしまった。

それはなぜでしょうか?

この矛盾について考えなければ、私たちの住む世界は、また近い将来、同じことを繰り返してしまうのではないかと思うのです。

困難な中、他の方に愛情を注ぎ、人として生きる理想を貫いた人たちがいたことを忘れ
「加害と被害」という視点から過去の戦争を検証することは、過ちをののしり、新たな憎しみの連鎖を生むだけになってしまう可能性があります。

赦し、赦されるために。
そして、かつて交戦した国々の方たちと未来を作っていく最良の方法を模索するために。

そのような視点で、悲劇を生んだ歴史の事実を学ぶとしたら、あの戦争は、今を生きている人、そしてこれから生まれてくる人の命を守る尊い教訓になるのではないか、と思います。

第二次大戦のような「交戦」という状態の中でのみ、核の悲劇が起こるとは限りません。

チェルノブイリの事故や、今回の福島第一原発事故の問題は、まさにそうです。

交戦による核の悲劇、そして民間利用の核の悲劇の裏側には、資本主義経済が密接に結びついています。

核の問題の解決法は、誰かの犠牲や搾取の上に成り立つ、今のゆがんだ資本主義経済の実態を見つめることから始まると考えています。

ミヒャエル・エンデが、「経済学は愛の領域である」と唱えたように、
核問題の解決に避けて通ることのできない全ての人が豊かさを共有する経済を実現するには、

握った拳を開く勇気を持ち、
振り上げたこぶしを下ろすよう説得する忍耐を持ち、
一人残らず、手をつなぐこと

そして、私たちが同じぬくもりを持つ「にんげん」であることを確かめ
一人残らず理解できる丁寧な言葉で、
真摯に話し合わなければ、実現は難しいでしょう。

ですが、必ず実現はできると思います。

わずか20年前までは、世界の人達と話すことすらできませんでした。
それどころか、自分の生活の外の世界に「にんげん」がいることすらわからなかったのですから。

3.11に発生した東日本震災と福島第一原発の事故は、我々日本人にとって、かけがえのない人を失う苦しい出来事となりました。

ですが、私たちは、途方に暮れてしまいそうな厳しい試練を前に、しっかりと手をつないで乗り切ることを躊躇することなく選びました。

その姿は、世界に「なにか」を伝えはじめています。
私たちのその姿を知った、世界の人々が手をつなぎはじめています。

この世界にいる様々な国の人が、同じ「にんげん」として、
同じ目線におりて
私たち日本人の痛みに寄り添って
「手をつなごう」としてくれているではありませんか。

必ず、この試練は乗り越えられますし、世界は変わっていくと信じています。

まず、福島第一原発の早急な収束を祈りましょう。
そして、つないだ手をしっかり握りあう勇気を持ち、試練を乗り越え、先に述べた安全と平和を築ける日を一日もはやく見ることを。

まず、今日は、

広島、長崎の原爆、
そして第二次世界大戦の本土空襲で亡くなられた民間の方、
ならびに戦闘行為によって尊い命を落とされた
日本の兵士の方々、当時の交戦国の兵士の方々、
民間の方々

今もこの世界のどこかで続く紛争で亡くなられる方

そして、東日本震災で亡くなられた方
お一人お一人に、慎んで哀悼の意を表したいと思います。
 

※「被爆者の声」ホームページの管理者様には

リンク許可について、ご好意をいただいたことを
心より感謝いたします。

また、長崎の原爆をモチーフにした拙著児童向け小説「ぼくたちの空とポポの木」について、挿画の協力をいただいたイラストレーターの渡邉美奈子様、出版に尽力していただいた有限会社「眺」様、書評をいただいた児童文学作家の ながたみかこ様

そして、拙著を手にとってくださって、他の方に一読をお勧めいただいた読者の皆様に感謝いたします。

ウェブ上で、無料で立ち読みができますので、機会がありましたらぜひご高覧ください

Machi_00031_7 ぼくたちの空とポポの木
理想書店

クリックすると、理想書店さんのページに移動します


| | Comments (0) | TrackBack (0)

August 08, 2011

Sony Readers Storeでも「さぼちゃんのおぼうし」販売開始

先日、上梓させていただいた電子絵本「さぼちゃんのおぼうし」ですが、

Sony の電子書籍閲覧機器 Readerでも、ご覧いただけるようになりました。

Sonyの 電子書籍リーダーReader をお持ちの方は、ぜひ こちらをご覧くださいね

| | TrackBack (0)

« July 2011 | Main | October 2011 »