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August 2010

August 30, 2010

読書日記 声を限りに蝉が哭く 永遠のゼロ

いよいよ明日で8月も終わり。それにしても暑いね。
長期予報では、10月まで暑さが続く地方もあるんだとか。

今年の夏は、いろんな人と会う機会が多い夏でしたねえ。
この数年体調めろめろで、なにをするのも息苦しい状態だった私にとっては、いろんなことが回復したんだなあ、とつくづく感じる夏でした。ありがたいことです。

3月から普天間基地に取材に出かけて、基地で働くアメリカ籍の方や、反対運動を行っている方などから、メディアが触れない問題について、色々と話をうかがうことができました。

また、終戦記念日は、とあるシンポジウムで、諸外国の方を交えて、第二次世界大戦の問題について、意見交換しました。

特に、ライフワークとして考えているわけでもないのですけどね。
原爆に関する作品を上梓していることや、僕が子供の頃、直に聞いた戦争の話が、生きた言葉ではなくなりつつあるのを見るにつけ、そういった方の話を文章にする機会が増えたような気がします。

その中で、僕が特に心配しているのは、第二次世界大戦について、日本がいまだに、「加害」か「被害」の側面からしか、論じることができないことです。

僕が学生だった時代からそうだけど、学校の授業の中で、明治以降の近代史について、ほとんど教えられることがありませんでした。ちょうど受験に重なる時期で、カットとかね。

その結果、戦時中の蛮行だけを強く論じるものの、その影で犠牲になった人たちに、人としての感情を寄せない人が増えたような気がします。

また、同時に、戦争についての日本の正当性だけを都合よく解釈・主張する人が増えました。

僕個人としては、どちらの方にも全面的なシンパシーを感じません。

そもそも、日本が中国に進出する前、当時の政府と軍部は、反対意見を述べていました。

現在も残る大手2社の新聞(あえて名前は伏せます)が行った世論誘導が、戦争の引き金を引いたのは紛れもない事実です。しかしながら、戦後一貫して、自分たちの世論誘導の責任については告解せず、軍部の蛮行などを批判し続けている。

これでは、またいつか、同じような問題を繰り返しそうですね。

残念ながら、現在に至るまで、戦争に関する正負の問題は、事実が明らかにされてはいません。不安定な世の中になってきたことを憂うなら、過去の歴史を多角的に知る必要があるでしょう。

同時に、ひとりの人として、あの戦争を見つめた人たちの意見にも真摯に耳を傾ける必要があるとも思います。なぜなら、人間は、家族や社会の中で「立場」を守った意見しか述べられないのが通例だから。

事実を正確に知ることは大事ですが、その裏側にどのような問題があったのか考察することがなければ、誰もが望む平和は構築できないと思います。

色々な本を読みましたが、今年出された本の中で、貴重だと思う2冊を

中津さんの「声を限りに蝉が哭く」

中津さんは、戦前のウラジオストック(現ロシア共和国)に居留して、ソビエトと日本の関係が怪しくなってきたのを見かねて、日本に帰国された方です。
(中津さんがウラジオストックから帰国した後と、ソビエト連邦は昭和20年8月6日に満州に侵攻し、多数の日本人犠牲者を出した)

当時のロシアでの生活についての記述も興味深いけど、外交関係の仕事をしていた中津さんのお父様が、帰国を許されず、一人残り、満州経由で日本に奇跡的に帰国したことなどの記録は、極めて貴重な記録だと思います。
(前述のとおり、ソビエトは、満州に侵攻したため、満州経由で日本に帰国するには、生命の危険が伴った)

また、中津さんの実兄に当たる方が、海軍飛行兵として徴用され、特攻を命じられた後の経緯については、運命のいたずらを感じざるをえません。

中津さんの実兄は、特攻兵器「桜花」(と思われる記述があります。桜花は、操縦士ごと敵艦に体当たりするロケット兵器 兵士には厳しい緘口令がしかれていたため、戦後もあまり存在を知られることがなかった)への搭乗を命じられた方です。

幸運にも、出撃前に、終戦を迎えたため、基地司令官のはからいで自宅に帰ることになる。中津さんが実兄から伝聞した形で書かれているが、東北から歩いて九州まで帰ってきたという話には、時代の重さを感じますね。

日本がどのように戦争に突入して、悲惨な時代を経過するに至ったのかについて、市民の視点から触れられている点では、非常に貴重な本だと思います。関心のある方は、是非ご覧いただきたいですね。

もう一冊興味深いと感じたのは、百田尚樹さんの永遠のゼロ

小説作品なので、説明にマスクをかけるけど、主人公は零式艦上戦闘機(いわゆるゼロ戦)のパイロットだった祖父の孫二人。

ジャーナリストの姉の企画を手伝う中で、祖父が、当時の軍人とは対照的に、戦闘で死亡するよりも、生きることに固執していたことを知る。その祖父が、なぜか特攻に志願して死亡してしまった事実を追うことから、横軸になるストーリーが展開していく。

孫たちが探し当てた、祖父を知る零戦のパイロットたちが当時のことを語る中で、日本が戦争に傾倒していく様子や、交戦した相手もまた人間であること、家族や地域社会で暮らすごく普通の生活を説く姿は、心にしみる言葉が多いですね。

日本がどのようにして、あの悲惨な戦争を選択してしまったのか
そしてそのような時代を二度と繰り返さないためには、何が必要か、この二冊からそれぞれ見えてくるものがあるのではないでしょうか。併せてご高覧をお勧めします。

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August 15, 2010

65年目の終戦記念日

終戦の 詔(みことのり)繰り返すけふの午後 消される命 今もありけり

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August 09, 2010

明日発売の扶桑社 SPA!さんで

明日発売の扶桑社さんの週刊SPA!(8月17・24合併号)で、
耳より特選情報35 http://spa.fusosha.co.jp/next/ 

「コストパフォーマンスの高い外食はこれを選べ」という記事を寄稿させていただいています。外食時の裏技満載。「回転すしではこのネタを選べ」「ホテルの食事をコンビニ価格でゲット」などなど、お財布に優しく、ゴージャスな食事を楽しむ仰天裏技満載。ぜひご高覧ください

実は自炊が節約になるとは限らないんですよね。逆に言うと、外食が、必ずしもお金の無駄遣いになると限りません。

ご自分のライフスタイルによって、外食と自炊をうまく組み合わせることで、おいしい食事を楽しみながら、ずいぶん節約できます。
拙著では年間30万円食費を節約できるノウハウを提示させていただいていますが、、納得いただけることと思います。

さて、ここで あからさまなCM

経済通の方からも評価をいただいていますので、食費の節約を考える方は、ぜひご購入くださいまし。(きっとだぞ)

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長崎原爆忌 11時2分の運命

65年目の長崎原爆忌を迎えました。

いつもの通り僕は、原稿を書きながら過ごしていますが、今日の関東地方は、うって変わって雨になりました。
以前、このブログで、
長崎に投下された原爆が、福岡の小倉に投下される予定だったこと。
僕の父が、小倉にいたこと。
前日からの空襲の残煙で空が曇っていたため、急遽攻撃目標が長崎に変更されたことをお話しました。

もし、65年前の今日、空が晴れ渡っていて、予定通り小倉に原爆が投下されていたら、僕はここにいないわけですね。

今ある命を絶ってしまうことは、未来に生まれてくる人の命も絶ってしまうわけです。

あの東京大空襲をはじめとした日本中の空襲や、広島長崎の原爆、沖縄の地上戦、そして、戦闘で命を落とされた兵士の方や、戦争の犠牲になった海外の方の命よりも、もっともっとたくさんの命を戦争が奪ってしまったことを、とても身近に、悲しく感じます。

残念ですが、あれから世界のどこかで、戦争はずっと続いていて、今ある命と未来に生まれてくる命が消され続けています。

経済が政治を凌駕する時代になり、見たことも聞いたこともない海外の戦争が、私たちの生活に跳ね返ってくることは容易に想像できる時代になってしまいました。

そういったことを身近な危機感として、他の人の苦しみを自分の痛みと感じ取ることができれば、今わたしたちが住む世界は、もっと暮らしやすくなるのではないかと思います。

もう一度読みたいというリクエストをいただきましたので、(ネットで検索できるはずなのですが?)4年前の原爆忌に書いた日記を再掲載します。

九州が舞台になった原爆を題材にした拙著 児童向け小説「ぼくたちの空とポポの木」のテーマである長崎の原爆投下の日から、61年目の朝を迎えました。

僕が住む関東地方は、台風の大雨と、
厚い雲が空を覆ってしまっていて何も見えません。
61年前の運命の日も、こんなお天気だったのでしょうか。

ちょうど61年前のこの日、原爆を搭載した米軍のB29爆撃機
「ボックス・カー」は、グアム島の近くにあるテアニンの基地を
飛び立ち、僕が生まれた街・北九州の小倉に向かっていました。

奇しくも、61年前のこの日の小倉の空は
前日の八幡大空襲の煙のために
地上が確認できないほど曇っていたため、
急遽、攻撃目標が長崎に変更されたそうです。

広島に投下されたウラン235型原爆の2倍以上、
TNT火薬22キロトン相当の破壊力があるといわれていた
プルトニウム239型原爆・ファットマンは、

一瞬にして長崎の市街地を焼き尽くし、
死者・負傷者14万人、消失面積6,702,300m2
全焼全壊計約12,900棟という被害をもたらしました。

また、爆発の際に放出された放射線の影響で、
現在も後遺症と戦っている方が
たくさんいらっしゃいます。

NBC・長崎放送の記者として活躍された伊藤明彦さんは
ご自身の被爆体験を通して、
1971年より、全国を訪ね歩いて
ヒロシマ、ナガサキの被爆者の方284人の証言を、
音声ファイルに収めていらっしゃいます

被爆者の声 ヒロシマ・ナガサキ 私たちは忘れない
※クリックすると、音声ファイルを納めたホームページに
ジャンプします。ぜひ一度ご高覧ください

当時は、現在と社会環境が違った部分があったとはいえ、
家族や地域社会の人たちと生きていく「生活」の本質は
現在と変わらなかったはずです。

様々な年齢、そして様々な社会的立場にあった方たちが
述べられる61年前の生々しい体験は、この問題が
決して過ぎ去った過去の危機ではないことを
伝えているように思います。

同時に、経済が一国の政治の力すら凌駕する
する力を持ち始めた現在の社会に住む私たちは、
この問題が、私たち日本人だけの問題ではなく
今も続いている危機であるということを伝えていかなければ
ならないように思います。

61年前の長崎の街を、私は見たことがありません。

訪れた人を暖かく迎えている
異国情緒の街・長崎のシンボルともいえる
浦上天主堂は

暖かく澄み切った荘厳な空気の中、
静かに人々をみつめているかの
ように見えますが

原爆投下によって倒壊し、
再建された時期があったのですね。

残念なことに
イエス・キリストに導かれ
洗礼を受けたクリスチャンであった大統領の命によって
浦上天主堂は、

同じ神を信じた多くの尊い命とともに、
天へ帰ることとなってしまったのでした。

イエス・キリストが十字架にかけられ
磔刑の後、復活の奇跡を人々に示したように
浦上天主堂は、今は復活した美しい姿を見せています。

当時の面影は、やはり薄れてしまっているそうですが
焼け焦げたアンゼラスの鐘と聖母マリア像が

この街に住む方と訪れる人々に
人類の歴史を刻んだ一日を
今も静かに物語っているように見えます。

同時に
憎しみを捨て
赦しを与える寛大な心と強さを持つことで

神々しいまでの
満たされた生を手に入れられることを
強く 静かに
私たちに伝え続けているように
思います。

もし
8月6日の広島に雨が降っていたら
8月9日の小倉が晴れ渡っていたら

おそらく間違いなく小倉に
原爆が投下されたことでしょう。

そうしたら、私はまず生まれてくることが
できなかったでしょうし
当然こうやって文章を綴っていることもないはずです。

私たちは、ふだん意識することはありませんが
私たちの命は、私たちだけのものではありません。

次の世代の命を育むためのものでもあります。

今ある命を絶ってしまうことは、
これから先、生まれてくるかもしれない命を
絶ってしまうことでもあるのですね。

61年前の運命の日、小倉に原爆が投下されなかったために
この世に生まれてくることができたのかもしれないと思うと
そのことを「幸運」とか「運命」いう言葉で語るには、
やるせない思いを感じずにはいられません。

このように原爆の問題は、
広島と長崎だけの問題では
ありませんでした。

戦争当時アメリカは、原爆の投下予定地として
複数の都市を
候補にしていました。

たとえば、首都圏有数の政令指定都市である横浜も
原爆の投下予定地として有力視されていましたが
5・29の横浜大空襲のため、投下予定地から
外されてしまったそうです。

最終的な投下目標が絞られた後も
米軍は、原爆投下に備えた訓練のために、

東京、静岡、茨城、福島、新潟、富山、愛知、
京都、岐阜、滋賀、大阪、愛媛、徳島、山口
をはじめとした約50箇所に
「パンプキン爆弾」という
原爆と同じ重さの通常火薬を積んだ
模擬原爆を投下しています。

http://www1.ocn.ne.jp/~susuma/bombing/509/509MSN.htm

大阪の東住吉には、模擬原爆が投下された
記録を残すための碑が
現在も残っているそうです。

そのことを考えると、広島や長崎の方だけでなく、
他の地域で生まれ育った方も、ひょっとすると、
この問題に大きく関わりを持たなければ
いけなくなっていたかも
しれませんね。

誤解のないように付記しておきますが、
僕は、アメリカ政府が決定した原爆投下の加害を
責めるつもりはありません。

紙幅が足らないため詳細は割愛しますが
すでに60年以上の時間が経過していますし

当時は、日本を含め、
第二次世界大戦に参戦した全ての国が
必ずしも戦争を望む意見を述べている方ばかりでは
なかったからです。

また、戦争という極限の状態の中、
当時、第二次世界大戦に参戦していたそれぞれの国にも
人としての理想を貫いて善行を行った
人たちがたくさんいました。

アメリカをはじめとした当時の交戦国もそうですし、
日本もそうです。

それなのに、戦争は止められず
あれだけの被害を生んでしまった。

それはなぜでしょうか?

この矛盾について考えなければ
私たちの住む世界は、また近い将来、同じことを
繰り返してしまうのではないかと思うのです


困難な中、他の方に愛情を注ぎ、
人として生きる理想を貫いた人たちがいたことを忘れ
「加害と被害」という視点から過去の戦争を
検証することは、

過ちをののしり
新たな憎しみの連鎖を生むだけに
なってしまう可能性があります。

赦し、赦されるために

そして、かつて交戦した国々の方たちと
未来を作っていく最良の方法を模索するために

なぜあのような悲劇を生んでしまったのか
歴史の事実を学ぶとしたら、
あの戦争は、

今を生きている人
そしてこれから生まれてくる人の
命を守る尊い教訓になるのではないか、と思います。

ぜひ、そうあってほしいですね。

ご存知のように、国際情勢が悪化する中、
進歩した科学技術のおかげで、
自国にいながら
他国に核兵器を到達させることのできる
ミサイル技術が完成しています。

このことから分かるように、核や平和維持の問題は、
対岸の火事ではなく、私たち一人一人の生活に直結した
問題なのですね。

戦争や核の問題を考えることは、
ほかの誰のことでもなく
自分の生活を守ることでもあると思うのです。

それは、同時に他の国で生きている人
そしてこれから生まれてくる世界中の
人の命を考えることでも
あるはずです。

そんなことを考える余裕なんてない
日々の生活のことで精一杯なんだ
仕方ないじゃないか。

他人様や
見たことも聞いたこともない外国のことなんて
考える余裕なんてないんだ。
仕方ないじゃないか。

世の中の流れが芳しくありませんから
きっと、そう考える方も多いと思います。

生活していくことは、とても大変なことで、
自分の周囲のことで手一杯というのが
現状ということも珍しくありませんから
無理からぬご意見だと思います。


ですが、私たちの生活は、
経済の発達によって否応なしに、
世界の動きと連動する時代になっています。

その動きが、私たち一人一人の生活に
リアルタイムに
直接影響を与える時代になっているのです。

何気なく見過ごしてしまいがちですが、
ちょっと観察してみてください。

たとえば夕食のお買い物にでかけるスーパー

食料品やティッシュが値上がりしていませんか?
夏が旬で、値段がうんと安くなるはずの野菜が
異常なくらい高くなっていませんか?

その理由を全て説明する
紙幅はありませんので割愛しますが、
大きな原因の一つは

食料品を包装したり製造するための材料になる石油が
他国の戦争で値上がりしているからです。

このように、
聞いたこともない遠い遠い国で起きた出来事のせいで
私たちの明日からの生活が変わってしまうことが
いつ起きてもおかしくない時代になってるのですね。

世界の平和を考えることは
私たち一人一人が自分の生活を守ることでもあるのです。

何も難しいことを考えることはないと思うのです。

私たち一人一人の生活が世界と密接につながっている以上
自分の生活圏の中で見える何かを考えることで、
この世界が変わっていくと思うのです。

「戦争」という国家規模の巨大な問題も
要はこの世界で暮らす
私たち人間一人一人の生活から生まれてくる
問題なのですから。

なにより一番恐ろしく危険なのは、
他者に関心を持たないことなのですね。

自分や自分の大切な人が
真に安全に暮らしていけるためには
どうしたらいいのか。

この国に暮らす一人一人の人が、この問題の
真の解決方法を模索し
他の意見を持つ方たちと論議して最良の方法を
考えることで、

核を含めた平和の問題や、
不安定な世界は、大きく変わっていくのではないか、
と私は考えています。

広島、長崎の原爆、
そして第二次世界大戦の本土空襲で亡くなられた民間の方、
ならびに戦闘行為によって尊い命を落とされた
日本の兵士の方々、当時の交戦国の兵士の方々、
そして民間の方々に慎んで
哀悼の意を表します。
 

身はたとい
核の業火に焼くるとも
永遠(とわ)に轟(とどろ)け
アンゼラスの鐘

 

正義の名の元に
多くの方の命が奪われることが
もう二度とないように

そして、神の心を宿した人たちが
一刻も早く、尊い命を奪い合う争いをやめてくれることを
心から願ってやみません。

MAY GOD BLESS YOU ALWAYS

2006 8・9 松沢直樹

※「被爆者の声」ホームページの管理者様には
リンク許可について、ご好意をいただいたことを
心より感謝いたします。

また、長崎の原爆をモチーフにした拙著児童向け小説「ぼくたちの空とポポの木」について、挿画の協力をいただいたイラストレーターの渡邉美奈子様、出版に尽力していただいた有限会社「眺」様、書評をいただいた児童文学作家の ながたみかこ様

そして、拙著を手にとってくださって、他の方に一読をお勧めいただいた読者の皆様に感謝いたします。

ウェブ上で、無料で立ち読みができますので、機会がありましたらぜひご高覧ください

Machi_00031_7 ぼくたちの空とポポの木
理想書店

クリックすると、理想書店さんのページに移動します

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August 06, 2010

広島原爆忌

今年の広島原爆忌は、暑い朝になりました。
原爆が投下された時刻に一分間の黙祷を捧げました。
原爆が生み出した熱線がどれほどの熱さだったか想像することもできませんが、あの朝、国籍を問わず、尊い命を落とされた十万を超える方々のご冥福を、慎んでお祈りいたします。

また、戦争に荷担しなければならなかったために、良心の呵責に苦しみ続ける方々に赦しと救いがありますように。

科学が、エデンの園に生まれた住人の良心を確かめるために神が与えられたものとしたら、どのような時代が来ても、全ての人の幸福のためだけに用いられますように。Amen

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August 03, 2010

大阪へ

とびとびのブログになってますがご勘弁

ツイッターのほうは、適宜つぶやいてますので、よかったらご覧ください。

今日から明日いっぱい、取材で大阪まで行ってまいります。(その間も単行本の原稿書いたり、色々やってるかと思いますが)

最近は、屋外でもネットがつながる場所が増えたので、時間が空いたらブログの更新やりたいと思います。

話は飛びますが、猛暑が続いているので、ぜひともみなさんご自愛くださいね

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