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June 2010

June 28, 2010

ipad版 「ぼくたちの空とポポの木」発売になりました

4年前にパソコン向け電子書籍として発売された、原爆をテーマにした児童文学「ぼくたちの空とポポの木」が、Appleのipadでも読めるようになりました。

パソコン向け作品として発売した際は、児童文学作品としては異例の4週連続発売1位を獲得した作品ですので、多くの方に届くのが楽しみです。

実際にipadで読んでみましたが、とても読みやすい。しかも、紙の本よりも挿画が美しい!! これは楽しいですね・

おひるねの時に横になりながら、お子さんと一緒に読めますので、ぜひご高覧ください。

●作品紹介より

オイルショックの余波を受ける、昭和五十年の北九州・小倉。
小学三年生の靖洋(やすひろ)は、誤解が元で、親友の博史とけんかしてしまったまま、夏休みを迎えていた。
二学期になると、博史やクラスの大半の児童が転校してしまうことを知った靖洋に、クラス担任の横川ひろえは、分け合って食べると、仲直りができて、いつまでも友達でいられるという「ポポの実」の話を伝える。
横川のはからいで友情を回復した二人は、全国に散ってしまうクラスメイト全員が、いつまでも友達でいられるように、八月九日の登校日に、原っぱに生えたポポの実を分け合って食べようと提案する。
だが、約束の日に、横川は学校に出てこなかった。
不安にさわぐ児童たちが知ったのは、横川が、かつて長崎に投下された原爆のために白血病を患っており、病状が悪化して入院したという事実だった。
史実では語られない原爆の投下目標だった街「北九州・小倉」を舞台に、新たな視点で戦争の矛盾と命の尊さ、人のつながりの暖かさを描いた物語。
●発売ページ

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June 23, 2010

6月23日 沖縄慰霊の日

以前、同じ日にこのブログに掲載した記事を再掲載します。
争いが加速する世界に、救いがあらんことを。

過去の歴史を教訓として見つめる神の心を宿した多くの市民が、一人でも多くの人に手を差し伸べて、災厄から多くの人を守れますように。

3月10日
8月6日
8月9日
8月15日

これらの日が、何の日なのか、知らない人が増えたそうだ。
だとしたら、6月23日が何の日なのか、知らない人も多いだろう。

6月23日は、沖縄慰霊の日である。

太平洋戦争中、米軍の上陸作戦によって、沖縄は日本で唯一、民間人を巻き込んだ地上戦を経験することになった。

1945年4月1日より始まった米軍の沖縄上陸作戦は、旧日本軍沖縄防衛第32軍司令官牛島満の自決によって、組織的な戦闘終了を迎えた。
それが、6月23日である。

太平洋戦争末期、戦力を急速に失った日本軍は、米軍の沖縄上陸を阻止するために、神風特攻隊による空母撃沈作戦などで決死の抵抗を試みる。だが、圧倒的な物量を誇る米軍の前に屈することとなる。

嘉手納に上陸を開始した米軍は、半径700メートル以内の建物が破壊される威力の砲弾を海上から集中的に浴びせ(鉄の嵐と呼ばれる)、日本軍との戦闘の中で、民間人を巻き込んだ膨大な犠牲者をもたらした。

米軍との戦闘の巻き添えになった方は、約20万人とも言われ、県民の4人に1人が亡くなったといわれる。(あまりにも激しい戦闘だったため、正確な数字は定かではないらしい)

戦闘に巻き込まれて亡くなった人ばかりではない。

投降して米軍の捕虜になろうとするとスパイとみなされ、日本軍兵士に殺害されるおそれがあると考えたり、よしんば米軍捕虜になっても殺害される恐れがあると考えた人たちも多かった。

そのため、沖縄本島や慶良間諸島では、ガマ(天然の洞窟)に非難した人たちが集団自殺を図るといういたましい出来事も多かった。

また、日本軍の強制接収によって、強制移住させられ、マラリアなどに罹患したり、栄養失調で衰弱死した人も少なくないと言われる。

もっとも、司令官を失った旧日本軍の抵抗は6月23日以降も続いた。

公的な戦争終結を迎えたのは、米軍第10軍司令部と琉球列島(沖縄)守備軍との間で沖縄戦の降伏調印式が行われた1945年9月7日のことである。

沖縄戦で何より悲惨だったのは、少年少女が戦闘に駆り出されたことだろう。

法的根拠なく従軍看護要員として駆り出された沖縄師範女子部と沖縄県立第一高等女学校の職員と女子学生からなる「ひめゆり学徒隊」は、297名のうち224名が死亡した。

さらに年齢の低い現在の高校生や中学生にあたる少年も徴兵された。

沖縄師範学校、県立第一中学校、県立第二中学校、県立第三中学校、県立工業学校、県立農林学校、県立水産学校、那覇市立商業学校、開南中学校 、県立八重山中学校からなる「鉄血勤皇隊」の生徒は、充分な装備も持たされないまま、司令部の壕を護るために徴用された。

徴用された1780名のうち、890名が亡くなるという、いたましい結果に至っている。

さらに悲惨なことには、開戦前にアメリカへ移住し、通訳として米軍に徴用され、かつてのクラスメイトに銃を向けなければならなくなった沖縄出身の少年兵もいたそうだ。

かつて、机を並べたクラスメイトに銃を向けなければならなくなった少年の心情は想像することもできないが、いかにかの戦争が悲惨だったかということは理解できると思う。

沖縄を含めた日本の戦争は、1945年に終わったわけではなかった。

少なくとも僕が生まれた1968年までは、小笠原に渡るのにはパスポートが必要だったし、沖縄も同様だった。

そして本来は日本の領土だった、北方領土や島根県沖の竹島は、日本の敗戦を機に不当な形で外国に占拠されたままの形で今に至っている。

「戦争が終わっていない」とは言わないが、大きな傷跡を残したままなのは否めないと思う。

日本が62年前に経験した戦争については、様々な意見が存在する。

あの戦争を様々な角度から眺めてみると、日本にとっても交戦国だった国にとっても、加害と被害の両面を併せ持った複雑な戦争だったから、それも当然のことだと思う。

何より大事なのは、様々な角度や立場からあの戦争を検証し、どうしたらまた戦争を起こさずにすむのか現実的な方法を導き出すことではないだろうか。

そして、かつて戦争を起こした私たちの国「ニッポン」を否定することで、歩き続けてきた現在の「ニッポン」の社会が、本当に幸福を手に入れることができたのか。

家族ですら信じることができず、社会全体の人たちが息苦しさを覚えるようになった社会が自由だとは思えないし、ましてや、真の意味での幸福ではないと私は考えている。

人それぞれ考え方は様々だろうが、もし今の社会に息苦しさを感じているとしたら、その解決の鍵は歴史の中にあるのではないだろうか。

わずか十数歳で命を落とさなければならなかった人たちがいた62年前の時代の人たちのためにも、私たちは幸福な時代を作る義務があるのではないか。

口幅ったい言い方だが、あの時代の歴史を正視するにあたって、決して声にはならなかった、その時代の若い人たちが後の時代に託した「自分につながる後の時代の人たちの幸福と平和を望む」声が聞こえてくるような気がするのである。

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June 18, 2010

カレー焼きについて連絡乞 福岡の放送局様

このブログのアクセス解析に、「福岡 カレー焼き」というキーワード検索で、福岡の某放送局さんの足跡があったんで(ドメインが記録されてました)、

おや、またなにかいなと思ったら、カレー焼きのことを調べていらっしゃったんですね。

この検索結果に、5年前にこのブログに書いたカレー焼きの記事が出てるもんね。

http://www.google.co.jp/search?hl=ja&q=%E7%A6%8F%E5%B2%A1%E3%80%80%E3%82%AB%E3%83%AC%E3%83%BC%E7%84%BC%E3%81%8D&lr=&aq=f&aqi=&aql=&oq=&gs_rfai=

カレー焼きを追って福岡へ 2005年3月15日
http://nomichan2001.cocolog-nifty.com/epsiloncafe/2005/03/post_4.html

カレー焼きを追って福岡へ(後篇) 2005年3月21日

http://nomichan2001.cocolog-nifty.com/epsiloncafe/2005/03/post_5.html

読売新聞さんが、今年の5月31日に直方市のJR直方(「のおがた」と読みます)駅近くで開業していらっしゃる「たこ大王直方店」さんを取材した記事を書かれてますね。
(実は僕も仕事で福岡に帰った時に、何度かおじゃましています)

読売新聞さんの記事によると、直方市が、このカレー焼きなるお菓子の発祥の地を調べているとか。

http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/fukuoka/feature/fukuoka1273823602561_02/news/20100514-OYT8T00754.htm

このブログの上のURLの記事の中でも取材をもとに書いていますが、ある時期に、広島のヤマト食品株式会社さんが、普及に努めていらっしゃったのは間違いないですね。

実は昭和48年ごろ、僕は直方によく行く機会があって、「たこ大王直方店」さんと別のお店があったのをよく記憶しています。

そのお店ですが、残念ながら、91年ごろに閉店してしまいました。(その理由も取材を通して知っていますが、ここでは触れません)

昭和48年というと、まだJRが国鉄の時代で、しかも蒸気機関車がギリギリ走っていた時代。現在の福北ゆたか線が篠栗線と言われていて、電化されてなかった時代ですね。

話を戻して、このカレー焼きなるお菓子ですが、僕の記憶が確かなら、85年ごろに、福岡の某情報誌(今も続いています)で取り上げられたことがありました。

その記事によると、博多のほうでも流行っていたことがあるんだとか。

ところが、福岡市内をくまなく探しても、かつてカレー焼きを作っていたというお店がとうとう見つかりませんでした。(開業していらっしゃった記録も見つかっていません)

僕が取材した限りでは、現在このお菓子を作っているのは、福岡、三重、福井、大分、大阪の4府県です。

5年かけて追いましたが、なぜこのように日本各地に散在する形で、このお菓子が残ったのか、いまだに理由がつかめていません。(福岡は、なぜ直方だけに残ったのかもです。)

福岡の放送局の担当者様、このブログに書いていない情報もありますので、よろしかったらメールで御連絡ください。どこからこのお菓子が広がったのかどうしても知りたいですので、バーターで情報交換させていただければと思います。

nomichan2003@nifty.com

それでは、連絡をお待ちしています。

松沢直樹 拝

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June 09, 2010

今週号の扶桑社SPA!特集「1日を36時間に増やす秘術」コーナーで

今週発売の週刊SPA!特集「一日を36時間に増やす秘術」のコーナーで
SKill20「自炊メニューに迷わない」(42P)というテーマで寄稿させていただいています。
ご高覧くださいませ

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