« December 2008 | Main | February 2009 »

January 2009

January 31, 2009

作詞のお仕事と単行本のお仕事とウェブ小説のお仕事と……

友人から作詞の依頼を受ける。
はぁ、かれこれ2年ぶりですな。

没をしょっちゅう食らうので、依頼があるたびめげたものです。
今回も厳しそうだな~
とはいえ、半ば投げやりになった時に書いたものが通ることが通例なので、肩の力抜いていきましょう。

手持ちの案件があるのは有難いが、遊び心に欠ける仕事が集まると煮え煮えになるのは必至。

ちっともアイデアがわかない大阪の某社からご依頼いただいたコピーとラジオCMの脚本が一気に書き上げられるエネルギーをもらえるといいんだけど。

終わったら、メルマガで連載してる「桜の舞う空の下で」を携帯・ウェブ小説に加工しようっと。
こっちは、曲とフラッシュ書いてくれるReijiが一緒にやってくれるんで楽しい仕事になりそうだ。

シナリオを僕が書いているCOLORというオンライン小説は、ヤフーカテゴリに登録されたのもあるのだろうけど、既に12億ヒットに達してる。

広告収入だけでも単行本出して増刷かかるよりも収益があがってるという皮肉な結果を生んでいたりする。

紙の本を長年作ってきたんで、軽く読める作品を書くのは抵抗があるのだけど、やはり時代なんだろうな、とかつくづく考えたりします。

| | Comments (0) | TrackBack (0)

January 29, 2009

自分の心に正直であるために

満たされないことを恥じない方がいい。
肉の体を持って生きる以上、
何かを得なければ生を保つことはできない。

多くのパンであれ
金銀であれ
情欲であれ
欲することで、神はあなたを罰することはない。

大事なのは
欲する衝動が心の内側から響いてくる
あなたの真の声であるかどうかだ。

他の誰でもない。
あなたが本当に欲するものは
あなたを真に満たすものは
あなたしか知らない。

自らの心の声は聞きにくいものだ。
物心を問わず何かを得た時
幸福感に満たされるかを羅針盤にすればよい。

得た後すぐに幸福感が去るものは
あなたにとって偶像か、一時の居を供し
もてなしてくれる
旅の宿にしか過ぎない。

真の自分の心の声を聞くには
愛に偽ることなく
知と武を振りかざさず
出会う人に善を図り
できる限り多くの人と穏やかな時間を分かち合い
物事の内にある善に親しみの手を伸ばし
ささやかれる憎しみには沈黙し
呪わず祝福し
与えることを惜しまないこと。

そして最も大事なことは
受け取ることを卑しいと疎まないことだ。

| | Comments (0) | TrackBack (0)

January 26, 2009

メッセージ

今すぐ顔を覆っている両手を広げて、隣りの人に手を差し伸べなさい。
手をつなぐ勇気を持ちなさい。

決してあきらめないように。
あきらめが当たり前の絶望に変わる前に立ち上がりなさい。

今すぐ結果が出なくても自分が望む姿をイメージすれば必ずそれに近付いていきます。

もし、誰かの心無い言葉に心が折れそうになったら、あたたかく微笑み返しなさい。

大半の人は、きっとそれ以上何も言えなくなるでしょう。
そしたらまた前を向いて歩いていきなさい。

| | Comments (0) | TrackBack (0)

January 22, 2009

フランソワーズ・サガン 冷たい水の中の小さな太陽を再読

フランソワーズ・サガンの同名作品を再読。

もっとも、僕は仏語がほとんど理解できないので、新潮社の翻訳版なのだけど。
作品独特のカラーもそうだけど、朝吹登水子さんが訳された筆致も独特な空気感があって好きな作品だ。

40年前の作品とは思えない部分も多々あったりして、つくづく物語は繰り返しの中で生まれていると考えたりする。

(もっとも、作品中で描かれているような、「モテ男君体験」には縁遠い男ですので、そのあたりは流し読みしましたが。まあ、主人公のジルが神経症でいらつくシーンは共感が持てますな)
Jacques Deray ジャック・ドレー 監督の映画化作品も見たことがある。(それでも映画化されたのって1971年なので、僕が大人になってからの話なのだけど……)

主人公のジルを演じたMarc Porel (マルク・ポレル)は、1972年の「ルードヴィヒ神々の黄昏」でも好演が見られるから、作品の神様が乗り移っていた時期なんだろうね。

ジルと同棲している女性 エロイーズを演じているBarbara Bach(バーバラ・バック)とのシーンも若々しさ故の迷いや輝きがあったりして、好感が持てる。

いつの時代も若い人は、生きるのに必死なんだよねえ。
そう、今も昔もね。

| | Comments (0) | TrackBack (0)

January 21, 2009

祈る一日

ここ数日、講演で過ごす日が多々ありました。

聞いてくださる方は、若い方がほとんど。今時の人ばかりなので、メールで質問が多々届く。一通ずつ読みながら、返信を出す。

若い彼らの疑問には、言葉を選ぶことも多い。

「生きているってつまらないです」

そうメールを送ってきた若い人がいた。

「これから辛いことがいっぱいると思うけど、今、当たり前に感じていることが楽しく思えるようになるよ」

迷わず、そう答えた。

人の世は理不尽である。

善人が困窮し、悪人が誰からも罪を問われることなく、富み栄えることも珍しくない。

その理不尽の中に存在する深奥を、神の摂理と呼ぶ人もあるが、人として生きる私にとってはなんともやるせなく目に映る。

今日は一日、食を断ち、
出会った人の、心や身体に降りかかるものが去ることを祈り
そして、幸いを祈ろう。

| | Comments (0) | TrackBack (0)

January 15, 2009

マスコミ招待試写のお知らせ

B

音じゃない!
俺達そのものが
ロックなんだ!!


ジャップ・ザ・ロック・リボルバー
2009・5・16より
渋谷ユーロスペースでレイトショー決定


2009年日本作品 PUNK FILM 上映時間90分 監督:島田角栄

ご縁をいただいている島田角栄監督の最新作品「ジャップ・ザ・ロックリボルバー」のマスコミ招待試写会を、来る2・12に新宿ロフトプラスワンで開催いたします。

マスコミ関係者の皆様、お時間がございましたら、御来場いただければ幸いです。

(なお、今回はマスコミ招待試写会のため、一般のお客様への有料上映は行っておりません。あらかじめご了承ください。5月16日の公開の際に、お楽しみいただければ幸いです。)

■監督 島田角栄氏のプロフィール
『家族ロック』で衝撃のデビューを飾り、「電撃BOPのセクシーマザーファッカーズに!!」で国内外の注目を集めた関西インディーズ映画界の鬼才、島田角栄の最新作。

■作品概略 島田監督のノートより
手話ロックバンド「BRIGHT EYES」
聴覚障がい者4名と健聴者1名のメンバーは、2008年で活動20年目を迎える。

「どうして耳が聞こえないのに、バンドを組もうと思ったのか?」

1曲覚え、ステージで披露するまでに半年かかる。
ようやくステージで歌えたとしても、観客の歓声や拍手はおろか、自分達の奏でる音や歌声すら聞こえないのだ。

「耳が聞こえないのに、バンド活動は楽しいのか?」
正直言って、私も最初は、そんな凡庸で陳腐な疑問を抱いた。

だが、彼らのライブを生で体感した時、その痛々しいほどの生命力に体中が震えた。

生きていることの喜び、そして圧倒的な孤独を、彼らはすべてロックンロールというパワーに変えてきたのだろう。
はみ出し者の美学を求めて……。

この映画は、ままならぬ世界でのたうちまわりながらも、自由を求め続け踊り続ける彼らの叫びに迫ったドキュメンタリーである。


■マスコミ試写会実施
2009・2・12 東京・新宿ロフトプラスワン
http://www.loft-prj.co.jp/PLUSONE/access.html

第一部 午前10:00 第二部 12:00(上映時間90分)

招待状をお送りさせていただきますので、下記の島田監督宛のメールアドレスに媒体名等をご記載の上、メッセージをいただければ幸いです。

当日、直接お越しいただく場合、満席になる可能性があります。
あらかじめご承知おきくださいませ。
(当日直接お越しいただく関係者様は、ご入場の際に、お名刺をお預かりさせていただきます。あらかじめご了承くださいませ)

なお、本作の内容等についての問合せ・取材は、島田監督のメール宛てにお願いいたします
PUNKFILM 島田角栄  punkfilm666@m4.dion.ne.jp


| | Comments (0) | TrackBack (0)

January 10, 2009

正義の女神の天秤よ イスラエルに真実の審判を下せ

1044350961_247

なぜ神を信じる同士が殺しあう?
ハルマゲドンを演出したいのか? 今度はイランを攻めるつもりかね?

残念だが、私たちは君たちの情報戦略を既に見破っている。
絶対に阻止するぞ。

イスラエルのやっていることは、64年前にアメリカが日本にしたことと全く同じじゃないか。これのどこに正義がある


*転送自由ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
ガザ地区から医師の報告翻訳

 以下は中央ヨーロッパ時間の1月6日(火曜)午前9時半にドイツ紙『南ドイツ新聞』の電子版に掲載されたものの翻訳です。インタヴューの正確な日時が不明ですが、内容からしてガザの現地の5日(月曜)の夜中あたりだと思われます。ガザには外国人記者が入れないため、地上戦開始下の病院からの医師の報告として貴重なものと考え翻訳しました。この翻訳は「訳責;梶村太一郎/ベルリン」と明記された上で、どしどし転送して下さって結構です。

原文;http://www.sueddeutsche.de/politik/752/453443/text/
ここではギルベルト医師の写真も掲載されています。

以下翻訳、( )内は訳注。

ーーーーーーーーーーーー
(見出し)ガザ地区の市民犠牲者
「私たちは次から次へと切断手術を続けている」

(記事リード)イスラエルの地上進攻の開始以来市民の犠牲者の数は急増し
ている。ノルウェー人のマッズ・ギルベルトは、現在ガザ地区に滞在している唯一の西側の(欧米の意味)ふたりの医師のひとり。ギルベルトはドラマチックな報告をした。

インタヴュー;トーマス・アウ゛ェナリウス記者

(人物解説)マッズ・ギルベルト(Mads Gilbert)61歳、は麻酔医でノル
ウェーのトロムソ大学教授。彼は新年から同僚の同僚の外科医エリク・フォッセ(Erik Fosse)医師とともにガザ市のシーファ(Schifa)病院で手
術をしている。ふたりはNorah (原文;Norwegian Medical Solidarity Organization Norah)の会員である。

(インタヴュー始まり)
南ドイツ新聞(以下SZ);ギルベルト博士、ガザの情況はどうですか。

マッズ・ギルベルト(以下MG);今夕の情況はドラマチック以上のものだ。激しく爆撃されている。この48時間は大変に厳しかった。ガザ市の野菜市場への攻撃で多数の死傷者が出た。今日病院に運ばれた210人の負傷者の内だけでも35人が救急部門で死亡した。死者の内で18人が9歳以下の子供たちだ。私たちは次から次へと切断手術を続けている。廊下は切断手術を受けた患者でいっぱいだ。私はすでに手術をいくらしたか数えられない。

SZ;犠牲者のうち子供と女性はどれくらいでしょうか。

MG;今日、私はひとりの子供の手を切断手術した。この子は家族のうち11人を失っている。私たちのところに九ヶ月の赤ん坊がいるが、この子の家族は全員がイスラエルによって殺された。市民の犠牲者の数は急激に増加している。月曜日の晩には死者は540人、負傷者は2550人だった。死者の30パーセントと、負傷者の45パーセントが女性と子供だ。これまでで、子供の死者は117人、負傷者は744人だ。

SZ;救助隊の作業はどんなに危険ですか。

MG;今日は救急車二台が襲撃された。二人の救助隊員が殺されたが、彼らは狙われて攻撃されている。シーファ病院の隣のモスク(イスラム寺院)が空襲された。そのため病院の窓ガラスがすべて割れてしまった。今は外の気温は摂氏7度だから患者全員が震えている。医師や看護人ももちろん同じだが。これら全てが理解を絶することだ。

SZ;病院の職員の情況はどうでしょうか。

MG;ひとつだけ強調したい。この病院には現時点で、医師、看護人、ボランティアが50人いる。私たちは爆撃音を聞きながら、負傷者を満載した車を待っている。私はこれまでに、彼らパレスチナ人の医師たちと助手たちほど献身的な働きをする人間を見たことがない。

SZ;あなたはハマスの戦闘員も治療しますか。

MG;その質問は適切ではない。私たちはここで医師として誰でも治療する。
わたしたちはイスラエルの兵士にもそうするだろう。しかし、私は何百人もの患者を診たが、その内でハマスの戦闘員はたったふたりだけだった。

SZ;何が最も緊急に必要でしょうか。

MG;とりあえず緊急なのは、爆撃を停止し、イスラエルが境界の通路を開き、食料と燃料をガザへ運ぶことだ。

SZ;あなた自身は安全ですか。

MG;150万人のパレスチナ人が、この世界最大の牢獄に閉じ込められている。彼らは恐れてはいない。なぜ私たちが恐れるべきだろうか。

SZ;あなたはどのようにしてガザ地区に入り込んだのですか。

MG;私たちは元旦にラファ(Rafah)経由で入って来た。ノルウェー政府がエジプトの指導部に非常に大きな外交圧力を掛けたのだ。そのおかげで入って来れた。私はなぜ他の西側の医師たちが来ないか疑問に思っている。世界はここで何が起こっているかを見ることが出来ない。私たちだけが西側の代理人だ。私たちは、援助すべき医師なのだ。それと同時に私たちは世界中のメディアに電話で情報を伝えなければならない。同僚とここへ来ていらい、私たちは時間を忘れて働いている。あの音が聴こえますか。
また爆撃されている。ここで話しを終わりにしなければなりません。

(インタヴュー終わり。翻訳以上)
「訳責;梶村太一郎/ベルリン」

| | Comments (0) | TrackBack (0)

January 07, 2009

防衛省前で反イスラエルデモ

1044350961_247

昨日夕刻の映像
反イスラエル、反米、反自衛隊の左派混成デモ隊に遭遇

私は、自衛隊は必要な存在と考えているが、アメリカの政策に迎合して自衛隊員を海外へ派兵するのは反対

予定してるアフガン派兵なんてもってのほか。
NATO軍の歴戦の猛者が300名戦死している場所へ銃を持たさずに派兵したら弾除けにされるのがオチ

あ、それと写真の意見は激しく同意だね。
これが、外交の延長線上にある軍事行動と言えるのかね?
アメリカが太平洋戦争時に日本に対して行った本土空襲と原爆による民間人を巻き込んだ攻撃と全く同じことを繰り返しているんじゃないのか?
派遣村といい自衛隊問題といい

日本人よ
いいかげん目を覚ませ
武力と紙幣でアメリカから攻撃されていることを

我々日本人から平和と豊かさを奪おうとしているのは、アメリカでありイスラエルである。

派遣村問題を報道することで、ガザを攻撃しているイスラエルから目を逸らさせていることに賢明な人なら気付くだろう。

| | Comments (0) | TrackBack (0)

January 06, 2009

1月5日 東京・日比谷の派遣村を突撃取材する

1044036980_85

1044036980_140

1・5 13時に、東京・日比谷の派遣村を取材に回ってみた。

既にメディア報道されている現場をフリーランスのジャーナリストが取材するのは、非常に難しい。顔写真入りの記者章が無ければ、奥まで突っ込んだ取材を行うのが難しいことは分かっている。
おそらく、今から行っても掘り下げた取材は難しいだろう。

だが、どうしても気になる。この問題をTVなどのメディアを通して見つめた場合、腑に落ちない点が多いのだ。

いわゆるホームレス風の人がメディアのインタビューに応えて、「派遣村のおかげで助かった」というような発言をしているシーンに、不自然さを感じてしまうのだ。

大変失礼だが、職と住居を失って相応の時間が過ぎた方が、一体どうやって日比谷公園にたどりついたのだろうか?
 
派遣村で年を過ごした人は、東京近郊で仕事をしていた方ばかりではあるまい。

数日前の派遣村の報道を知って、何とか日比谷公園にたどりついたという人がいたというニュースを読んだ。

そういう方が助かるなら、それは非常に有意義なことだと思う。

しかしながら、メディアで署名原稿を書いている身としては、意図せずとも、メディアが事実から解離させた形で報道しているように思えてならなかった。

メディア報道は、「事実の一部」を切り取る形で作られる。
特に映像での報道は、事実の一部を切り取る報道関係者の有意識・無意識の意図が必ず介在する。

そこを読み取れなければ、事実やこの問題の根源は見えてこない。
現場を見れば、何か見えてくるかもしれない。時間的に難しいかもしれないが、午後からの取材をキャンセルして、日比谷に向かうことにした。

12:45分に営団地下鉄の日比谷駅に降りた。

案内図にある日比谷公園の位置をたどりながら地上に出る。
ちょうど、霞ヶ関と道路を隔てた反対側にある派遣村には、公園を横切る形で移動しなければならない。

幸いにも、公園の入り口に派遣村の地図が啓示されていたので、その地図を頼りに移動する。

公園は、仕事始めのサラリーマンの方がくつろいだり、(おそらく)霞ヶ関の官庁街から移動してきたと思われる公務員らしき人もいて、非常に穏やかな雰囲気だった。

派遣村のテントらしきものがあった場所にたどりついたのが、ちょうど13時

既に閉村式が行われていて、ボランティアの若い方(腕章代わりに、ボランティアと書かれたバンダナを腕に巻いていたのですぐにわかった)や、労組の関係者らしき方が後片付けに奔走していた。

その間を、昼休みのサラリーマンや道路を隔てた霞ヶ関の公務員が通り過ぎていく。

仕事はじめの日ということもあって、正月独特の雰囲気が残っている。一月の陽射しにしては穏やかで、日向にいると気分がほころぶ。

その中で、荷物の後片付けや、道路の清掃がてきぱきと行われていく。

その姿だけを見ていると、まるで有志の方が公園の清掃を行っているような錯覚を覚えそうになる。少なくともテレビ報道などで見た現場のような空気は存在しない。

メディア報道で、ちょうど派遣村から道路を隔てた厚生労働省の講堂に年越しの居を求めた方たちが移動したと聞いていたので、そちらに回ってみた。

だが、警備員と公安関係者らしい私服警察官が壁を作っている。
とても、記者パスなしでは取材できそうにないので、日比谷公園の派遣村後に戻って、一般市民を装った形で取材を続ける。
(上の写真は、その際に撮影した一枚である)

レンタカー会社のトラックがあることを見ると、資金ないし物資を提供した方がいるのだろう。

ボランティアの方含め、幕の内弁当が支給されていたのも、どこから支給されているのか、とりあえず尋ねるのは避けた。(客観的に俯瞰して、集まっている人たちがどういう人たちかを確認したかったためである)

いわゆる労組系の方もいるが、どうみても大学生のボランティアらしき人が、かなりの数確認できた。

文字通り、ボランタリー(自発的な)意思で集まった方のようで、清掃や片付けをしながら、役割分担でもめていたりする光景も見えた。

(表情に疲れが映っていたから、相当な時間、奉仕活動に携わっていたのではないか?)

そのうち、事前告知されていたデモが、公園の外周に沿って列を作って遠くに歩いているのを見つけて追いかけた。

そこで気付いたのは、「派遣村」と呼ばれているのは、必ずしも正確な表現ではないということである。

派遣意外の労働環境に従事していて、住居の確保が困難な方も含めた救済活動を展開しているらしいということだった。

メディア報道で見た映像は、年末に派遣の仕事を失ってしまった方たちではなく、以前から正当な労働報酬を得られなくて、住居の問題で困窮していた方だったのではないか?

そういう方たちを選んでTV報道関係者が撮影を行っていたとしたら、意図の介在の有無はさておいて、事実とは離れたイメージを誘導する報道を行っていたということになる。

だが、一方的にメディア関係者を責めることもできないように思う。

実際、事前の知識を得ずに取材に向かうと、一体誰が派遣村で年越しの居を得ている人なのか、さっぱりわからない。

たまたま隣に座って話しかけてきたボランティアの大学生かと思っていた若い人が、派遣村で年越しの居を得たということを聞いて驚いた。

「本当は2月末までの契約の予定だったんです。それが年末になって、契約がいきなり破棄されて、寮を追い出される形になって、数人でここに来ました」

身分を明かして、詳しくインタビューすると、若い男性が応じてくれた。不思議に悲壮感が感じられない。その理由を尋ねてみた。

「悲しいとか悔しいとか言ってる前に、仕事がほしいんですよ。契約を守らない形でいきなり解雇されたのは、今回が初めてじゃないんです。」

彼の意見をもって、派遣村で過ごした人たちの全ての意見とするわけにはいかない。

ただ、私が見た限りでは、事前通告なしの契約解除ということに慣れているものの、これからどうしていいか表情にも出せないほど、途方に暮れているように思えた。

弁当を食べ終わると、張っていた気がほどけたらしく、彼は箸を置いて空の弁当箱に視線を落とした。

「両親が名古屋にいるんですけど、正月は帰れなかったんですよ。
電話かけたら両親は正月くらい帰ってこいって言ってくれるんですけど、交通費も満足にない中で、帰るわけにいかないじゃないですか。

あっちに帰っても仕事が見つかるとも限らないし、このまま実家に帰ったら、年金で暮らしている両親の負担になるだけなのは、眼に見えてるんです。」

なるほど、もっともである。
困っている時ほど、自分でなんとかしようとして、より苦しい立場に立たされてしまう人をよく見る。彼もそのような状態にあるらしい。

私はフリーランスという、いつ仕事が無くなってもおかしくない中で、15年ほど働いている。

そのため、いわゆる「派遣切り」と呼ばれる問題について、世間よりは冷徹なまなざしで見つめていたように思う。
(いわゆる会社を経営している方や、個人自営業者の方も同様だろう。事業に失敗すれば、無限責任を背負うこともあるからだ。)

だが、彼の話を引き出してみると、必ずしも自己責任とは言えないケースが存在するのは否定できないように思う。

少なくともインタビューに応じてくれた彼は、自分の生活設計にだらしがなかったのではなく、予期せぬ事態に遭遇することを重ねる中で、こういった選択肢の仕事を選ばざるを得なかったように思えた。

また、選択肢がどんどん無くなっていく中で、社会人としての責任を彼なりに全うしようとしていたように思う。

一人の年長者として、「これからどうしたらいいか?」という、アドバイスを求められて困ったが、仕事が見つかってからでもいいから、両親には今の状態をありのままに話した方がいいと告げた。

やはり、親は親である。
いくら自分が経済的に困窮していても、わが子が離れた場所で苦しんでいるということを知らないままだったら、そのことを知った時、いたたまれなくなるだろう。

丁寧な礼で見送ってくれた彼と別れて、再び厚労省へ向かう。やはり壁が厚くて中は取材できそうにない。

デモを取材しているライターに電話を入れてみたら、どうやら厚労省の講堂に人が入るのを制限されたらしく、ほとんどの人が警視庁に程近い社会民主党の本部ホールにいるという。

事前のアポを取らずに取材できるか確認してみたら、特にセキュリティもないということだった。意を決して、制服・私服警官が道に配置されている中をくぐる形で社民党本部に向かう。

基本的にノンポリなので、政治団体の本部を見学するというのは初めてである。

また、社民党を支持してはいないので(私は自衛隊擁護派のため)非常に貴重な機会だと思い、本部内のホールへ向かう。

たどりついてみると、玄関先は全くセキュリティが存在しない。いささか不安になりつつ、ホールを目指し、携帯電話で連絡を取り合う。

ちょうど映画館かコンサートホールのような肘掛のある赤い椅子が並ぶホールに着くと、200名前後の人が集まっていた。

こちらは、若い人が圧倒的に多い。やはり、TVで見た報道とはずいぶん違った印象を受ける。

中には60代以上と思われる方もいたが、大体が20代から40代前後の方たちばかりだった。一旦入り口から出て、ホールの外側をぐるりと一周してみたが、やはり状況は同じだった。
産経やテレビ朝日といった左右取材陣の間を縫って、再びホールの中に入る。

合流したライターの友人に尋ねると、やはり詳しい情報が取れていないという。ここでも日比谷公園で見た幕の内弁当と同じものを見かけた。

社民党本部のホールは、事前に用意されていたのか? 弁当もそうなのか? という疑問が湧いたが、それは正確な情報を得ることができなかった。

私は、ホールの最前列に近い位置に陣取った。そのうち、活動の代表の方が現れて、デモ開始以降の経緯について説明を始めた。

説明をはじめるに当たって、代表の方が、ホール内の報道陣の退室を求めた。

(このことから察するに、活動の意図するところではない形でイメージを作られたり、恣意的な報道を避けたいという意図があったのではないだろうか。

もし、そうだとしたら、以前のテレビ報道で見た映像は、マスコミ側が事実の一部を切り取った、意見を誘導しかねない映像だということになる)

説明によると、厚労省への陳情デモは、当初200人前後が入れるということだったが、70人以下にしてほしいという話になり、やむをえず他の方を入れてもらうため、社民党のホールを借りるような経緯に至ったことが説明された。

この説明から、政治団体の協力が事前に用意されていたものではないかと考えたが、必ずしもそうではないような心象を受けた。

若いボランティアの方が、他の用事を理由に退席を求める声をあげるシーンもあった。

また、多くのボランティアの方が、献身的に様々な分担された役割をこなしていた。

疲れが見えるその表情から察するに、政治的な意図は感じられない。日比谷公園で会ったボランティアの方たちと同じだろう。

そのうち、前列の男性が眺めているプリントが眼に入った。

雇用を求める方が今日以降入居する住宅は、ハローワークの窓口を通じて入居できることが説明してあった。

どうやら、ボランティアの方や活動団体が主体になって行政を動かした中で、野党側の政治団体が超党派の形で賛同したように見えた。(このあたりは裏が取れていないが、そう見ていいように思える)

また、今日以降、雇用を求めて公営の住宅に入ることを希望される方は、生活保護を受け、その費用から家賃を支払う形で入居することが説明されていた。

ただ、それらの住宅は東京からかなり離れた千葉や神奈川の住宅で、入居を検討している方からは、生活が様変わりしてしまうのは避けられないが、現状を打破するには仕方がないといった声が聞かれた。

この時点で、進展も無くなったことと、記者パスもないことから、これ以上の詳細な取材が難しいと判断し、友人のライターと社民党本部から抜け出る形で取材を終了した。

個人的な視点では、職と住を失ってしまう人たちを等しくサポートしたいという、ボランタリズムの色合いが濃い活動のように見えた。

ところで、「派遣切り」と言われたこの一連の問題だが、一つ疑問に思うことがある。

我が国が劣悪な経済状態に陥り、雇用はおろか住を失う問題に直面しているのは、終身雇用制のシステムを破壊し、金融恐慌を起こしたアメリカ政府の失策ではないのか?

ふだんは、右派左派問わず、反米の意見が聞かれるはずなのに、ことこの問題に限っては、アメリカ政府を非難する意見が聞こえてこないのはなぜだろう?

ブッシュを弾劾訴追するのは当然だが、オバマが新大統領に正式に就任した後、アメリカ発の金融問題の責任を、世界に対してどのように取るのか?

日本人である以上、日本の国益を考えるのは当然だが、同盟国である日本に対してこれだけの損害をもたらした責任について、オバマ新政権に交代した後も、アメリカ発の金融恐慌がわが国にもたらした被害について、厳しく追及すべきだと考える。

生活の環境を脅かされ、挙句の果ては銃とドルで攻撃を受けていることに、なぜこの国の人たちが気付かないのか、私は不思議でならない。

取材:松沢直樹 2008.01.05

| | Comments (0) | TrackBack (1)

January 02, 2009

正月二日 春を見つける

Ts360308

梅一輪 一輪ほどのあたたかさ
世の厳しさにも 春ぞ望まん

取材と奉仕活動の合間にて撮影

| | Comments (0) | TrackBack (0)

January 01, 2009

あけましておめでとうございます

1039404840_56s

正月らしく、がめ煮(福岡では、筑前煮のことを、がめ煮といいます)を炊いてみた。

元旦は、某事務所で一人仕事をしながら、がめ煮をつつきます。

みなさま、よいお正月を

さ、一息入れたら、焼酎飲みながらうまかもんば食うて、頑張らんといかんばい。

| | Comments (0) | TrackBack (0)

« December 2008 | Main | February 2009 »