花冷えの夜とボンベイサファイヤ
単行本の校了を終えて、一日の休み。
もともと嗜眠傾向が強い体質だし、抗うつ剤を常用しているので、ぼ~っとしてると、たちまち眠ってしまうわけですが、校了の後って、夢の中でも本を書く夢を見るのね。
好きで就いた仕事だけど、まあ因果なもんです。
こういう時は決まって寝付けない。
本を書いた後って、全身の感覚が恐ろしく鋭敏になってるから、異様なくらい興奮しちゃう。昔も今もそれは変わってません。
20代の頃は、次の仕事に取り掛かるか、仲間と夜通しハジケるとか、まあ色々やったもんです。
40歳になって、多少は落ち着いたのか、体力が目減りしたのか、さすがに一人で過ごす時間が増えましたねえ。
もっとも、同世代の物書きの人と一緒に過ごすと、必然的に仕事の話になることが多いので、意図的に一人の時間を作るようにしてるのかもね。
どのみち、わずかな楽しい時間を過ごしても、すぐに次を書かないといけない。飲んでいる時に、そんな侘しい気持ちが頭をよぎるのはかなりツライ。
ハムスターが意味なく滑車を回すように、ひたすらテキストを書いていかないといけない自分を想像したりするわけです。
一旦頭の中で増幅し始めたが最後。かな~りツライ。悪酔いするのは必至です。うむむ。
正直、まだ本調子じゃないんで、そういう状況は極力避けたい。
いかにして、自分の中でたぎるものを鎮めて次につなげるか。
この技術を身につけてから、少しは楽になったかも。
以前お会いした作家さん曰く、デビューしてから売れた後に、丸々3年何も書けなくなって苦しんだって言ってたっけか。
表舞台に出て行く作家さんって、気丈な人が多いから、そういうことをおくびにも出さないことが多いんだよね。
文章とかコトバって、自分の中で醸成したものが発露するものだから、何も書けなくなる時っていうのはきっと、自分の世界観が大きく変わる時期だったり、文学的なものが発酵して新たなものを生み出している時期なんだろうね。
とはいえ、社会的には一文字も字を書けなくなった書き手というのは、容赦なく切り捨てられる存在になりかねないわけで、書くためのリズムを調整する技術を身につけるのに、えらく時間がかかった気がします。
たまには酩酊したり
たまには陽射しをあびたり
おいしいものを食べたり作ったり
たまには海外から来るファンメールにきまぐれに返事を出してみたり
まあ、方法はその時その時で色々です。
昨夜は、夜半にゲラを宅配便に出しに行ったら、無性にボンベイサファイヤが飲みたくなったので、たまに顔を出すショットバーに。
チャージもなし。アテもなし。
ろくに挨拶もしないマスターが、勝手知ったるとばかりに、キンキンに冷えたブルーのショットグラスに、ボンベイサファイヤを、ぎりぎりまで注いでくれる。
ストレートを舐めるように、ゆっくりと二杯。
ジンの強烈な刺激が、逆に気分を鎮めてくれるから不思議だ。
マイルス・デイビスとかの曲が流れる中、ほどよく酩酊してお会計。
しめて1000円ナリ。人事ながら、お店成り立ってるんだろうか。
さてさて、おいとましようかしらん♪などと思ったら、一年ぶりに今はすっかりメジャーになってしまったミュージシャン(というかラッパーといか)Vに遭遇。
「Yo!調子はどう」
「ナーバスリー」
「明日のことを思いわずらうな。明日のことは、明日自身が思い煩うであろう。続きは?」
「一日の苦労は、その日一日だけで十分である。マタイ伝の第六章でしょ?」
「その通り。さ、おごるから今日の罪を洗い清めましょう」
結局つかまり、しこたま飲む。神学を学んだ彼らしい話しぶりと、独特の世界観や音楽観に耳を傾け、心がほぐれる。
彼曰く、それも神の賜物なんだそうな。それはそれはハレルヤ。
ほどよい時間に店を出て、そぞろ歩く。
今年の桜は、嵐のような転記のせいで、わずか5日しかもたなかった。
うす濁った紺色の空に伸びる桜の枝に花はない。
花の無い花冷えの夜だ。
「花は桜だけじゃない。咲く花はいくらでもある。その時まで、毎日やれることをやって、自分の好きな花が咲くのを、楽しみに待っていればいいじゃん」
見透かしたようなVのコトバが耳に痛い。
悩むこともあるが、少しずつ前へ進んでいるのは確かだ。
花の時期は終わった。だが花は枯れたわけではない。
新しく芽吹くための季節に時間を譲ったのだ。
私もそうだろうか。そうであってほしい。
酔いが醒めるほどに、少しずつ動き出した思考とともに、夜空の下を歩いた。
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