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June 2007

June 28, 2007

トークライブのおしらせ(追記)

作家の天沼春樹さんと、写真家の若林雄介さんのコラボ電子小説作品「浴槽」の発売を記念しての個展が7/1まで開かれています。

Photo et Texte La baignoire 展
天沼春樹+若林雄介+Jean-Luc Chénier
ブログ小説『浴槽(la baignoire)』から生まれたテキストと
写真によるインスタレーション

http://machi.monokatari.jp/author/yokuso.php

ブログ小説「浴槽」

6/30はお二方と、版元さんと電子書籍のパイオニア ボイジャー社さんの関係者の方を交えてトークライブが開かれるのですが、僕も飛び込み出演することに

ライブは 6/30 16:00~18:00まで
(要予約)

なお、18:00からは懇親会があるそうで、会費3000円でお食事付きだそうです。週末にぜひ

それはともかく、個展の方は開催中ですので、お近くの方や関心をお持ちいただいた方は、ぜひ足を運んでくださいませ

Café & GalerÍa PARADA
Open 11:30
Close 平日22:00
日曜日20:00
定休日:月曜日・第1日曜日

おといあわせ
TEL 0422-27-6680
info@cafe-parada.com

〒180-0004
東京都武蔵野市
吉祥寺本町4-25-7

お日にちが迫っていますので、お電話でお問い合わせいただく方が確実かと思います。

お席の確保はお早めに。

当日、みなさまとお会いできるのを楽しみにしています。

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June 27, 2007

トークライブのおしらせ

作家の天沼春樹さんと、写真家の若林雄介さんのコラボ電子小説作品「浴槽」の発売を記念しての個展が7/1まで開かれています。

Photo et Texte La baignoire 展
天沼春樹+若林雄介+Jean-Luc Chénier
ブログ小説『浴槽(la baignoire)』から生まれたテキストと
写真によるインスタレーション

http://machi.monokatari.jp/author/yokuso.php

ブログ小説「浴槽」

6/30はお二方と、版元さんと電子書籍のパイオニア ボイジャー社さんの関係者の方を交えてトークライブが開かれるのですが、僕も飛び込み出演することに

ライブは 6/30 16:00~18:00まで
(要予約)

なお、18:00からは懇親会があるそうで、会費3000円でお食事付きだそうです。週末にぜひ

すいません、今日オファーが決定したので、詳細は追記させていただきますね。

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June 26, 2007

蕎麦と暴言

諸々の原稿を入稿し、朝一で都内某所へ
打診のあった学校関係者との面談へ

あれこれ悩むが、結局、非常勤講師の依頼を断る。
経済的にも時間的にも生活のリズムになってよろしいと考えていたのだけど、どうもなあ。人様に物を教えられるような人間じゃないしねえ。

それに、文筆で身を立てているとはいえ、ボランティアで時間を割くほどの余裕があるわけじゃないから、時間の消費に見合う報奨じゃないしなあ。

てなことをやんわりとお話してお断りしましたが、暴言だったかしらん? 銭銭言うつもりはないんだけど、今の仕事削るなら、それなりの報酬を交渉していただかないと、干上がっちゃうしね。

昔から、文筆業で身を立てている人は、お金のことを話しちゃいけないといった風潮があるけど、今の時代、それはちょっとどうかと思うんだけど。まあ、条件交渉をご検討いただけるようでしたら、再考してみましょう。

気分を変えて、たまにお邪魔する蕎麦屋へ。
小上がりを陣取って、蕎麦を肴に日本酒を一合

板わさと蕎麦の実の味噌漬け、お新香のつきだし。
焼き鳥、天麩羅の盛り合わせ
締めに、江戸の蕎麦屋では珍しい挽きぐるみ(※)をせいろで

(※蕎麦の殻を除いた実の全ての部分をそば粉に挽いたもの。江戸では、蕎麦の実の芯の部分のみを、粉に挽いた更科・藪(御膳粉とも呼ばれる)を蕎麦に仕立てる店が多い。挽きぐるみは、蕎麦独特の香ばしい風味が楽しめるが、黒っぽい色になるので、昔の江戸ではあまり珍重されなかったらしい)

梅雨空と、まとわりつくような湿気は甚だ不快だが、日本酒の風味が引き立つから不思議だ。

少々甘めだが、こくのある純米酒「諏訪泉」を冷でちびちび舐めながら、つきだしをいただく。あっさり一合飲み干してしまったので、追加。

東京の酒「多満自慢」の山廃純米原酒を傾けながら、締めのそばをすする。
どうやら「当たり」だったらしく、酒米の「五百万石」が熟成した時にだけ生まれる独特の甘い香りがする上物だった。

日本酒はワインと同じくデリケートな酒で、同じ銘柄でも醸造された年の酒米の出来方や、湧き水の採水状態、醸造後の保存状態で、味が全く変わってしまう。

最近の日本酒は、銘柄問わず、風味が良いものが増えた。

一時、日本酒の原料となる「山田錦」や「五百万石」といった代表的な酒米が、新潟・兵庫・福岡などでしか栽培されなくなってしまっていたらしい。
だが、この十年ほどの間に、品種改良や、栽培技術の普及講習が行われ続けてきたようだ。その結果が、昨今の良質な日本酒の増産につながっているのだろう。

その背景に、太平洋戦争を機に、遮断されてしまった日本の歴史や文化に注目する人が増えたこともあるような気がする。

江戸から明治にかけて、国民が外国文化に一斉に目を向けた後、また国内の文化を見直すという動きがあった。
おそらく、今もまた日本は、その時期を歩いているのだろう。

そのたびに、新しい何かを内包しながら、伝統は新しい形で受け継がれていく。日本という国は、本当に不思議な国である。

この日本酒もそうだ。
少なくとも、今、自分が楽しんでいる日本酒は、江戸や明治の時代に作られていたものとは、全く別のものだ。

江戸時代に醸造されていた日本酒は、今よりアルコール度数がかなり低いし、昭和のはじめごろまでは、杉の樽に移し、木の香りを移した日本酒が珍重されていた。

(江戸時代の中ごろまでは、関東では日本酒があまり醸造されておらず、上方(関西)で醸造された日本酒を、舟で江戸に運ぶことが一般的だった。その際に、杉の樽につめられたことの名残だと思われる。

ちなみに、上方から江戸へ出荷することを「下る」と呼んだことから、「売り物にならない」「使い物にならない」「とるに値しない」といったことを「下らない」というようになった)

現在では、心白とよばれる酒米の中心部分を使い、琺瑯製のタンクに入れて醸造することで、米本来の香りとフルーティな風味を引き出した日本酒が珍重されている。

琺瑯製のタンクに入れて醸造する方法を取り入れたのは、新潟の若手酒造技術者の発明だと言われているが、その影には、当時欧州を模範としていた社会風潮の影響があったのは間違いない。

伝統的な手法を残しながらも、今の日本文化は、確実に欧州やアメリカの影響を受けている。しかしながら、その本質は変質していない。
次々と色々なものを飲み込んでは、自分の一部としてしまうこの国は、不思議な国である。

脱線したが、日本酒は不思議な点も多い謎の酒である。

日本酒は、日本人が主食ととしてきた米を原料にしているだけあって、和食との相性もよいが、洋食をはじめとした他国の料理との相性も素晴らしく良い。

ワインも同じ原理で作られるが、日本酒は、醸造の段階で、麹菌と酵母菌を共存させ、でんぷんを糖分に変換しながら、アルコール発酵を行わせる「並行複発酵」という、高度な技術が必要とされる醸造方法を採用している。

ルイ・パスツールが低温殺菌法を発明する100年以上前から、「火入れ」といった方法で、醸造後の酵母菌を殺菌する方法を発見して採用しているが、こういった方法はどこで見つけたのか。

安土桃山時代の火薬や鉄砲の大量生産と同じく、この国の自然科学に関する技術は、不思議な点が多い。

少々の酔いは思考を加速させるが、その後は酩酊に任せるに限る。まあ、小難しいことを考えるのはこれまでに。
そもそも、美味なものをいただきながら、小難しいことを考えるのは野暮というものだろう。

舌の上を通過する繊細な風味を楽しみながら、ほどほどの時間に茶で口をすすぐ。

しめて1700円ナリ。貧乏物書きにしては、贅沢な昼下がりでありますが、ここ数日食事をとっていなかったので、まあ、たまにはよろしいでしょう。

小雨の降る中、街をそぞろ歩く。
体が火照ると思ったら、どうやら微熱があるらしい。
長時間にわたって原稿を書いていると、ストレスからか、熱が出ることが増えた。

キリキリとした時間が、心の襞に積もらせたものを開放させられただけでも、価千金。

財布も軽くなったが、心も軽い。ケセラセラ。こんな日もありでしょう。雨もまた楽し。

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June 23, 2007

6月23日 沖縄慰霊の日

3月10日
8月6日
8月9日
8月15日

これらの日が、何の日なのか、知らない人が増えたそうだ。
だとしたら、今日が何の日なのか、知らない人も多いだろう。

6月23日は、沖縄慰霊の日である。

62年前に終結した太平洋戦争中、米軍の上陸作戦によって、沖縄は日本で唯一、民間人を巻き込んだ地上戦を経験することになった。

1945年4月1日より始まった米軍の沖縄上陸作戦は、旧日本軍沖縄防衛第32軍司令官牛島満の自決によって、組織的な戦闘終了を迎えた。
それが、今日6月23日である。

太平洋戦争末期、戦力を急速に失った日本軍は、米軍の沖縄上陸を阻止するために、神風特攻隊による空母撃沈作戦などで決死の抵抗を試みる。だが、圧倒的な物量を誇る米軍の前に屈することとなる。

嘉手納に上陸を開始した米軍は、半径700メートル以内の建物が破壊される威力の砲弾を海上から集中的に浴びせ(鉄の嵐と呼ばれる)、日本軍との戦闘の中で、民間人を巻き込んだ膨大な犠牲者をもたらした。

米軍との戦闘の巻き添えになった方は、約20万人とも言われ、県民の4人に1人が亡くなったといわれる。(あまりにも激しい戦闘だったため、正確な数字は定かではないらしい)

戦闘に巻き込まれて亡くなった人ばかりではない。

投降して米軍の捕虜になろうとするとスパイとみなされ、日本軍兵士に殺害されるおそれがあると考えたり、よしんば米軍捕虜になっても殺害される恐れがあると考えた人たちも多かった。

そのため、沖縄本島や慶良間諸島では、ガマ(天然の洞窟)に非難した人たちが集団自殺を図るといういたましい出来事も多かった。

また、日本軍の強制接収によって、強制移住させられ、マラリアなどに罹患したり、栄養失調で衰弱死した人も少なくないと言われる。

もっとも、司令官を失った旧日本軍の抵抗は6月23日以降も続いた。

公的な戦争終結を迎えたのは、米軍第10軍司令部と琉球列島(沖縄)守備軍との間で沖縄戦の降伏調印式が行われた1945年9月7日のことである。

沖縄戦で何より悲惨だったのは、まだ学生だった少年少女が戦争に駆り出されたことだろう。

法的根拠なく従軍看護要員として駆り出された沖縄師範女子部と沖縄県立第一高等女学校の職員と女子学生からなる「ひめゆり学徒隊」は、297名のうち224名が死亡した。

さらに年齢の低い現在の高校生や中学生にあたる少年も徴兵された。

沖縄師範学校、県立第一中学校、県立第二中学校、県立第三中学校、県立工業学校、県立農林学校、県立水産学校、那覇市立商業学校、開南中学校 、県立八重山中学校からなる「鉄血勤皇隊」の生徒は、充分な装備も持たされないまま、司令部の壕を護るために徴用された。

徴用された1780名のうち、890名が亡くなるという、いたましい結果に至っている。

さらに悲惨なことには、開戦前にアメリカへ移住し、通訳として米軍に徴用され、かつてのクラスメイトに銃を向けなければならなくなった沖縄出身の少年兵もいたそうだ。

かつて、机を並べたクラスメイトに銃を向けなければならなくなった少年の心情は想像することもできないが、いかにかの戦争が悲惨だったかということは理解できると思う。

沖縄を含めた日本の戦争は、1945年に終わったわけではなかった。

少なくとも僕が生まれた1968年までは、小笠原に渡るのにはパスポートが必要だったし、沖縄も同様だった。

そして本来は日本の領土だった、北方領土や島根県沖の竹島は、日本の敗戦を機に不当な形で外国に占拠されたままの形で今に至っている。

「戦争が終わっていない」とは言わないが、大きな傷跡を残したままなのは否めないと思う。

日本が62年前に経験した戦争については、様々な意見が存在する。

あの戦争を様々な角度から眺めてみると、日本にとっても交戦国だった国にとっても、加害と被害の両面を併せ持った複雑な戦争だったから、それも当然のことだと思う。

何より大事なのは、様々な角度や立場からあの戦争を検証し、どうしたらまた戦争を起こさずにすむのか現実的な方法を導き出すことではないだろうか。

そして、かつて戦争を起こした私たちの国「ニッポン」を否定することで、歩き続けてきた現在の「ニッポン」の社会が、本当に幸福を手に入れることができたのか。

家族ですら信じることができず、社会全体の人たちが息苦しさを覚えるようになった社会が自由だとは思えないし、ましてや、真の意味での幸福ではないと私は考えている。

人それぞれ考え方は様々だろうが、もし今の社会に息苦しさを感じているとしたら、その解決の鍵は歴史の中にあるのではないだろうか。

わずか十数歳で命を落とさなければならなかった人たちがいた62年前の時代の人たちのためにも、私たちは幸福な時代を作る義務があるのではないか。

口幅ったい言い方だが、あの時代の歴史を正視するにあたって、決して声にはならなかった、その時代の若い人たちが後の時代に託した「自分につながる後の時代の人たちの幸福と平和を望む」声が聞こえてくるような気がするのである。

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June 17, 2007

感染呪術

感染呪術「かまけわざ」と読みます。

「かまけわざ」というのは、日本の国土を造ったとされている伊奘諾尊命(イザナギノミコト)、伊奘再尊命(イザナミノミコト)という、男女の神様が交わる姿を演じることによって、雨を呼び、秋に実る稲や農作物の豊作を願うというもの。まあ、有体に言えば、いわゆる「雨乞い」です。梅雨なのに雨降らないしねえ。

この時期から真夏にかけて、日本中の各地で行われるお祭りなどで、面を被って男女の神が交わる姿を演じる催しを、よく見かけるようになります。中には結構過激で、ちょっと写真では公開できなさそうなお祭りも少なくないですが、ここらあたりが日本本来のおおらかさなんでしょうね。

(少なくとも日本は、明治時代になってキリスト教文化に根ざした欧州文化を積極的に輸入するようになるまで、男女の社会的役割や性について、おおらかな考え方が浸透していました。)

この「かまけわざ」。日本書紀に書かれている伊奘諾尊命(イザナギノミコト)、伊奘再尊命(イザナミノミコト)が日本の国土を生んだエピソードにあやかったもの。実際に、日本書紀に書かれているエピソードとは、かなりかけ離れています。

ご利益があれば、なんでもアリ。多少こじつけてでも、ご利益にあやかろうってのも、また日本的なおおらかさが感じられて、個人的には好きですね。

中には、女性が単独で妖艶な舞いを舞うと、神様が興奮して射精して雨が降ると信じられているお祭りもあるのだとか。

(てことは、雨を降らせる神様は男性ってこと。そいでもって、俗に言う雨女は、すごい美人さんってことになるのかな?)

こういったエピソードは、古代からの民間芸能である神楽(かぐら)や、中世に芸術として成立した能、江戸時代に民間に浸透した歌舞伎にも、その名残を見つけることができます。

話がいささか脱線しましたが、要は、国を作るほどの強大なパワーを持った神の力を自分たちのものにして、農作物や子供たちの健やかな成長や、物事が滞りなく進むことを願う考えがあるんでしょうね。

(日本書紀の国産みのエピソードは、めちゃめちゃ長くなるので、また別の機会に。まあ、興味がある方には面白い内容だと思いますが。四国が女性で、九州が男性とかさ。)

強大な力があるものを恐れると同時に、その力を自分のものにするという、呪術的な信仰は、日本だけでなく、世界中に存在するようです。

オーストラリアの先住民であるアボリジニの部族の中には、仕留めるのに時間がかかったカンガルーの骨を他の獲物に向けると、あっさり仕留めることができるようになると信じられているのだとか。

日本では、力のあるものの体の一部や、身につけていたものを譲り受けることで、自分に同じような力が身につくという考え方がありました。いわゆる感染呪術的な原始信仰ですが、その昔はそういった行為を「乞い」と呼びました。

男女が愛情を通わせることを「恋」と呼ぶのは、その名残だと言われています。

恋愛ってのは、良くも悪くも、男女それぞれのわがままな部分が一気に噴出してくる感情でもありますので、男女の恋愛にまつわる呪術的な行為っていうのは、時代が下っても様々なものがあるようで。

じいさま世代の殿方だと、情を交わした芸者さんの大事な部分のヘアを御守りに入れておくと、博打に負けないとかいうのがあったそうで。

時代がさらに下って太平洋戦争時には、奥さんや恋人の髪の毛を御守りに入れておくと、戦地で弾にあたらないとかいったいう話もあったらしいですね。なんでも、男性が女性にせがむのは野暮の極みで、女性がそっと男性に持たせるのが粋とされたそうで。

うーむ。女性の心は永遠の謎ですが、おそらく自分の体の一部分が離れた人と一緒にいるということに、心のつながりを見出したんでしょうなあ。

そういえば僕が学生のころ、モテモテ君は、卒業式に女の子から学生服のボタンをせがまれるなんて光景がありましたっけか。(あっしは、モテナイ君だったので記憶にございませんが)

ひょっとすると、あれも、神話の時代から続いた感染呪術(かまけわざ)の一つだったのかも。

当世の若い世代の方の恋愛事情はよく知りませんが、大好きな人から届いたメールを特別なフォルダに入れておいたり、携帯ストラップを御守り代わりにつける女性も多いようで。

これも神話の時代から形を変えて続いている感染呪術なのかもしれませんね。

この国には、形こそ変えてはいるものの、私たちの知らない形で脈々と伝え続けられている何かがあるようです。

この国に生まれて40年になろうかとしてますが、まだまだ知らないことがたくさんあるものです。不思議の国ニッポン。

もっとも一番よくわからないのは、今日現在のところ、年金保険料がどこに消えたのかということと、郵便貯金がちゃんと戻ってくるのかということですけど。

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June 11, 2007

今日のおめざ・落花生甘納豆

おめざといっても、相変わらず出先で徹夜。
果たして「おめざ」という言葉が適切かどうかは定かではありませんが、なにはともあれ締切りはやってくる。

原稿書く時は、甘い物を少々いただくと非常に効率がよろしいので、今日は作家の金沢京子先生にいただいた千葉の隠れた銘菓・落花生甘納豆をいただきながら、時速3200文字で原稿を書いております。

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金沢先生、結構なお品物をありがとうございます。

甘納豆といえば、小豆や花豆が相場と決まってるものだと思っていたら、ピーナッツ甘納豆も非常に上品な風味で素晴らしい。

ピーナッツバターみたいな濃い風味なのかなと思っていたら、ピーナッツの濃厚な風味はあるものの、決してしつこくなく上品な風味。「豆」本来の風味とピーナッツのこくが見事なコントラストを作り出してます。

緑茶にもコーヒーにも合うし、製菓材料に使うと新風味のデザートができそう。今度なにか作ってみようかな。まずはとりあえず目の前の原稿やっつけてから

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June 08, 2007

au公式サイトで 新刊小説発売

携帯向けのミステリ小説が、au公式サイトで発売になったのを忘れてました。
au携帯をお持ちの方は、ぜひ一度ご覧くださいまし。

EZトップメニュー→カテゴリで探す→電子書籍・コミック・写真集→小説・文芸→幻想文庫→作家名で探す→松沢直樹

■真実に微笑みを(6・4発売)
the assassin
¥420

教会の奉仕者として活動する頼子は、
仕事を失って、酒浸りの生活を送る男・吉住を、
保護のために教会へ招き入れる。

だが、吉住は、頼子が信頼を寄せる関根神父に
接触を図ろうとする暗殺者だった。
すさみきった吉住に、献身的な奉仕を続ける頼子。
吉住はその姿に心を開き、回復していく姿を演じながら
着々と関根神父暗殺計画を進めていく。

そして、教会の聖堂でのミサに、
スーツ姿で現れた吉住は、ついに頼子の目の前で、
関根神父へ銃を向けるが……

隠されてしまった純粋な愛が生んだ悲劇。
交錯する憎悪がたどりついた真実がもたらす
希望と心の再生を描いた
ピカレスク・ミステリー


内容はさておいて、カバー写真がかっこいいんだこれがまた。
版元さんの許可もらってないんで、ここにのっけられないのが残念ですけど、アクセスするとプレビューできるみたいなので、よかったらぜひ

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June 03, 2007

水無月

6月のことを「水無月(みなつき)」というんだけど、雨が降る時期を「水が無い月」って呼ぶのも不思議だよね。

旧暦とは一ヶ月くらい、実際の時間の開きがあるから、必ずしもお天気のことを表してないのかも。

などと考えて、「みなつき」とワードで打ってみたら、「皆月」と変換されることに気づいた。

昔の暦にあてはめてみると、稲作のわずかな農閑期に入る時期でもある。
ひょっとして、「少し時間ができたから、みんなで集まってくつろごう」ということから「皆月」という名前が生まれたのかも。
そしてそのうち、農作物の成長のための雨を願うから「水無月」という名前になったのかもね。
僕の想像だけど。

6月には、夏越の祓え(なごしのはらえ)といって、夏を無事に過ごすために、神社でお祓いをしてもらう習慣があったそうだ。

時期は多少ばらつきがあるみたいだけど、今でもあちこちの地方でその風習が残っているようだ。

水無月というと、和菓子の水無月を思い出す。

外朗の上に小豆が乗っていて、三角形に切り分けられた珍しい和菓子だが、これは氷をイメージしたものだそうだ。

もともと室町時代ころまで、宮中では、6月1日に氷の節句というものが行われていた。

冬場に切り出した氷を、気温が上がらない山中に貯蔵しておき(氷室という)、夏の暑い時期に取り出して楽しむというもの。

この日に氷を口にすると、夏痩せしないと信じられていたようで、高貴な方々は、手足を井戸水で冷やしながら、氷を楽しんだという。

もっとも、冷蔵庫なぞない時代。

一般の人たちは氷など口にすることはできないから、氷の形をしたお菓子を楽しんだ。

それがこの水無月ということらしい。

暑さのせいで、食が細る時期だから、もち米の粉と小豆でできた水無月は、人々に夏を乗り切る力を与えたことだろう。

時代のせいか、和菓子屋さんでもご存じなかったり、取り扱いがないお店が増えた。

とはいえ、米や小豆だけで、涼やかな氷をイメージさせる造形と風味を作り出した、先人の独特の美意識を感じる和菓子である。

いろいろとお世話になった先生が、この水無月が好物だった。

ご指導いただく際に、神楽坂にある和菓子店によっては、水無月を買い求めたものだった。

今、考えれば、和菓子を手土産に下げたくらいで、日参して押しかけられたらたまったものではないだろう。
汗顔の至りだが、今、思い出してみると、改めて後進を指導するという先生の懐の広さを感じる。

残念ながら先生は、既に他界されてしまった。

今年は、水無月を賞味しながら、先生の在りし日を偲んでみよう、と思う。

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June 01, 2007

雨上がりの月夜

街を激しく叩く雨
なげくこともなく
叫ぶこともなく

ただただ
激しさを増す深夜の雨を見上げていた。

なけなしの一万円札はずぶぬれ
シャツもパンツもずぶぬれで
たちまち体も心も凍えた。

肌に抱いて守ったのはたった一つ

ぼくが
ぼくであって
ただ一人のにんげんであることと
ぼくの心の王国にいただく十字架だけ

手に持つものは
みすぼらしいものばかり

だけども
ぼくの内側には

いつの時代にも
どの国の人にも
決して与えられなかったまばゆい宝が輝いている

雨上がりの月の
なんと美しいことよ

見よ
我が王国は
雨上がりの澄んだ輝く空にある月のように

今、ぼくの心の内にある

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