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October 2006

October 30, 2006

東京国際映画祭閉幕

さてさて、10月21日より続いていた東京国際映画祭も終了しました。
今回は、いつも良くしてくださる方のお呼ばれでおじゃまさせていただいたのと、スケジュールの関係で、全編が見られた作品が限られてしまったのですけど、ダイジェストとかパンフを見る限りでは、ほんとすごい映画がそろってましたね。

特に、日本を含めたアジア映画は、人とその関係を描写した繊細な作品が多かったのが印象的でした。
もちろん、その中には、超娯楽大作みたいなものもあったのだけれど、総じてどこかにそういった空気が漂ってましたね。これはアジア共通の意識なのかな。
機会を逃してしまったのは残念ですが、資料がありますので、封切になったら、また再度見てみたいと思います。

さてさて、映画祭というからには、グランプリとか当然あるわけで、先ほど発表があったようですね。

グランプリ受賞作品「OSS 117 カイロ、スパイの巣窟」
ミシェル・ハザナヴィシウス監督

各賞
・東京 サクラ グランプリ 『OSS 117 カイロ、スパイの巣窟』 
・審査員特別賞 『十三の桐』
・最優秀監督賞 ジョナサン・デイトン&ヴァレリー・ファリス (『リトル・ミス・サンシャイン』)
・最優秀主演男優賞   ロイ・デュピュイ(『ロケット』)
・最優秀主演女優賞   アビゲイル・ブレスリン(『リトル・ミス・サンシャイン』)
・最優秀芸術貢献賞    『父子』(「アジアの風」コンペティション特別枠 *)
・最優秀アジア映画賞 『父子』
・日本映画・ある視点 作品賞  『ミリキタニの猫』
・日本映画・ある視点 特別賞   高良健吾(『M』)
・観客賞    『リトル・ミス・サンシャイン』
・黒澤明賞  ミロス・フォアマン、市川 崑

今回は、クリントイーストウッド監督の「父親たちの星条旗」をオープニングに、色々な国の文化や考え方を提示した作品が多数上映されていたのが興味深かったですね。

ムービースターを会場へお呼びしたレッドカーペットのイベントは、約17000人の方がおいでになったそうですし、上映の動員数も、広報から25万人弱という数字が発表されています。それだけ関心を持たれた方がいらっしゃったということですね。これはすごい。

映画だけでなく、どうしても外国の文化になじみがうすくなりがちな私たち日本人が、その映像を生み出した国の文化に触れるきっかけになるといいですね。

さてさて、私は、映画祭で公式上映されなかった新進監督さんの映像を見ています。あとは外国からまだ配給されていないすごい作品もね。

前の日記でも書きましたが、新進監督さん2名に独占インタビューしてますので、原稿まとめて掲載許可をもらい次第、ご覧いただきたいと思います。

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October 28, 2006

1000万ヒットを超えちゃうかも

ウェブで連載している小説COLORの第三章がようやく脱稿。

ヤフーのカテゴリ登録されたこともあってか、アクセスがすごくて下手すると1000万ヒットとかまで行きそうな勢い。ただただ唖然……ありがたいですけどね。(加えていうなら、きちんと改稿するので、企画を通してくださる出版社さんからコンタクトをいただくと、なおうれしいのですけど。ここを見てる版元様、どっか一つ前向きにご検討ください)

以前から思ってることなんだけど、ネットで長編小説書くのって難しいね。そもそも日本語って、縦書きで書かれることが前提にできてるので、長文になると、適度に行間を空けたりしないと、とても読みづらくなる。

くわえてこの作品は、フラッシュをフィーチャーした作品なので、それらの表現をトータルに考えた形で文章書いていかないといけない。

コア読者層も10代とか20代前半の人をターゲットにしているから、文体も変えないといけない。

いつもの僕の書き方とは違ってずいぶん一文が長かったり、くどかったりする箇所があるんだけど、プロデューサーと話し合って意図的にそういう方向にしてみた。
とりあえずはアクセスがのびてるみたいだから、「吉」と出たんだろうね。

とりあえず、プロデューサーに原稿を渡してOKをもらったので、ほっとしています。

さてさて、ほっとしている場合ではありませぬ。
東京国際映画祭で、新進監督さんに突撃インタビューした原稿をまとめないと。

大阪と、東京の東大和を舞台にしたある映画の紹介と、その監督さんをご紹介したいと思いますので、乞うご期待。プレス向けのDVDもらったんだけど、これがいい映画なんだ。

あとは、台湾の作品と、ひょっとするとフランスの作品もご紹介できるかも。
いずれも、掲載の前に原稿を開示して、許可をもらうことになってますので、少しお時間くださいね。

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October 27, 2006

東京国際映画祭プレス向け試写

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昨日は、六本木ヒルズで、東京国際映画祭のプレス向け試写を拝見してきました。

世界各国からの作品が集まっているというのに、スケジュールの関係で複数日おうかがいできないのが残念!
六本木と渋谷の会場で、素晴らしい作品が上映されているのですけど……ああ、この一週間全ての仕事をキャンセルして映画見まくりたい。

とはいっても、上映時間が重なってますから、物理的に不可能。
てなわけで、今回は、アジア映画に的を絞って拝見させていただくことにしました。

それでもスケジュールの関係で、全ての作品を拝見できないのが残念。

しかも、よりによって今日からティーチイン(監督や役者さん、スタッフなんかの舞台挨拶に加えて、直接質問をできる時間を設けるイベント)がわんさかあるんですよ。うう、残念です。

なぜ「アジア映画」かって?
えとね、個人的な考えなんだけど、映画の魅力って、やはり人物とストーリーだと思うんですよ。

CGを駆使したアクションシーン連続の娯楽大作も結構だけど、人の心に訴えかける求心力を持ち合わせたストーリーがコアになってる作品の方が、出演されている俳優さんや女優さんの演技も光って見えるように思えるんです。

撮影に携わっておられた監督さんをはじめ、スタッフのみなさんのエネルギーも力を与えているような気がするしね。

一概なことは言えないと思うんだけど、アジア映画は、そういった求心力と魅力を備えていると思うのね。

アジア映画のそういった傾向は以前から変わらないと思うんだけど、撮影機材の問題や、製作の資金調達や、できあがった作品を配給するルートとかの問題とかいったいろんな問題がありました。よしんば作品が完成しても、製作国以外では鑑賞できないケースもあったりしました。

ありがたいことに、ここ数年のデジタル撮影機器の発達&価格低下、作品自体を外貨獲得の輸出品と捉える国が増えたことで、製作から世界各国への配給といった障壁は改善しつつあります。

インフラや資本に左右されない環境が整ってきたおかげで、文字通り作品のガチンコ勝負という状態。これは見るしかないでしょう。

ああ、でも、あれも見たいこれもみたい。みなさまにお勧めするなら全編見るべきなのでしょうけどそれは無理。どうしたらよいものか。

ええい仕方ない。自分が全編見た映画と、資料やダイジェスト映像を見た中で、お勧めアジア映画を独断と偏見でピックアップしてみませう。

まずみなさまにお断りしておきたいのは、全ての作品が封切り前なので、作品のあらすじの全編や、詳しい紹介は書きません。マスクをかけます。

関係者の方にご迷惑もかかりますし、そもそも映画の醍醐味は、劇場で実際にスクリーンを通して作品に触れることだと思いますので。
ぜひ封切後、シアターに足を運んで、スクリーンを目の前にして、あなたのハートで、作品を鑑賞してみてくださいね。

あわわ、そんな制約かけちゃった中で、三品沈没寸前ライターが、作品の魅力をお伝えできるのかしらん? ええい、しゃらくせえ! いってみやしょう!

まずは、昨日、全編を拝見させていただいた作品ね

■世界はときどき美しい(2006 日本映画)
監督 御法川修
脚本 御法川修
製作 世界はときどき美しい製作委員会
キャスト
松田龍平 市川美日子 片山瞳 松田美由紀 柄本明
浅見れいな 瀬川亮 草野康太 木野花
遠山景織子 あがた森魚 尾美としのり
2007年 春 渋谷ユーロスペースをはじめ、全国順次公開

五章の物語から構成された作品。
それぞれの章で登場する人物の視点でストーリーが展開していくのですけど、ぼくたちが日常繰り返している生活の中に存在している、些細なようでいて、実はかけがえのないものが叙情的に表現されていますね。

加えて、漠然としていてつかみどころはないのだけど、みんなが時代を通じて共有している不安感とか、生きている中で毎日経験するやるせなさとかいったものが、叙情的に繊細な映像で表現された作品でしたね。

フィーチャーされている鈴木慶江さんのソプラノも、映像の一部に感じるくらい繊細。
鑑賞後、独特のカタルシスを感じるのは、たぶん僕だけではないでしょう。
どの章も印象的だったのだけど、個人的には松田龍平氏の「あるシーン」と、市川美日子氏の「あるシーン」、そして柄本明氏と尾美としのり氏がからむ「シーン」がとても印象的でした。

■夏が過ぎ行く前に(2006年 韓国映画)
監督 スン・ジヘ
脚本 スン・ジヘ
音楽 チェ・ヨンラク 
キャスト
イ・ヒョヌ キム・ボギョン クォン・ミン
インターナショナルプレミア上映

恋愛の狭間で揺れ動く女性の心をテーマにすえたアーティスティックな作品。留学先から帰郷したヒロインの「ソヨン」が恋愛を通して見せる心の動きや、台詞の行間に見せる表情が光る作品ですね。

韓国って、海外留学する方が多いのだけど、そういったお国柄の事情とか、彼の国の文化とか人々の生活観も見えたりして興味深かったです。

韓国映画って、「シュリ」とか「シルミド」とかいった、超娯楽大作が人気になった後、「冬のソナタ」のように、男女の間の繊細な空気感を描いた作品が量産されるようになったんだよね。
もちろんそういった作品も好きなんだけど、エンタメを意識した構成の作品がやたら量産されて「質のよいアーティスティックな作品が市場に送り出されなくなるんじゃないか」、なんて考えてたのが杞憂とわかってほっとしました。

鑑賞後に独特な酩酊感が得られたのもよかったし、なによりこういったアーティスティックな作品が製作され続けていることに、安心したかな。
それにしても、主演女優さん、すごい美人。演技力もあるし、これからの活躍をお祈りしたいと思います。

■アジアンタムブルー(2006年 日本映画)
監督 藤田明二
脚本:神山由美子
音楽:大島ミチル
製作 2006年「アジアンタムブルー製作委員会」
キャスト 阿部寛  松下奈緒 小島 聖 佐々木蔵之介 村田雄浩
小日向文世 高島礼子

小説家「大崎善生」氏の同名小説の映画化作品。
アダルト専門雑誌を刊行する出版社で働く編集者「山崎隆二(阿部寛)」と新進カメラマン「続木葉子(松下奈緒)」が描く、かけがえのない時間をテーマにしたラヴ・ストーリー

実は原作の大ファンなんです。はい。そんなわけで、恋愛をコアにして、複数のテーマを繊細かつ、複雑に織り込んだ原作を一体どうやって映像化するのか、大変興味がありました。

阿部寛さんと松下奈緒さんの演技が、繊細さと独特な透明感のある原作を、うまく再現していましたね。いや、原作と別の輝きを放つ「上質な大人のラヴ・ストーリー」に仕上がっていたという表現のほうが適切でしょうか。
二人の関係に強くスポットを当てることで、原作で表現されていた恋愛以外の様々なテーマがより強く輝いていて、繊細な空気感を表現していたのは、驚きました。

なにより、「隆二」を演じる阿部寛さん、「葉子」を演じる松下奈緒さんが、作品全体を通じて台詞の行間で見せる演技や表情がすばらしい。

二人がかもし出す「ゆっくりと近づいていく男女の距離感」や、「愛する男性に接した女性の嬉々とした感情」や、「女性を支えようとする男性の不安や弱さをかみ殺した独特な感情」「揺れ動く自分の中でうごめく嫉妬を押さえる女性の感情」を見事に表現していたと思います。

ラストに描かれる「真摯に生きることを見つめた人だけが放てる純粋な愛情に満ちた言葉」が、この作品のエッセンスを見事にとらえていますよね。(試写の際、隣席のフランス人記者に「涙を拭きたいんで、ティッシュくれないか?」とせがまれました)

名優・名女優と呼ばれる方が、この作品を支える役を演じていらっしゃるのもうなずけます。青春のほのかな香りを残したみずみずしい大人のラヴ・ストーリーと言えるのではないでしょうか。
パートナーのいらっしゃる方は、お二人で見るとまた違ったものが見えてくるカモ。
ぜひ劇場にお出かけなさってみてくださいね。

■ああ、この作品も見たかった
他の仕事のスケジュールと重なっていたり、上映時間が重なっていて、どうしても見られなかった作品もたくさん。
特に今回は、アジア各国の映画が目白押しだった上に、インターナショナルプレミア上映もたくさんあったので、ぜひぜひ全編を見たかった作品が山ほどあったのですが、無念でござる。

その作品もあげればキリがないのだけれど、ピックアップして付記したいと思います。
(特にインターナショナルプレミアを中心にね)

■青燕(2006 韓国映画)
監督・脚本 ユン・ジョン・チャン
キャスト チャン・ジニョン キム・ジョヒョク
日本と併合されていた朝鮮半島に実在した韓国初の女性パイロットを
モチーフにした作品。
日本に渡り飛行学校に入校した彼女のたどる短い生涯の中で、様々な人間模様を描く

昭和史や第二次大戦をテーマにした作品を書いているので、特に関心がある作品ですね。偶然なんだけど、戦時中の日本のパイロット養成をモチーフにした「1920年に彼は生まれた」という掌編作品を僕も書いているので、ぜひ見てみたい作品です。

■シルク(2006年 台湾作品)
監督・脚本 スー・チャオピン
キャスト チャン・チェン 江口洋介

科学者の発明したマシンを使って、アパートに取り憑いた少年の霊とコンタクトを試みる日本人博士と捜査官をコアにしたサスペンススリラー
あの江口洋介がホラー作品に! それだけでも話題満載なんだけど、SFを母体にしたストーリーをきっちり描ききった上に、その中で構築される人間関係がうまく表現されているのが魅力ですね。

そのほかにも、ああ、あれもこれも
シンガポール、マレーシア、インドネシア、フィリピン、インドとかの映画もみたかった。

ベルナールチャウリー監督の「グッバイボーイズ」とか、ジェームスリー監督の「私たちがまた恋に落ちる前に」とか、ヤスミン・アハマド監督の「マクシン」とか、ニア・ディナータ監督の「分かち合う恋」とか、ジェフリージェトゥリアン監督の「クブラドール」とか、カランジョーハル監督の「さよならは言わないで」とか あげればキリがないっす。

ああ、体が三つくらいあったらなあ。ついでだから、だれか今週一週間時間を巻き戻してくれ~!

さてさて紙幅も尽きたようですので、今日はこの辺で。

前回、ちらとご紹介させていただきましたが、日本人監督さん2名にインタビューさせていただいていますので、次回は、作品の紹介を交えながら、ご覧いただきたいと思います。
原稿を書き上げた後に、掲載許可を改めていただく予定になってるので、ちと時間がかかるかも

その分、内容を濃くしたいと思いますので、乞うご期待!

コラム書くから読むのよっ!(なんか、おすぎさんみたい)

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October 25, 2006

本日は六本木より中継

本日は東京国際映画祭の取材2日目
日本映画「世界はときどき美しい」、「アジアンタムブルー」の
プレス向け上映を拝見してきます。

他にはアジア作品も拝見する予定ですが楽しみですな。

加えて、本日独占インタビューに成功した日本人監督2名の追加取材と、
他の作品も取材も決行したいと思います。

掲載許可をもらっている作品もありますが、
事前に原稿を開示して改めてお許しをもらうお約束になってるので、
少々お時間かかるかも。
その点はご容赦くださいませ。

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東京国際映画祭プレスルームより

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さてさて、六本木へ。
六本木とか麻布って、20代前半のころ職場だった時期があって、懐かしいのですけど、ずいぶん変わったな~

麻布とか15年前くらいまでは、地下鉄がなくて、浜松町あたりからバスで職場に通ってた覚えがあるんだけど。 (ちがったっけ)
ちょうどバブルまっさかりの頃だから、土地だけは異常に高いけど、なんか生活観のある街だったんだけどな。ちょっと裏道に入るとそういうところがまだ残ってたので、ほっとしました。

さてさて、六本木ヒルズの東京国際映画祭へ。拙者、話題のIT企業からお仕事をいただいているにもかかわらず、IT企業の聖地、渋谷・六本木へは足を運ぶことが滅多にありませぬ。
おまけに生来の方向音痴ときたもんだ。

はい、見事に迷子になりました。
事前にメールでご案内資料いただいていたのに、係の方数人にお世話になって、プレスIDカード(報道関係者用の身分証明書です)をようやく受け取ることに

プレスIDカードをカウンターでいただいたら、あら?
あちこちに映画会社やら広告代理店のブースが出てる。

そかそか、関係者からしてみれば、作品を通じたビジネスの場でもあるんだよねえ。

僕はプレスとしても仕事してますが、同時に原作者でもあるので、ちゃっかり自分の作品を売り込みに回りました。(ハイ、ここぞという時に、しっかり打ちに行く男です)
国内のTV局や広告代理店、フランス、インドネシア、台湾、香港などにしっかりアタックしましたです。

覚悟はしてますが、原作を売り込むってのは大変ですなあ。

インド政府系列の会社で、インドの製作関連の方と休憩ブースで、お話をする機会があったのですけど、同様の意見をいただきました。

日本って不思議な国で、どこからともなくいい作品を作るクリエーターが出てくるんだけど、それをビジネスにしようという仕組みがものすごく弱い。
世界視野で見た場合、多くの観客の支持を取り付けられると思われる作品がどんどん埋もれていってしまっているという現実があります。

アメリカとかは、その全く逆で、作品コンテンツをビジネスにするシステムが既に出来上がっていて、世界視野で狙えるコンテンツを専門家が常に探して回ってる。

著作者との交渉も実にスマートだ。
お金の話も忌憚のない話をするし、作品をビジネスに乗せる上でのリスクや色々な問題をきちんと提示して、契約書を交わす。

ビジネスライクといえばそれまでなんだけど、出資者を集めたり、広告、世界への配給といったシステムは、作品を作る方や観客の方にとっても幸福なものだと思いますね。

政府関係者の方ともちょっとお話したのだけど、ようやく著作物を外貨獲得が可能な輸出品、つまり、日本がいままで車や家電製品を輸出してきたように、小説や映画といった著作物を輸出品として認識できるようになってきたようだ。
今後の展開に期待したいです。


話を作品の方へ。

今回の映画祭は、先日書いたクリントイーストウッド監督の「父親たちの星条旗」渡辺謙主演の「硫黄島からの手紙」の対比が僕としては興味があるのだけど、アジア映画がたくさん集まっていることがとても興味深い。

僕の世代だと特にそうなんだろうけど、多くの人が、戦後の対アメリカ外交の影響もあって、政治宣伝的な部分が見え隠れするアメリカ製「ホームドラマ」とか「アニメ」なんかを見て育ってます。

そういうこともあってか、アジア映画は新鮮だし、また同じアジア人して、俯瞰して作品を見ることができるから、アジア各国の映画のよさが見つけられるような気がします。

てなわけで、今回は私の独断と偏見で、アジア映画を中心に取材することにしました。まあメディアとか媒体から依頼があったわけでなし、ここは私のわがままを貫いていいんじゃないかな。

この記事の冒頭にも書いたけど、アジア作品は多くの観客の心を打つと思われる良い作品であっても、出資や配給の関係から、なかなかビジネスに乗らない作品も多い。
外国のプレスの方と押し合いへしあいしながら、目を皿のようにして、作品を探してきました。

そのうち、日本人監督2名に独占インタビュー成功。

掲載許可をいただくことができたので、他にも許可をいただいた外国作品のレビューも含めて、後日掲載させていただきますね。

写真は、六本木ヒルズ40階からの絵
一眼レフとか持っていってたんだけどさ。プレスID持っていても、ブース全体の写真は許可もらわないと撮影できないんで、ちょっと無理だった。
とりあえずこれでカンベンしとくれ。

詳細は後日。夜が明けたら、日本映画を含め、アジア映画を見てまいります。

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東京国際映画祭におじゃましてきました

ご好意で、プレスIDを発行していただけることになりまして、東京は六本木で開かれている東京国際映画祭を取材させていただけることとなりました。(ありがとうございます。しかしいいのかな、メディアに寄稿もできない三品ライターがおじゃまして)

スケジュールの都合で、父親たちの星条旗を拝見できなかったのが残念ですが

第二次大戦をテーマにした作品は、興行的にはそれなりに成功を収めたパールハーバーも拝見させてもらったことがある。

しかしまあ、史実とはまるっきり違ったしろものだし、何を表現したいのかが今ひとつ汲み取れなかったです。
(それだったら、テーマ的に見ても、撮影技術的に見ても、シン・レッドラインの方が素晴らしかったと思うけどね)

今回の東京国際映画祭のオープニングを飾った「父親たちの星条旗」は、第二次大戦中、東京の南にある硫黄島で繰り広げられた激戦を描いたもの。

日米両軍が激戦を繰り広げる中、文字通り歴史を変えてしまう戦いをアメリカの視点で描いたものですが、なんと監督があの名優クリントイーストウッドだというから驚き。

イーストウッド監督は、「もし戦争がなかったらもっと長く生きられる人たちだった彼らのために敬意をこめた」と語っている。

同時に、同じ硫黄島での戦争を日本側の視点で捉えた「硫黄島からの手紙」という映画(日本語)も二部作として公開する。
主演は日本の名優「渡辺謙」 こちらも見ごたえのある作品のようだ。

プレスに対して、イーストウッド監督は、日米双方の側の物語を伝えるこれらの映画を通して、両国が共有する、あの深く心に刻まれた時代を新たな視点で見ることができればとコメントしている。

国際情勢が不安定な時代だから、また見えてくるものがあるのかもしれないね。

さてさて、今回は世界の映画が目白押し。拙者は、他の作品を拝見してきます。
差し支えない範囲で、この日記でも書かせていただきたいと思いますので乞うご期待(いいのか?)

コラム書くから読みなさいっ!
(なんか「おすぎ」さんみたい)

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October 24, 2006

長崎から平和が伝わりますように

核兵器廃絶に向けて、長崎市で開かれていた「第3回核兵器廃絶-地球市民集会ナガサキ」が23日終了したそうだ。
「北東アジア非核兵器地帯の設立を」などといった主張を盛り込む「長崎アピール2006」が採択されたらしい。とても好ましいことだと思う。

「いかなる国も核兵器で安全保障をという考えを捨てるべきだ」といった主張や、「北東アジア非核兵器地帯の設立を」という意見が印象的だと思う。

北朝鮮が核実験を行った時期だから、冷静に判断していただけるか心配だったが、それは杞憂だったようだ。「いかなる力の行使にも反対し、6カ国協議及び2カ国協議への復帰を基礎とした平和的解決を求める」といった項目が盛り込まれているのには、安心した。難しい問題だし、理想論になるのかもしれないが、武力行使にいたることなく、解決に  向かってほしいと思うのは、どの国に住む人も同じ考えだろう。

何より恐ろしいのは、核が実戦で使われた事実が風化しつつあることだ。
広島や長崎の人は、第二次大戦中に投下された核兵器の被害を声高には叫んでいないと思う。自らの受けた痛みを繰り返さないことを望んでいる声がほとんどだろう。
それは、現実を知る人だからこそできる、恩讐を越えた警告でもあり、愛でもあると思う。

核の実態を知ってほしいと思う。
人が人を殺す「戦争」の中でも、人は学び取れるものがあるのだと思う。
だけど、兵士が直接敵対することなく焼き尽くしてしまう核は、戦争ですらない。

戦争という極限の中、多くの民間人が犠牲になったのは事実だし、様々なものを焼き尽くしてしまう核の現実を、世界中の人々は客観的に見て欲しいとおもう。
日本人は、過去の核の被害を訴えているのではなくて、核が未来を破壊する危機を警告を発しているのだから。

61年前、この国で起きた惨劇を知らない人は、ちゃんと事実をみつめてほしいと思うな。

今年の8月9日にブログに寄稿した記事があります。
ぜひ読んでいただいて、戦争の悲惨さや核のもたらすむごさを知って欲しいと思います。

http://nomichan2001.cocolog-nifty.com/epsiloncafe/2006/08/post_bdca.html

機会があったら、原爆をテーマにした拙著「ぼくたちの空とポポの木」も読んでいただけたらと思います。
戦争が終わった30年後のお話ですが、それでもまだ核がもたらした悲劇は続いていました。もっとも悲劇といっても、決して凄惨なものではありませんが

作品の中で展開していく今とさほど変わりのない生活の中で広がる問題を見つめていただくと、いかに私たちの住む時代が危ういものかが、見えてくるのではないでしょうか

★ぼくたちの空とポポの木
http://www.dotbook.jp/dotbook/details.php?id=machi_00031


ん? こりゃ宣伝になるか。あはは^^;

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October 23, 2006

シャリアピンステーキと日本の博愛主義

シャリアピンステーキという料理がある。叩いてのばした牛肉を、すりおろしたタマネギに浸した後、焼き上げるという料理だ。

すりおろしたタマネギは、新たに刻んだタマネギと混ぜて炒め、ステーキの肉汁とともにソースにする。牛肉のやわらかさとタマネギの甘味がひきたつ、独特な風味の料理である。

シンプルな料理である。だが、腕の立つ料理人なら、素材の旨みが最大限に引き出されて、うなるような味わいになる。実際、炎を自在に操る料理人が焼いたものをいただいて、その味の奥深さに驚嘆したことがある。

ずいぶん奥深い味のするこの洋食、実は日本で生まれたものだそうだ。

東京の帝国ホテルに、ロシア出身の声楽家フョードル・イワノヴィッチ・シャリアピンが宿泊した際のこと。シャリアピンは、やわらかい肉料理をホテル側にリクエストした。

当時の料理長であった高山福夫(後の筒井福夫)氏が、シャリアピンのリクエストに応える形で発案したものが、後に正式メニューになったのだとか。

発案されたのが1936年(昭和11年)というから、当時から日本が外国文化に親しみ、世界に通用する素晴らしい創造性を発信していたことが理解できる。

その帝国ホテルに宿泊した外国人ゲストが残している回想録に、興味深い一節がある。

米国のハーバード大学で博士号を取得された黒人解放運動の指導者W・E・B・デュボイス博士(アメリカの黒人でははじめてハーバード大学で博士号を取得された方でもある)が、米国の新聞に寄稿したコラムだ。1936年のこと。 ちょうどシャリアピンステーキが生まれた年である。

 デュボイス博士が東京の帝国ホテルでチェックアウトする際に、支払を済ませようとしていた時だった。博士の前にアメリカの白人女性が、さも当然というように割り込んだ。

当時、アメリカではかつての南アフリカのような人種差別が蔓延しており、列を割り込んだ白人女性の行動は、さほど珍しいことではなかったらしい。


 実際の話、今でも外国では同様な対応をホテル側から受けることがある。さすがに最近ではあからさまなものは少なくなったが、こういった対応がいまだにまかり通っているのは、日本人を含めた有色人種への蔑視が残っているのだろう。

異国の地で、本国でさいなまれている問題を思い出す出来事に遭遇したデュボイス博士の落胆は、想像にかたくない。

ところが、ホテル側の対応は、博士の想像とは全く違っていた。
ホテルのフロント係の女性は、ホテルマンとしての礼節こそ失わないものの、毅然とした態度で、列を割り込んだ女性から求められたリクエストを断った。そして、デュボイス博士への対応を続けたのである。

博士が支払いをすべて終えると、彼女は深々とおじぎをし、それからやっと列に割り込んだ白人女性の対応をはじめた。


彼女の対応に、本国で差別に苦しめられていた人たちを目の当たりにしてきたデュボイス博士が、自由と平等、そして博愛の精神が日本に浸透していることを実感したのは、想像に難くない。
博士が残した回顧録の中には、その感動が読み取れる。

このエピソードは、フロント係の女性の個人的な信条に基づくものばかりではないようだ。

1923年の関東大震災の際、米国の新聞に投書された読者からの意見で、アメリカ在住の黒人に、日本を支援する運動が広がった経緯がある。

関東大震災の報をアメリカで知った一人の読者から広がった「同じ有色人種を救え」という主旨の投書は、瞬く間に広がり、多額の寄付が集まった。

当時の万国黒人地位改善協会は、大正天皇に災害を見舞う丁重な電報を送り、また多額の寄付を行っている。

悪夢の第二次世界大戦中においても、日本の姿勢は変わらなかった。
ナチスドイツから迫害を受け、国外へ逃げようとしたユダヤ系の人の保護を「国」として行ったのは、日本だけだった。

リトアニアの外交官であった杉原千敏氏が手書きでビザを発給し、多くのユダヤ系の人を救った話は有名である。
だが、杉原氏だけではなく、他にも同様な行動を行った政府の要人たちがいたのはあまり知られていない。

満州国にユダヤ系の難民をかくまった樋口季一郎少将もその一人であろう。
また、当時満州に走っていた満州鉄道を使い、無賃でユダヤ系の難民を搬送することを決定した人物の中に、戦後、A級戦犯として処刑された東条英機がいたことはあまり知られていない。

また、日本を経由してアメリカや他国へ出発するユダヤ系の人を助けるために、生活が苦しい中、日本への上陸を手伝った福井県敦賀市をはじめとした日本海側沿岸の市民。

そして外国へ向けて出発するユダヤ系の人たちを太平洋側まで送った市民、そして出港を見送った神奈川県横浜市をはじめとした、太平洋側の多くの日本の市民の対応のあたたかさに、当時のユダヤ系の人たちは、心から勇気付けられたと回顧録を残している。

これらのことを考えると、当時すでに日本には、アメリカやヨーロッパが持ち合わせていなかった平等と博愛主義が浸透していたという見方ができるように思う。

もちろん、心無い行為を行った人もいたのは事実だし、戦時には、当時の国際法に違反する行為もあった。
また、人道的に問題とすべきこともあったのも事実である。
だが、それらの事実を俯瞰し、当時のアメリカやヨーロッパと比較してみると、日本には公平で博愛主義的な考え方が浸透していたのは理解できるように思う。

国際情勢が不安定な様相を見せる中、日本が61年前に経験した戦争についての批判や、自国の防衛のための軍備再編について盛んに論議が繰り広げられている。

北朝鮮の核実験のタイミングと合間ってか、核武装についての意見が物議を醸しているようだが、私はよい機会なので、様々な意見を持つ方が、徹底的な論議を行うべきではないかと考えている。

かつての戦争に突入した際がそうだったように、一つの意見しか聞こえなくなってくることは極めて危険な状態だと思うからだ。

またこれらの問題を論じ合う中で、日本が教訓とすべき、正や負の歴史的事実を掘り起こすことで、日本が失ってしまった精神的・社会的財産を知るよい機会になるのではないだろうか。

それらに触れた後、みなが選択した意見が、現実に即したものであって、なおかつ国民の生命と財産、そして、戦前・戦後を通じて願い続けてきた自由と平和を守るものであることを願いたい。

そして、今は私たちが忘れてしまった、分け隔てなく他者を心から思いやり、道徳を尊重し、他国から尊敬を集めるほど素晴らしかった努力を惜しまない勤勉で実直な姿を取り戻してほしい、と思う。

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October 20, 2006

Sonnet35

もうそれ以上自分を責めない方がいい

溜め息が漏れるほど、美しい薔薇にだって
棘がある。
神の慈愛に等しいくらい澄んだ泉の底にも、
泥が満ちている

永遠に照らし続ける太陽や月だって
雲や、満ち欠けを引き起こす力の前では
屈せざるをえない。

これから花開く美しい蕾だって、
内側は虫食いだらけかもしれない。

常に正しい人間などいない。

僕だって
君が犯した過ちを無理に許そうとして
その影で自分の心の底に眠る罪を
捻じ曲げようとしている。

正直、自分がなぜこんなに苦しんでいるのか
わからない。

こんなことを考えること自体が
君の求めを押しとどめなかったことへの
言い訳なのかも
しれない。

自分の中で問い詰めてみても
欲望と純粋な愛情の入り混じった
複雑な気持ちしか見えない。

ただはっきりしていることは

そのどちらの気持ちも
自分の本当の気持ちだということだ。

William Shakespeare
ウィリアム・シェイクスピア ソネット35より
対訳(というか、かなり飛躍した意訳だが) 松沢直樹

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October 16, 2006

国連軍の日本での活動は事実上の開戦準備なのか?

北朝鮮の核実験の話題で持ちきりの数日だった。

核実験を行った事実が完全に立証されたわけではないようだが、
大気中の塵などから、放射性物質の観測も確認できたらしい。

また北朝鮮政府自体が、さらに核実験を行う発言をしているため
それに向けて、国連軍の動きも活発になっているようだ。

想像したくはないが、最悪、交戦状態に突入した場合を
想定してのことだろう。

去る12日のこと。
在日米軍基地であるキャンプ座間(神奈川県)の
国連軍後方司令部が、国連軍機として、英国空軍の多目的輸送機「VC10K3」2機が
沖縄県の嘉手納基地に飛来したと日本政府に通知していたことを公開した。

解釈によっては、事実上、国連軍が開戦の準備を進めているとも取れる。

この動きについては、当然色々な意見があると思うが、少なくとも日本政府は
仮に反対意見の意思を持っていても、法令の関係上、国連軍の基地使用を
拒否することができない。

日本では、あまり知られていないが、国連地位協定という協定が存続しており
国際連合の軍隊(したがって今回の事例のようにアメリカ軍とは限らない)が
有事の際に、日本の施設を利用できるという法律が存在する。

※根拠法
日本国における国際連合の軍隊の地位に関する協定の実施に伴う土地等の使用及び漁船の操業制限等に関する法律(昭和二十九年六月一日法律第百四十八号)


この条文(例のごとく法律の条文は、素人である私には理解しにくいのだが)、素直に条文を解釈すると、国連軍が日本の施設を利用しようとする場合、日本政府はいかなる理由があっても、拒否できないと解釈される。

この法律が制定された経緯は、第二次世界大戦や朝鮮戦争の歴史について述べる某大な紙幅が必要になるので割愛する。
だが、国際社会から、半ば強引に押し付けられたような形で制定された法令が成立したその経緯を追うと、当時の日本の苦悩や、戦争の頻発に頭を抱えていた国際社会の苦悩がうかがえるような気がする。

今後の北朝鮮問題がどのように動いていくのかは、不明である。
国連軍が最悪の事態を想定して行動を行うのは理解できるのだが、交戦状態を避けたいというのは、日本はもちろん、地続きである大韓民国や、国際社会の多くの国の一致した意見だろう。

ただ、多くの専門家の意見の一致に見られるように、彼の国は、政府が軍隊をコントロールできない状態になっている可能性もある。
もし、そうだとしたら、国際社会との歩調を合わさせることを考え、多方面から外交政策を投入することを検討してほしいと思う。

人道的・倫理的な視点とは別に、純粋に極東各国の国益だけの視点でこの問題を考えた場合、仮に交戦状態に突入するカードを選択すると、人命の損失だけでなく、外為や各国企業の株式を扱う市場の混乱なども想定される。

また、戦後処理などに、日本をはじめ、国連加盟国などは相当の問題の解決を求められることが明白である。
当然、その後派生的に発生する問題も解決していかなければならないだろう。

少なくとも、かつて第二次世界大戦終結直後に発生した朝鮮戦争の時のように、大量の消費によって景気が回復するなどといった、短絡的な発想はできないと思う。

安全保障を考えた場合、日本が検討すべきことは、国内への北朝鮮船籍、もしくは北朝鮮経由で入港してくる船の臨検だろうか。(あまり考えたくないが、核攻撃などを日本に対して実行するとしたら、一番可能性が高いのは、船で運搬を行い到達させる方法である)

法整備などの問題や現実的な作業の観点から、現時点では自衛隊や海上保安庁が行使できない可能性が高いが、様々な視野から行使の可否について考えて必要に応じて法整備を行う必要があると思う。

それに加えて、なにより効果的と思われるのは、北朝鮮に住む方たちの、生活支援ではないだろうか。
外交政策の一環として考えた場合、タイミングや具体的な方法が、極めて難しいと思う。

だが、対日輸出が140億円ほどしかない上に、外貨獲得手段のほとんどのパーセンテージを占める「海産・農産物」「石炭」などの輸出が差し止められてしまっていることを考えると、かの国に住む一般の方たちの生活は極限状態に達しているはずである。

この点を外交カードにして、なおかつ彼の国の一般の方の生活を回復させる方法を検討できたら素晴らしいと思うのだが。(もちろん、一筋縄ではいかないことは十分承知しているが)

加えて、彼の国と取引を行って事業収入を行っている企業が打撃を受けていることを考えると、この点は非常に重要ではないだろうか、と思う。

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October 09, 2006

「ごぼう天うどん」と「サンマー麺」の謎

広島の方にお聞きして知ったのだが、、
彼の地では、我が故郷「北九州・福岡」ではなじみ深い「ごぼう天うどん」がないらしい。

福岡・北九州の方は説明するまでもないだろうが、他の地域にお住まいの方のために少々説明を。

「ごぼう天うどん」とは、ささがきにしたごぼうをかき揚げにしたものを乗せたうどんのことです。(地域によって少々スタイルが異なるようですが)

博多といえば、ラーメンがすっかり全国区になった。
ところが、うどんも同じくらい地元で食べられていることは、あまり知られていないようだ。

はっきりとは分からないが、少なくとも博多ラーメンが広く食べられるようになったのは戦後のことらしい。

(博多ラーメンの起源は、「福岡の南部の街・久留米起源説」「台湾から引き揚げてきた方が創作したレシピ」など諸説あるが、白濁したスープが特徴であることを見ると、戦前日本が植民地化していた台湾か、大陸料理がベースになっているのではないだろうか)

それに対して、うどんは、それより以前から博多の人たちに、好まれていたようだ。

福岡出身の作家「夢野久作」が、1928年に発表した「斜坑」という作品に、「下の町の饂飩(うどん)屋に住み込んだ」という一節がある。
これらを見ると、おそらくうどんの方が、古くから博多の人に親しまれてきたと思われる。

(「斜坑」では、舞台になった町が明記されていない。だが、登場人物の会話などから、おそらく炭鉱が多かった福岡の筑豊地区あたりをモデルにしたのではないだろうか。)

福岡のうどんは、コシの強い四国の讃岐うどんや、秋田の稲庭うどんとは違って、やわらかく茹で上げた麺が好まれる傾向がある。

15年ほど前になるだろうか。
東京ではじめて讃岐うどんを食べた時、経験したことのない麺のコシの強さに、「生煮えやないか~!」と内心毒づいたことがある。

はなはだ失礼な話だが、「讃岐うどんブーム」なるものが起こるはるか前のことだし、東京でも、当時は全国の名物を、口にできる機会は少なかった。

すっかり身体になじんだ食味を越える、新しい食感を理解できなかったのも、仕方ないのかもしれない。

現在では、宅配便やネットが普及したおかげで、日本全国、はては世界中の食材や料理を楽しめるようになった。

「食」のグローバル化(?)が進むのは、時代の流れなのだろうが、反面、特定の地域にどっしりと腰をすえながら、なおかつ地域の人たちに愛され続ける料理もある。

冒頭でお話した「ごぼう天うどん」もそうだろう。

この「ごぼう天うどん」、不思議なことに、大分などの陸続きの地域には広がりを見せながら、わずか1キロメートルにも満たない関門海峡を越えて、山口県に入ると、どういうわけか、扱われる店が極端に減っている。

僕が調べた限りでは、山口県の岩国市より東では、ほとんど食べられていないようだ。(30年前は、海峡を越えてすぐの下関でも、ほとんど見かけることがなかったような覚えがある)

これと同じような現象が、日本のあちこちでも見られるようだ。

たとえば、神奈川でよく食べられている「サンマー麺」というラーメンがある。炒めたもやしをあんかけにしたのが特徴のラーメンだが、この料理も、ごぼう天うどんと同じく、多摩川を越えて東京都に入ると、扱われている店が極端に減ってしまう。

神奈川と東京は、一日の間に下手すると百万単位の人が行き交っていて、地域文化が空洞化していくように見えるが、このような食文化が根強く残っているのは興味深い。

太古の時代、神道から由来した産土神(うぶすなのかみ)と呼ばれる土地由来の神が信じられていた時代があったそうだ。

人々は、自分たちの暮らす土地から生まれた食物が、自分たちの体に入り、生命を養うことを、産土神と契りを結び、神の力を体に「乞う」神聖な行為と考えたらしい。

(余談だが、日本語の「恋」という言葉は、相手の心を自分のものにするという意味から来ており、もともとは恋愛だけを指す言葉ではなかったらしい。食事をしたり、祈りをささげることで、神の力を自分の肉体と精神に「乞う(自分のものにする)」という考えから来ているようだ)

そんなことなど、もはや信じる人は誰もいない時代になった。

だが、「ごぼう天うどん」や「サンマー麺」のように、ある土地にしっかり根を下ろして、人々に愛され続ける料理には、何かがあるように思える。

ひょっとすると、形を変えた産土神が、料理の中に宿り続けて、その土地に住む人に力を与え続けているのかもしれない。

なんてこと書くと、すごくまともに見えるばってん、要はうまいもの食べたいだけやったりして……

ええ、ええ、おいしいもの大好きです。

よしんばこのまま作家生活を続けて、70くらいまで生きられたら、海原雄山のような、おいしいものだけ食べ倒す人になってやろうとか考えています。

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October 08, 2006

ハッピーマンデーって?

と尋ねたら、呆れられました。

明日は体育の日で祝日だったのね。
で、世間様は3連休だったのね。し、知らなんだ。

体育の日は、10・10だと思っている人って、
何人くらいいるのかな。

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October 07, 2006

くらくらしてました

今日の関東地方のお天気すごかったですね。
気圧の変化がすごくて、じっとしてても
なんだかくらくらしてました。

台風の影響もあるらしいですけど
今年はなんか、ほんとにお天気がおかしいですね

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October 05, 2006

書き物は続く

あれこれ締め切りラッシュが続いて
気持ちに余裕もない昨今ですが
ようやく少々時間が取れるように。

暑さもようやくやわらいで
秋らしくなってきましたねえ。ふむ。

今年の夏はさ
関東地方はあまりにも暑さが激しくて
生まれて初めて夏ばてしましたですよ。

みなさん大丈夫でした?

加えて取材の連続なんかで、すっかりきりきり舞い
でしたけど、少々余裕がでてきたので
秋は楽しみながら書き物を続けたいと思います。
ビジネスで依頼を受けたものも、自分の作品もね

あとはいろんなイベントの取材とか、料理の取材とか
そういう自分にとっては、お金ももらえて
癒しも得られるという楽しい秋になりそうです。

イベントの取材とかは、いろいろでかけるのですけど
今年は東京国際映画祭の取材許可をいただいたので
映画好きのマツザワとしては、いまからわくわくしてる次第です。

六本木ヒルズで、開かれるイベントなのですけど
世界各国の映画が集まるらしいので、楽しんできたいと思います。
追って、また記事を書かせていただきますね。

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