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August 09, 2006

長崎原爆忌

Machi_00031_6

北九州が舞台になった原爆を題材にした拙著 児童向け小説「ぼくたちの空とポポの木」のテーマである長崎の原爆投下の日から、61年目の朝を迎えました。

僕が住む関東地方は、台風の大雨と、
厚い雲が空を覆ってしまっていて何も見えません。
61年前の運命の日も、こんなお天気だったのでしょうか。

ちょうど61年前のこの日、原爆を搭載した米軍のB29爆撃機
「ボックス・カー」は、グアム島の近くにあるテアニンの基地を
飛び立ち、僕が生まれた街・北九州の小倉に向かっていました。

奇しくも、61年前のこの日の小倉の空は
前日の八幡大空襲の煙のために
地上が確認できないほど曇っていたため、
急遽、攻撃目標が長崎に変更されたそうです。

広島に投下されたウラン235型原爆の2倍以上、
TNT火薬22キロトン相当の破壊力があるといわれていた
プルトニウム239型原爆・ファットマンは、

一瞬にして長崎の市街地を焼き尽くし、
死者・負傷者14万人、消失面積6,702,300m2
全焼全壊計約12,900棟という被害をもたらしました。

また、爆発の際に放出された放射線の影響で、
現在も後遺症と戦っている方が
たくさんいらっしゃいます。

NBC・長崎放送の記者として活躍された伊藤明彦さんは
ご自身の被爆体験を通して、
1971年より、全国を訪ね歩いて
ヒロシマ、ナガサキの被爆者の方284人の証言を、
音声ファイルに収めていらっしゃいます

被爆者の声 ヒロシマ・ナガサキ 私たちは忘れない
※クリックすると、音声ファイルを納めたホームページに
ジャンプします。ぜひ一度ご高覧ください

当時は、現在と社会環境が違った部分があったとはいえ、
家族や地域社会の人たちと生きていく「生活」の本質は
現在と変わらなかったはずです。

様々な年齢、そして様々な社会的立場にあった方たちが
述べられる61年前の生々しい体験は、この問題が
決して過ぎ去った過去の危機ではないことを
伝えているように思います。

同時に、経済が一国の政治の力すら凌駕する
する力を持ち始めた現在の社会に住む私たちは、
この問題が、私たち日本人だけの問題ではなく
今も続いている危機であるということを伝えていかなければ
ならないように思います。

61年前の長崎の街を、私は見たことがありません。

訪れた人を暖かく迎えている
異国情緒の街・長崎のシンボルともいえる
浦上天主堂は

暖かく澄み切った荘厳な空気の中、
静かに人々をみつめているかの
ように見えますが

原爆投下によって倒壊し、
再建された時期があったのですね。

残念なことに
イエス・キリストに導かれ
洗礼を受けたクリスチャンであった大統領の命によって
浦上天主堂は、

同じ神を信じた多くの尊い命とともに、
天へ帰ることとなってしまったのでした。

イエス・キリストが十字架にかけられ
磔刑の後、復活の奇跡を人々に示したように
浦上天主堂は、今は復活した美しい姿を見せています。

当時の面影は、やはり薄れてしまっているそうですが
焼け焦げたアンゼラスの鐘と聖母マリア像が

この街に住む方と訪れる人々に
人類の歴史を刻んだ一日を
今も静かに物語っているように見えます。

同時に
憎しみを捨て
赦しを与える寛大な心と強さを持つことで

神々しいまでの
満たされた生を手に入れられることを
強く 静かに
私たちに伝え続けているように
思います。

もし
8月6日の広島に雨が降っていたら
8月9日の小倉が晴れ渡っていたら

おそらく間違いなく小倉に
原爆が投下されたことでしょう。

そうしたら、私はまず生まれてくることが
できなかったでしょうし
当然こうやって文章を綴っていることもないはずです。

私たちは、ふだん意識することはありませんが
私たちの命は、私たちだけのものではありません。

次の世代の命を育むためのものでもあります。

今ある命を絶ってしまうことは、
これから先、生まれてくるかもしれない命を
絶ってしまうことでもあるのですね。

61年前の運命の日、小倉に原爆が投下されなかったために
この世に生まれてくることができたのかもしれないと思うと
そのことを「幸運」とか「運命」いう言葉で語るには、
やるせない思いを感じずにはいられません。

このように原爆の問題は、
広島と長崎だけの問題では
ありませんでした。

戦争当時アメリカは、原爆の投下予定地として
複数の都市を
候補にしていました。

たとえば、首都圏有数の政令指定都市である横浜も
原爆の投下予定地として有力視されていましたが
5・29の横浜大空襲のため、投下予定地から
外されてしまったそうです。

最終的な投下目標が絞られた後も
米軍は、原爆投下に備えた訓練のために、

東京、静岡、茨城、福島、新潟、富山、愛知、
京都、岐阜、滋賀、大阪、愛媛、徳島、山口
をはじめとした約50箇所に
「パンプキン爆弾」という
原爆と同じ重さの通常火薬を積んだ
模擬原爆を投下しています。

http://www1.ocn.ne.jp/~susuma/bombing/509/509MSN.htm

大阪の東住吉には、模擬原爆が投下された
記録を残すための碑が
現在も残っているそうです。

そのことを考えると、広島や長崎の方だけでなく、
他の地域で生まれ育った方も、ひょっとすると、
この問題に大きく関わりを持たなければ
いけなくなっていたかも
しれませんね。

誤解のないように付記しておきますが、
僕は、アメリカ政府が決定した原爆投下の加害を
責めるつもりはありません。

紙幅が足らないため詳細は割愛しますが
すでに60年以上の時間が経過していますし

当時は、日本を含め、
第二次世界大戦に参戦した全ての国が
必ずしも戦争を望む意見を述べている方ばかりでは
なかったからです。

また、戦争という極限の状態の中、
当時、第二次世界大戦に参戦していたそれぞれの国にも
人としての理想を貫いて善行を行った
人たちがたくさんいました。

アメリカをはじめとした当時の交戦国もそうですし、
日本もそうです。

それなのに、戦争は止められず
あれだけの被害を生んでしまった。

それはなぜでしょうか?

この矛盾について考えなければ
私たちの住む世界は、また近い将来、同じことを
繰り返してしまうのではないかと思うのです


困難な中、他の方に愛情を注ぎ、
人として生きる理想を貫いた人たちがいたことを忘れ
「加害と被害」という視点から過去の戦争を
検証することは、

過ちをののしり
新たな憎しみの連鎖を生むだけに
なってしまう可能性があります。

赦し、赦されるために

そして、かつて交戦した国々の方たちと
未来を作っていく最良の方法を模索するために

なぜあのような悲劇を生んでしまったのか
歴史の事実を学ぶとしたら、
あの戦争は、

今を生きている人
そしてこれから生まれてくる人の
命を守る尊い教訓になるのではないか、と思います。

ぜひ、そうあってほしいですね。

ご存知のように、国際情勢が悪化する中、
進歩した科学技術のおかげで、
自国にいながら
他国に核兵器を到達させることのできる
ミサイル技術が完成しています。

このことから分かるように、核や平和維持の問題は、
対岸の火事ではなく、私たち一人一人の生活に直結した
問題なのですね。

戦争や核の問題を考えることは、
ほかの誰のことでもなく
自分の生活を守ることでもあると思うのです。

それは、同時に他の国で生きている人
そしてこれから生まれてくる世界中の
人の命を考えることでも
あるはずです。

そんなことを考える余裕なんてない
日々の生活のことで精一杯なんだ
仕方ないじゃないか。

他人様や
見たことも聞いたこともない外国のことなんて
考える余裕なんてないんだ。
仕方ないじゃないか。

世の中の流れが芳しくありませんから
きっと、そう考える方も多いと思います。

生活していくことは、とても大変なことで、
自分の周囲のことで手一杯というのが
現状ということも珍しくありませんから
無理からぬご意見だと思います。


ですが、私たちの生活は、
経済の発達によって否応なしに、
世界の動きと連動する時代になっています。

その動きが、私たち一人一人の生活に
リアルタイムに
直接影響を与える時代になっているのです。

何気なく見過ごしてしまいがちですが、
ちょっと観察してみてください。

たとえば夕食のお買い物にでかけるスーパー

食料品やティッシュが値上がりしていませんか?
夏が旬で、値段がうんと安くなるはずの野菜が
異常なくらい高くなっていませんか?

その理由を全て説明する
紙幅はありませんので割愛しますが、
大きな原因の一つは

食料品を包装したり製造するための材料になる石油が
他国の戦争で値上がりしているからです。

このように、
聞いたこともない遠い遠い国で起きた出来事のせいで
私たちの明日からの生活が変わってしまうことが
いつ起きてもおかしくない時代になってるのですね。

世界の平和を考えることは
私たち一人一人が自分の生活を守ることでもあるのです。

何も難しいことを考えることはないと思うのです。

私たち一人一人の生活が世界と密接につながっている以上
自分の生活圏の中で見える何かを考えることで、
この世界が変わっていくと思うのです。

「戦争」という国家規模の巨大な問題も
要はこの世界で暮らす
私たち人間一人一人の生活から生まれてくる
問題なのですから。

なにより一番恐ろしく危険なのは、
他者に関心を持たないことなのですね。

自分や自分の大切な人が
真に安全に暮らしていけるためには
どうしたらいいのか。

この国に暮らす一人一人の人が、この問題の
真の解決方法を模索し
他の意見を持つ方たちと論議して最良の方法を
考えることで、

核を含めた平和の問題や、
不安定な世界は、大きく変わっていくのではないか、
と私は考えています。

広島、長崎の原爆、
そして第二次世界大戦の本土空襲で亡くなられた民間の方、
ならびに戦闘行為によって尊い命を落とされた
日本の兵士の方々、当時の交戦国の兵士の方々、
そして民間の方々に慎んで
哀悼の意を表します。
 

身はたとい
核の業火に焼くるとも
永遠(とわ)に轟(とどろ)け
アンゼラスの鐘

 

正義の名の元に
多くの方の命が奪われることが
もう二度とないように

そして、神の心を宿した人たちが
一刻も早く、尊い命を奪い合う争いをやめてくれることを
心から願ってやみません。

MAY GOD BLESS YOU ALWAYS

2006 8・9 松沢直樹

※「被爆者の声」ホームページの管理者様には
リンク許可について、ご好意をいただいたことを
心より感謝いたします。

また、長崎の原爆をモチーフにした拙著児童向け小説「ぼくたちの空とポポの木」について、挿画の協力をいただいたイラストレーターの渡邉美奈子様、出版に尽力していただいた有限会社「眺」様、書評をいただいた児童文学作家の ながたみかこ様

そして、拙著を手にとってくださって、他の方に一読をお勧めいただいた読者の皆様に感謝いたします。

ウェブ上で、無料で立ち読みができますので、機会がありましたらぜひご高覧ください

Machi_00031_7 ぼくたちの空とポポの木
理想書店

クリックすると、理想書店さんのページに移動します

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Tracked on July 13, 2007 at 05:22 PM

Comments

TBありがとうございます。
この時期には少なくとも1日は真剣に戦争のことについて考えるようにしてます。

というか考えてしまいます。
今日も酒を飲みながらではありますがいろいろと高校時代の友人と激論を交わしてきたところです。

結論はどうあれ、忘れずに考えることが重要かなと思います。
これからも事あるごとに思い出していきたいと思います。

Posted by: やひ@筑後久留米 | August 10, 2006 at 11:38 PM

トラックバック、ありがとうございました。

Posted by: 近藤かすみ | August 11, 2006 at 12:31 AM

トラックバックありがとうございます。
自分は去年広島行くまで事実として知っていましたし、悲しいことだとは思っていましたが、実際爆心地に立つと深く心に響いてくることがありました。
そのときに買った千羽鶴のストラップをつけて気がついたときには思い出し、なにかできることがあればしていきたいと思うようにしています。これからこの実体験をした人たちが少なくなっていきますから、余計に日本人としてなにかできる時は行動したいと思います。

Posted by: 営業マンE君 | August 11, 2006 at 12:40 AM

TBありがとうございました。
平和はただ過ぎていくように見えますが、きちっと見据えている人々がいるから続いていくものと思う。関心を持ち続けることが大切なことだと思う。被害者、加害者からの視点では決して前には進めないーわたしもまったく同意見です。人間としてのあり方、人間社会の存続が如何にあるべきか、が視点であるべきと考えます。よくよく歴史を検証し私たち人間がなぜ人間であるのか、を自分自身に常に問い続けることが、日常的に人間に課せられた課題だと思う。平和を想う心を持ち続けたい。

Posted by: Kennedychildren | August 11, 2006 at 10:16 AM

TBありがとうございます。
まともなTBは初めてなのでうれしいです。
労働組合、民主団体の機関紙づくりにたずさわっています。
機関紙では、原水禁世界大会にむけたカンパ活動、物品販売など勢力的な報道が繰り広げられています。草の根のジャーナリズム、個人の情報発信で少しでも平和、核兵器廃絶の世論が広がればと思っています。

Posted by: ぼちぼちいこか | August 11, 2006 at 10:59 AM

TBありがとうございました。
広島のときは教会学校キャンプの流れで、関東からの児童や学生が泊まっていましたのでこのことについてお話しする機会が持て、一緒に鐘を鳴らすことができました。
昨年のキャンプは広島に重なりましたので、参加者全員で黙祷を致しました。ラジオをつけていましたら、うちの団体ではないキャンパーの方々も黙祷されていたのがとても感動的でした。
おっしゃるように一人一人が関心を持ち続けることが大切だと思います。また15日に鳴鐘を致します。

Posted by: シスターみみっく | August 11, 2006 at 03:50 PM

松沢さん、TB,有難うございました!!
今日の記事、ヒロシマについての記事、
心から賛同です!
他人事ではなく、自分の中にある争いの火種や、
無関心と言う危害は
同じ日本の国の中の出来事にも
当てはまっていますよね・・・。

反戦や糾弾といった戦いではなく、
許容と歩み寄り、
関心を持ち合うこと。

袖触れ合う方々とも、何らかのご縁があるのでしょう・・・。
そんなお隣同士で関心を持ち合うことから
社会や世界が変わることを
祈りたいと思います・・・。

絵本、探してみますね!

こちらからも、ヒロシマ・ナガサキの記事に
TBさせていただきました!
よろしくお願いします!


Posted by: mamma | August 12, 2006 at 08:33 AM

TBありがとうございました。
現在生きる私達は、61年前の出来事の上で生きているんだと感じました。
もっと知るべきことが多いと思います。
無関心では居られないことを、もっとちゃんと受け止めなくてはいけないと思います。

Posted by: ilis | August 12, 2006 at 02:41 PM

初めまして、こんばんわ。
トラックバックありがとうございました。
幼い頃から戦争について、勉強や本、テレビ、映画などで教わってきました。それでも、まだまだ知らなきゃいけないことがたくさんあります。
しかしこれからの私達が、どう後世に伝えることができるかが大切なのに、現実私ぐらいの年齢の方でも太平洋戦争の事を知らない人が多いと知り、愕然としました。
そういう人達だけに限らず、身近に戦争を知る機会を増やさなければいけないと感じました。

Posted by: よっしー | August 13, 2006 at 12:59 AM

松沢様
T.B.有り難うございました。あなたも九州出身なんですね。私はS.26年長崎で生まれ、鹿児島にもいました。父の転勤で昔は単身赴任なんてあまりありませんでした。北九州は高校2年、3年といました。大学時代は東京で30年ほど在住しましたかねぇ。
父母が年老いて、そんな、あんなで、結局父母の住む、博多に家族で転居することになり、在住2年目-。なかなか馴染めないというのが本音です。つい先日、小倉の高校のときの友人たちと会いました。20年ぶりでした。高校時代の写真など見ながら、飲み明かしました。久しぶりに本当の自分を取り戻したような思いでした。自分のことばかりで済みません。また、寄せてもらいます。

      異邦人

Posted by: 異邦人 | August 13, 2006 at 09:16 AM

TBありがとうございました。
「憎しみを捨て
赦しを与える寛大な心を持つ」、とてもすばらしい言葉だと思います。昨今のマスコミの感情的な犯罪報道、因果応報の論調などを見ますと、この心がどんどん忘れられているようで、とても危機感を感じます。
若者や子供たちの中に平和的な感受性を育てるということが、今とても重要だと思います。なので松沢様のような方が、執筆活動で活躍されることはとてもすばらしいことだと思います。今後ますますのご活躍をお祈りしています。

Posted by: ぴむ | August 13, 2006 at 10:24 AM

遅ればせながらTBありがとうございました。

今朝「日本が戦争をしないためにはどうしたらよいか」という街頭インタビューを放送していました。
いろんな意見があったのですが、私は極めて単純に「しなければいい」、そう思いました。

もちろん世界の事情・日本の置かれた状況・様々な要因から、そんなカンタンなことでないのは百も承知です。
が、一方それら様々な要因を解決することができないことも現実です。
それが戦争したからって、解決できるのでしょうか?
こたえはNOです。
先の第二次世界大戦の結果を思い出せば、答は明らかです。

No more Hiroshima,No more Nagasaki

忘れないように努力することが大切だと思います。

Posted by: 52_52 | August 13, 2006 at 10:52 AM

みなさま、コメントありがとうございます。レスが遅くなりまして申し訳ありません

>やひ@筑後久留米さん
日記の中でも紹介させていただきましたが、長崎の原爆の当初の攻撃目標は、小倉でした。
そのことを福岡にゆかりがある私たちも考えなければいけませんね。もちろん、福岡の方だけでなく、日本全体がこの問題をきっかけに、戦争の矛盾やこれからの諸外国と良好な関係を作っていくことを模索しなければいけない時代にきていると思います。

そのためには、まず私たちが忘れないこと。伝えること、そしていろいろな意見交換をしながら、皆さんと一緒に考えることが重要ですよね。

営業マンE君さま

コメントありがとうございます。原爆の被害がいかに悲惨なものかは、資料をご覧いただいたのでしたら、私がここで述べるまでもないと思います。
原爆や戦争については、いろいろな意見を唱える方がいらっしゃいますが、みなさんに共通しているのは、善悪論で誰かを責めることではなく、「あんな悲惨な出来事を二度と起こしてほしくないし、そのためにはどうすればいいのか」ということだと思います。

幸い戦争が終わって61年の間に、核兵器は実戦で使用されていませんが、原爆の被害の事実を知らない他国は、我先に核兵器の開発と配備を急いでいます。
戦争は、人と人が殺しあう残酷なものですが、現場で兵士が一対一で向かい合うことすらなく、数十万人単位の人の命を奪ってしまう核兵器は、もはや戦争とすら呼べないものといえると思います。

過去の原爆の史実では、被害の側面だけを訴えてきましたが、私たちはそのことを世界中の方に教訓にしてもらうために、何を伝えていけばいいのか、
この国一人ひとりの方が、関心を持ち、世界中に伝えていくことが大事だと思っています。


>kennydchiildrenさま
コメントありがとうございます。
この問題は、過去の問題ではなくて、今も私たちの生活に直結した現在進行の問題で、何より恐ろしいのが、全く関心を持たないということだと私は考えています。

過去の戦争について、日本の正当性を主張する意見、被害を訴える意見が多々見受けられますが、歴史の事実を知り、未来の教訓とするために耳を傾ける必要があると思います。
しかしながら、善悪論でこの問題を語り、被害や加害について論じ合うことは、あまり建設的ではないと考えています。

詳細は割愛しますが、日本を含め第二次世界大戦に参戦した世界中の国が、戦争のルールである国際法を全く守らずに凄惨な加害行為を行っていますし、またその反面、戦争という極限の困難の中、人としての理想を貫き、善行を行った人たちが多数いたからです。

ある歴史学者が、「戦争を経験した後の世代の人ほど、他国のことを責めるようになる」と発言したことがとても印象に残っています。
ほとんどの国で、義務教育時代に歴史教育を受けますが、第二次大戦のことについては、自国が受けた被害だけを強調し、他国の善行や、なぜ戦争に至ったのかということについては、ほとんど触れられていません。

先に述べましたように、自国にいながら、他国に核兵器を到達させることのできるミサイル技術が存在する現在、他国の過ちを責める考えから、世界中が脱却しないと、文字通りこの世界が一瞬にして滅びてしまう可能性も秘めているのですね。

唯一の被爆国となった私たちの国、日本は、もうこれ以上同じ辛さを味わう人が出ないように、世界中に訴えていく義務があると思います。そのためには、一人ひとりがこの問題を現在進行の問題であることを認識し、関心を持って周囲の人と話し合うことがとても大事ではないでしょうか。
そのことで、必ず何かが変わっていくと僕は信じています。

>ぼちぼちいこかさん
コメントありがとうございます。
米ソの冷戦終結後、大規模な戦争が起きないのではないかと、世界中が楽観視していましたが、ご存知のように、インドやパキスタンなどに、核がどんどん広がっています。
日本国内でも、国際情勢に備えて核武装すべきだという意見がにわかに力をおびてきていますが、みなさんが望んでいるのは、核を保持することではなくて、今ある安全と平和を保持したいということなのですよね。

方法論と考え方の違いなのかもしれませんが、私は核を保持することが必ずしも自国の安全保障につながるとは考えていません。経済がグローバルに世界中と連動している現在、軍事力よりも経済力の方が力を持つ時代に突入しているからです。

また、局地的な戦争を起こすことで、世界中の経済が混乱し、たとえ自国が裕福な状態にあっても、深刻な経済危機に巻き込まれてしまう可能性が出てきます。
そのことを考えながら、様々な意見や考え方を持つ方たちと意見を交換し、現実的かつ最良の方法を選択していかなければいけませんよね
戦争はもちろん、核兵器が実戦で二度と使われないことを心から祈りたいと思います


>シスターミミックさま
コメントありがとうございます。鳴鐘は、その場にいらっしゃった方だけでなく、遠くにいらっしゃった方の御心にも響いたことと思います。

日記でも触れましたが、長崎の原爆は、洗礼を受けた兄弟が落とした原爆によって、イエス・キリストの御名のもとに集った尊い命たちが帰天してしまう悲劇となってしまいました。
もしそのことに意味があるとしたら、私たちは赦しという寛大な心を持つことを試されているのではないかと思います。
またクリスチャンである私たちは、そのことを冷静に世界中に伝えていく義務があるとも考えています。

昨年は、かつての交戦国であったオーストラリアやフランスで、広島や長崎の原爆で亡くなった方の死を悼む集会が多数開かれたそうです。
15日の鳴鐘にあわせて、私もこの世界に住む人たちが赦され、素晴らしい人生を過ごせることを、祈りたいと思っています。
ぜひ一緒に祈りの鐘を世界に伝えてまいりましょう。

MAY GOD BLESS YOU ALWAYS


>mamaさん
コメントとトラックバックありがとうございます。
広島と長崎は、人類の歴史上はじめて核の惨劇を経験することとなりました。
この60年の間、戦争や原爆をリアルタイムに経験した方たちは、被害の側面から原爆のむごさや原爆を投下したアメリカを非難する意見を述べる方が多かったように思います。

それは、何のいわれもなく市民生活を送っていただけなのに被害を受けただけですから、至極当然のことだと思うのですが、被害の側面を語ることで、後の世代の方が他国の人に憎しみを募らせる「憎しみの連鎖」を生み出してしまう可能性があります。

また、日本が戦時中行った他国への加害行為を例証して、「あれだけの被害を外国に与えたのだから、原爆を投下されて当然だ」という意見もありますが、私はそのどちらも説得力を感じませんし、不毛な意見だと考えています。

歴史の事実を風化させないために、事実を知ることはとても大事なことですが、一番大事なことは、これからの未来を作っていくためにはどうしたらいいのかということだと思うのです。

そのためには、まず赦し、日本の加害行為を責める国の方たちには、戦後日本が行ってきた補償行為をはじめ、反省の念から行ってきたことを例証して、説得する努力を行ってほしいと思います。

なんだかんだ言いながら、第二次世界大戦が終わってから61年間アジアで戦争を行っていないのは、日本くらいなものです。
その裏側にはいろいろな外交政策があるのも事実ですが、これは大きな説得力がある事実であり、動かしようのないことだと考えていいと思います。
まずは、みなさんが関心を持ち、対話することで、この世界は少しずつ変わっていくのではないでしょうか。
その日は、そんなに遠い日ではないように思います。ぜひ一人ひとりが出来ることを積み重ねて、今の平和を維持していきたいですね

>ilisさま

コメントありがとうございます。過去の戦争については、いろいろな考え方があると思います。
ただ当方の日記でも触れましたように、今は60年前と違って経済が国家の枠を超え、グローバルに連動する時代になってきていますから、世界情勢の問題は、この国に暮らす私たち一人ひとりの深刻な問題なのですね。

見たことも聞いたこともないよその国で起きた戦争のために、あしたから、食事が取れなくなったりすることだって十分考えられることなのです。
一番大事なことは、みなさんがこの問題を現在進行形で、なおかつ自分たちの生活に直結している問題だと気づくことだと思います。
そうすれば、もっとこの問題は、明るい方向へ向かうのではないでしょうか。僕はそう考えています。

>よっしーさん
日本は、義務教育や高等学校の教育の中で、日本史を学ぶ際に、明治以降の歴史や昭和史については、ほとんど学習する機会がないですからね。

日本の学生さんの中には、アメリカ(実際にはアメリカを含めた多数の国)と戦争をしていた事実すら知らないかたも増えてきました。
また、どういったいきさつで戦争が始まり、なぜ戦争が起きたのかということや、なぜ戦争を止められなかったということについては、ほとんど知る機会がありません。
これらのことを多角的に学ぶことで、現実を解決する意見が生まれてくるのではないでしょうか。まずは関心を持って知ることからですよね。


すいません。ちょっと仕事が入りましたので、後にコメントをいただいた方、夜にお返事を差し上げますね。ご容赦くださいませ

Posted by: 松沢直樹 | August 13, 2006 at 02:12 PM

松沢様、TBありがとうございました。引続き、無関心にならないように、できる事を私なりに続けて行こうと思います。いただいたのTB、松沢様のブロ、とても励みになりました。ありがとうございます。

Posted by: motta | August 13, 2006 at 02:55 PM

TBありがとうございました。
私の父は長崎で被爆してます。だから、原爆記念日は自分でどう思うとも切っても切り離せない日だと思ってます。普段はあまり意識することはないですけれどね。ただ最近の政治的動向を見聞きするにつけ怪しげな雲行きを感じてなりません。ですからHPやブログを通じて出来るだけそんな思いを書き出すようにしています。

一人息子がいます。被爆三世になるのですが、本人はそんなことを意識しているのかいないのか、語り継いでこなかった私自身の問題かもしれませんが。
原爆記念日を機に、一度でも長崎の原爆資料館に連れて行きたいと思いましたが、本人は興味がないようで断られました。
難しい問題ですね、戦争や平和を語り継ぐというのは。

Posted by: DOM | August 13, 2006 at 08:59 PM

トラックバックありがとうございました。

松沢さんは小倉出身なんですね。
私はその隣町の門司区で育ちました。

北九州に落ちる予定だった原爆。
曇っていたというのが、お天気だと思い込んでいたのですが、
事実は違ったのですね。
空襲の煙で曇っていたのですね・・。
日頃、平和な日本に暮らしていて戦争について、原爆について
考えることなどほとんどありませんでした。
でも、広島原爆の日、長崎原爆の日に黙祷を捧げていると、
原爆や戦争の恐ろしさを改めて考えさせられました。
私も、平和を願い続けていきたいと思います。

Posted by: yoco** | August 13, 2006 at 10:21 PM

TBありがとうございました。

Posted by: acqua_cielo | August 13, 2006 at 11:01 PM

TBありがとうございます。
小倉出身ですね。私の両親も当時小倉でしたので、晴れていたらこの世に生まれていなかったはずの人間です。加害や被害といったことを飛び越えて、日本での首脳会議(サミット)が、いつの日か広島や長崎で行われ、各国の首脳が揃って平和公園で記念写真を取る日がくれば、世界が大切なことに気がつくかも知れないとずっと思っているのですが。。。

憎悪の連鎖が続きそうな世界情勢に対して、被爆という唯一の経験を通じてできることは、大きな事かもしれませんね。

Posted by: yilong | August 14, 2006 at 12:13 AM

トラックバック、ありがとうございました。
まともなトラックバックは、はじめてだったので、うれしかったです。
ニュースを見て、両方の原爆記念日を思い出しました。
忘れてはならないものだと、改めて思いました。
毎年、この時期になると、平和について考えます。
皆さん、けっこう関連記事をお書きになっていて、驚きました。

Posted by: なつき | August 14, 2006 at 01:03 AM

>異邦人様
いらっしゃいませ。コメントありがとうございます。
北九州にお住まいだったことがおありなのですね。僕は現在関東に住んでいますが、北九州で生まれ育ちました。
仕事の関係で、関東に移り住んでずいぶん時間が過ぎ、また仕事で福岡を往復するようになりましたが、北九も福岡も変わりましたね。

当たり前といえばそれまでなのかもしれませんが、良いところはいつまでも残しておいてほしいと思います。
また遊びに来てくださいね。お待ちしております。


>ぴむ様
コメントありがとうございます。
マスコミは、支持団体などの関係で、必ずしも中立的な意見を伝えるわけではないので、過去の戦争の一部分を切り取った視点から報道されてしまうのは致し方ない部分があると思うのですが、昨今はいずれも過去の歴史を拡大解釈した報道が多く見受けられるように思います。

日米が戦争に突入していく経緯から、終戦までの両国や連合国の関係、そして世界全体との関わりを見ていくと、どこの国の言い分も一理あるのがあの戦争だったように思われます。

国として行った戦争は、サンフランシスコ講和条約や、日韓基本条約などで一応の解決を見ましたが、なにより私たちが真摯に見つめなければいけないのは、「日本をはじめ、戦争の犠牲になった各国の市民が忘れ去られてしまったことでしょう」

国家として行った戦争で、その国家を構成するはずの国民が、その狭間で苦しめられることになったのですね。

紙幅が足りませんので、私の考えは詳細を割愛しますが、それは、日本の市民もアメリカの市民も、そして戦争当時交戦していた国々の市民全てがそうでした。
そのことを私たちは真摯に受け止め、他国の方たちを説得するよう対話する努力を重ねていくことがこれからの未来を作るうえで、とても建設的で重要なことだと思います。

平和を維持するのは、国家でも軍隊でもなく、ごくごく普通にそれぞれの国で生活している私たち市民なのですね

>52 52さま
コメントありがとうございます。
頂戴したご意見ですが、私も全く同感です。
先のコメントでも述べましたが、経済自体が世界と密接に連動し、軍事力よりも力を持つようになった現在では、各国が進めている再軍備は、意味をなさないものと思います。

また、核武装を進める国もありますが、ソ連の崩壊を見れば分かるように、核配備などの軍備拡張で経済破綻をきたすことも十分起こりえます。また、核を持ったところで、自国の安全保障につながらないのは、今までの歴史から見ても明白です。
このことを被爆国であり、なおかつゼロから経済大国まで成長した経験のある私たちの国は、よりよい形で世界に提示していく必要があると思います。

>mottaさま
こちらこそ、コメントありがとうございます。
10年前の時代と違って、今はネットがありますから、たとえ個人であっても、賛同する方が増えて、その気になれば、世界中に情報を発信することができます。

これだけでも十分に意味のあることではないでしょうか。
実際、原爆の問題については、インターネットやブログの普及のおかげで、日本から地理的に遠くはなれた国の方もその事実を知ることができる時代になってきたことは、とても大きいと思います。

昨年は、かつて日本と交戦していたオーストラリアで、原爆でなくなられた方の追悼集会があちこちで行われたそうです。
彼の国は、1980年代前半まで、日本を仮想敵国としてみていた時代があったようで、あまり日本に対して心象はよくなかったようですが、わずか20年の間に、こんなに良好な関係を築くことができたわけです。

私たちが、個人の生活を行いながら世界の情報を発信できるようになったこれからの時代は、大きく変わっていくことでしょう。

まずは知ることと、そして関心をもつこと。そして誰かに伝えることではないでしょうか。
とても大変なことかもしれませんが、僕たち一人ひとりが、関心を持って誰かに伝えていけば、きっと世界中の人が関心を持って真剣に考えてくれる日がやってくると思います。

>DOMさま
はじめまして。コメントありがとうございます。
今春、私は長崎の原爆をテーマにした子供向けの小説を出させていただいたのですが、コメントしていただいたことでずいぶんと悩みました。

原爆二世と言われる世代の私たちですら、戦争当時のことは薄らいだ形でしか伝えられていませんので、今のお子さんたちには、その伝え聞いたことをそのままお話したり、原爆の記録を見せても関心を持ってくれないのが実情です。

また、多感な時期のお子さんに、原爆の記録写真を見せることで、場合によっては被害感情だけを増幅したりしてしまって、この問題の本質である、「どうやったらこのような悲劇を二度と繰り返さないですむ様になるのか」ということを、伝えられない可能性が出てきます。

斯様な理由から、今回出版させいてただいた原爆をテーマにした「ぼくたちの空とポポの木」は、現代と社会情勢が似通っていた昭和50年を舞台に、小学生の子供が些細な友達とのケンカから、「誰も望んでいない戦争が起こる矛盾」を考え、それが原爆について深く考えるきっかけになるというストーリーにしました。

したがって、従来の原爆の問題を扱った本とはかなり違っていて、原爆の被害に遭った方の詳細な描写はほとんどでてきませんし、物語の中で亡くなる方も一人だけです。
しかしながら、子供さんたちの多感な感情を傷つけることなく、戦争のむごさや、矛盾について考えていただけるのではないかと思います。

今春発売になった製品版は、相当改稿を加えていますが、去年戦後60年記念で、福岡の文芸サイトで連載させていただいていた初稿が無料でまだご覧になれます。
もしよかったら、お子さんを一緒に読んでいただいて、いろいろなことをお話していただけたら、幸いです。

☆ぼくたちの空とポポの木

http://machi.monokatari.jp/author/popo.php?itemid=2245

>vocoさん
コメントありがとうございます。
原爆が小倉を攻撃目標にしていたのはよく知られていますが、回避されたのは、前日の八幡大空襲の残煙のため、視界が確認できなかったためでした。

昭和20年8月8日の昼からはじまった八幡の空襲は、八幡製鉄所だけでなく、桃園や尾倉などの小学校や八幡製鉄所の社宅までも焼き払いました。

中には、防空壕に退避したものの、あまりの熱でそのまま命を落とされた方も少なくなかったそうです。その中には、小学生の教え子さんを抱きかかえるようにして、亡くなっていた教員の方もいらっしゃったそうです。

http://www4.ocn.ne.jp/~primrose/kushu-2.html

皮肉にも、その残煙で小倉に原爆が投下されなかったのですが、そのことが一体どんな意味を持つのか、私たちは被害を訴えるのではなく、真摯に考える必要があると思います。

尊い命の上に成り立った平和の上に私たちは暮らしているのですし、本質的にはどこの国の人たちも、誰かを傷つけたり、誰かから傷つけられたりせずに、家族や大事な人たちと暮らしていきたい気持ちは変わらないと思うからです。

>acaua cieoさん
こちらこそコメントありがとうございます。
機会があったらまた遊びにきてくださいね。

いろいろなことをお話できたらと考えています。これからもよろしくお願いいたします。

Posted by: 松沢直樹 | August 14, 2006 at 01:05 AM

> yilongさん

はじめまして。コメントありがとうございます。
北九州市では、長崎から贈られた鐘があって、8月9日は平和式典が行われていますね http://news.livedoor.com/webapp/journal/cid__2304257/detail

また、日記の中でも触れましたが、原爆の投下前、日本各地に米軍は、パンプキン爆弾と呼ばれる原爆の模擬弾を焼く50箇所に投下したという事実があります。

私たちのすむ北九州市は、前日の八幡大空襲で原爆の投下目標から外されるという運命をたどりましたが、他の地域で生まれ育った方も、この問題は決して他人事ではなかったのですね。

日本中の方が、この問題に関心を持っていただいて、憎しみの連鎖が加速し始める気配のある世界にストップをかけていただきたいと願っています。

そのような思いから、本年、小倉を舞台にした「ぼくたちの空とポポの木」という電子書籍を出させていただいたのですが、7・31の朝日新聞さんでの紹介記事のおかげで、多くの方が手にとっていただけるようになりました。

一介の物書きのできることなど、たかが知れているかもしれませんが、あきらめず、この問題の真の解決方法を模索していただけるように、伝えていきたいと考えています。
もし機会がありましたら、手にとってご覧いただければ幸いです。

>なつきさん

はじめまして。コメントありがとうございます。
今春、原爆に関する子供向けの小説をださせていただいたこともあって、一体どれくらいの方が、この問題に関心を持っていらっしゃるのだろう? と思ってグーグルで検索をかけてみました。

そうしたら、広島や長崎にゆかりのない方も、この問題を真摯に考えていらっしゃる方が多いことにとても安心しました。

他の方のコメントでも述べましたが、この問題は過去のことではなくて、広島や長崎だけのことだけでもなくて、現在、この国に住んでいる私たちみんなに関わってくる問題だと思うからです。

こうやって1年に1回、みなさんがそれぞれの立場や生活の中で、この問題について考えるだけでも、きっと解決の糸口は見えてくるのではないでしょうか。
ましてや今は、個人でも世界に意見を発信できるインターネットがある時代です。

一人でも多くの方が、この問題に関心を持って意見を述べるだけでも、きっと変わっていくのではないかと思っています。
問題も多いですが、明るい未来を信じたいですよね。

これをご縁に今後ともよろしくお願いします。
また遊びにきてくださいね。

Posted by: 松沢直樹 | August 14, 2006 at 01:21 AM

トラバありがとうございます。
本当に戦争って悲惨ですよね。。
世界が真の平和になるのはいつになるんでしょうか・・・。

Posted by: ハル | August 14, 2006 at 10:31 AM

ハルさん こんにちは
コメントありがとうございます。
あれだけの悲惨な経験をしてきたはずなのに、今も戦争はなくなっていませんよね。
こうしている間も、中東やアフリカ、南米では銃を向け合っている国があります。
他の方のコメントでも述べましたが、今は世界の国々がより密接につながって経済というシステムを動かすようになってきています。他国の紛争が自分の国の経済に大打撃を与える可能性が出てきている以上、先進国は無視はできませんので、抑止に向かわなければならなくなるはずです。
それまでに、どのくらいの時間がかかるかわかりませんが、私たち一人一人の生活に密着することでもあるので、根気良くメッセージを伝えていきたいですよね。

Posted by: 松沢直樹 | August 14, 2006 at 11:29 AM

始めまして、トラックバックありがとうございました。
こうやっている時にでも、中東では何の罪も無い子どもやたくさんの人が亡くなっているのですよね・・・

いつになったら世界中の人々に平和な時が訪れるのでしょうか・・・

Posted by: ひょん | August 14, 2006 at 01:16 PM

  初めましてTBありがとうございます
15日 終戦記念日ですね早朝から小泉首相が靖国へ
 戦争の悲惨さを顧みる現在、今も争いが多い時代
戦争責任とか祀り事とか・・
何かと考えさせられます・・
地球星が平和でありたいです。

Posted by: miken_001 | August 15, 2006 at 04:10 PM

>ぴょんさん
いらっしゃいませ。コメント大幅に遅くなって申し訳ありません。
本当に難しい問題ですよね。
世界の平和を考えるということは、決してナルシスティックなことではなくて、経済が複雑に世界と連動している現在では、とても深刻な問題なのですね。

極端な話、見たことも聞いたこともない国で起きていることが、明日には自分の生活に降りかかってくることだってあるわけです。
そのことを、この国に住むみんなで考えながら、いい方法を世界に発信していけたらいいですね。

>miken_001さま
はじめまして。お返事大幅に遅くなって申し訳ありません。
いろいろな問題がありますが、戦争が終わって60年も経ったのですから、一度みんなで明治になってこの国が近代化をとげてからどのような経過をたどってきたのか、調べてみるといいのかもしれませんね。

日本が戦争を行っていた時期だけを取り上げてしまうと、なぜあの戦争が起きたのかということが分かりにくくなってしまいますし、多角的に戦争を検証して今後の教訓にするうえでも、歴史をいろいろな角度から見るといいのではないでしょうか。

いずれにせよ、今ある平和の時代を尊い物と考えているのは、みなさん一致した意見なのですから、その平和を維持していくにはどうすればいいのか、様々な立場の方が意見を交わして裁量の方法を模索していくことがとても大事だと思います

Posted by: 松沢直樹 | August 25, 2006 at 06:56 PM

トラックバックありがとうございます。
イスラエルとレバノンの紛争を心より悲しく思います。
とともに、何かというと、中国はけしからん!
という人たちにも恐怖を感じています。
もっともっと戦争の悲惨さを訴えなければ、と思います。

Posted by: あちき | August 25, 2006 at 11:55 PM

8月25日のトラックバックをありがとうございました。申し訳ありませんが、事情がありまして、本来のハンドルネームは松沢さんや、皆様のブログ・サイトでは明かせません。ごめんなさい。

記事や皆様のコメントを読ませてもらいましたが、大きなスケールで深く深く考えさせられ、ありがたい限りです。僭越ながら、何かの運命のような気もしています。

私も、それなりに歴史的なことを考えてきたつもりでした。ですが、甘かったようです。松沢さんの視野の広さ、そして、視点の暖かさを、心より尊敬致します。

原爆が落とされたという事実も、その背後にある事柄も、あまりに悲しく辛く、皮肉であると思います。そして、怒りよりもまずは協調と共栄の道を考えるのが大切だと、記事を読んでいて気付かされました。

遠い場所で何かが起きれば、それは私達の身近にも関係していくとも気付かされました。

協調していくこと・共栄していくことは、日本人の得意分野だと思います。それを国際社会で生かせる政治家を、望んでおります。

私は浄土真宗の人間ですが、そのことも生かして、これからの社会を考えていきたいです。

読んで下さってありがとうございました。

Posted by: 律子 | August 26, 2006 at 11:20 AM

>あちきさん
コメントありがとうございます。
人類の有史以来、数千年の時間が流れているそうですが、世界中で全く戦争が起きていなかったのは、たった100年ほどだそうです。
私自身、クリスチャンですので、イスラエルの戦争はとても残念に思います。
先日、このブログと当方が出版した原爆をモチーフにした小説を読まれたイスラエルの方から、彼の地の状況を知らせる写真が掲載されたメールが届きました。
戦争が起きていることを知らせてほしいという内容でしたが、あまりにも凄惨なために公開できそうにありません。

民族同士の対立や利害関係から戦争が起きているのでしょうが、人の心の融和を進める宗教が人を殺めることを止めてくれることを心から祈りたいと思います。
マスコミの問題もあって、一部の人たちの意見だけが恣意的に伝えられ、問題になっていますね。中国も問題がある国ではありますが、必ずしもみなさんが好戦的な意見を唱えているわけではありません。
この世界に暮らす方たちが、いろいろな情報を読み解いて、お互いの意見に耳を傾けながら、共存していく道を模索してほしいと思います。

>律子さま
コメントをありがとうございます。ハンドルネームを公開できないとのことですが、気になさらないでくださいね。私はあなたの立場を尊重したいと考えています。

日本では、義務教育と高等学校のカリキュラムで、日本史を学ぶ機会がありますが、昭和史については、詳しく学ぶ機会がありません。
そのため、彼の戦争がどういった経緯で起きたのか。なぜ戦争を止められなかったのかということについて、考察する機会がありません。

紙幅がありませんので、原爆のことについて焦点を絞りますが、原爆を投下したアメリカ政府や科学者の中にも、反対意見を唱えたばかりに、職を失って家族と路頭に迷ってしまった人もいましたし、戦争を終わらせたヒーローとして扱われた原爆投下に携わった爆撃機の乗員たちも、戦後一転して、つるし上げに等しい批判を受けた時代がありました。

ここにも戦争の悲劇があると、私は考えています。

彼の戦争は、世界大恐慌に端を発した経済問題から起きた戦争ですが、あれだけ泥沼の戦争と化し、原爆をはじめとした凄惨な被害をそれぞれの国にもたらしたのは、人種の違い、宗教の違いなどといった、お互いの違いを寛容に認める心が欠けていたことが大きな原因なのではないでしょうか。

60年前の世界は、お互いの国があまりにも遠すぎて、姿形や言葉の違い、習慣や進行の違いがあっても、同じ人間だということを、実感できる機会がなかったことが、あの戦争の大きな原因ではないかと私は考えています。

この世界には、様々な国があり、様々な人が信仰に沿って生活しています。
それは互いが尊重しなければなりませんが、同時に私たちは信仰や国籍の前に人間として生まれてくることを忘れてはならないと思います。

私は、日本人のクリスチャンですが、日本人のクリスチャンに生まれたのではなく、「人間として日本という国に生まれ、日本人に育ち、クリスチャンという信仰を身につけた」と考えています。

他の信仰を持っていらっしゃる方や、他の国に生まれた方も同様で、人としてこの世に生まれてきたことに、代わりはないのではないでしょうか。

彼の戦争がもたらした最大の教訓があるとしたら、お互いの違いを認め、慈悲の心を持つことではないでしょうか。

私たちの住む日本という国は、戦争の加害の事実もありましたが、被害を受けた側面もあります。
しかしながら、被害を訴えず、憎しみを後の世代に伝なかったことが、様々な信仰や習慣を持つ人が共存し、世界中が目を見張るような戦後の経済的繁栄をもたらしたのではないか、と考えています。

奇しくも、日本で、世界宗教者会議が開かれていますが、日本が戦後もつことができた、お互いの信仰や習慣の違いについて理解しようという考えは、世界全体に浸透していません。

神仏を信じる人たちがお互いを傷つけあっているのが、世界の随所で存在するのが現実です。

彼の戦争で私たちが得た経験と、慈悲の心、様々な信仰や習慣を持つ方が尊重しあって共存できる多様なあり方を認める社会を加速させることで、世界に平和を伝えていけたらいいですね。

Posted by: 松沢直樹 | August 27, 2006 at 05:46 AM

松沢様、
遅ればせながら、TBありがとうございました。
こちらに来て、皆様のコメント、そしてそれに対するお返事を
読ませていただいて、また少し、考えるきっかけをいただいたように思います。

>僕は、原爆投下の加害を責めるつもりはありません

自分の身近な出来事でも、加害の原因をたどっていくと、まわりまわって自分にたどり着くということも少なくありません。
声高に相手を非難するだけの清廉潔白さが自分にあるのか、、考えると自信がなくなったりもします。

一緒に、考えていくこと、そして同じ過ちを繰り返さないこと、、簡単なことではないですが、心にとどめておきたいと思います。

Posted by: spica | August 27, 2006 at 08:51 AM

spicaさん こんばんは
コメントをありがとうございます。
原爆の問題を含めて、過去の戦争を考えるのは、とても難しいことですよね。

この問題は、現在でもいろいろな意見が聞こえてきます。

当時の国際法で禁じられていた民間の方が多数亡くなることを知りながら、原爆の投下を行ったのだから(戦争とはいえ、兵士以外の民間の人を戦闘行為で殺害することは禁止されていました)投下を行ったアメリカの責任を問うべきだというご意見。

また、原爆の投下に携わったアメリカの兵士や科学者の方たちからは、「原爆の投下によって戦争が早く終わった」という意見が多々聞かれます。

日本に生まれた私たちは、とても容認できない意見だと思いますが、でももし、私たちが61年前のアメリカに生まれて、戦争に加担せざるをえない状況にあったとしたら、果たして日本に原爆を投下する計画を阻止できたでしょうか?

私は必ずしも全員の方が、原爆を否定する意見を唱えられたとは思わないのです。

一度戦争が始まれば、戦争に参加しないことによって、自分の親兄弟や家族が危険にさらされる可能性が出てきます。

そのために、日米双方の人たちは、「人間としての理想を捨て、自分たちの家族や兄弟の安全を守るために戦争に加担せざるをえない状況に追い込まれてしまった」とも考えられるのではないでしょうか。

人は個人として生きるなら、どこまでも人間としての理想を貫くことができますが、集団として生きていく中では、人としての理想よりも、集団の利益や保護を考えなければいけない立場に立たされてしまうことがあります。

たとえば、自分の親兄弟や子どもと、見ず知らずの人が溺れているとしましょう。

浮き輪が一つしかない時に、私たちはどちらへ浮き輪を投げることを選ぶでしょうか。
見ず知らずの人に一つしかない浮き輪を投げて助け、家族が命を落としたとしたら、人としては立派な判断をしたことになるのかもしれませんが、家族の一員として、親としては正しかった判断だとはいえないと思います。

かといって、家族を助けたばかりに、見ず知らずの方が命を落としたとしたら、おそらく耐え難い良心の呵責に責められ続けることになるでしょう。

どちらの選択をしても、きっと苦しむはずです。
感傷的な話ではなくて、日米双方の中でそのような葛藤があったのは事実です。

そんな過酷な選択を迫るのが「戦争」という状況なのですね。

ところで、話を戻しますが、さっきの問題の最良の解決方法は何だと思いますか?

私は、どちらへ浮き輪を投げるか考えるのではなく、溺れる人を作らないことを考えるのが最良の解決方法だと思っています。

そうすれば、そもそも問題は起きませんし、どちらの人に浮き輪を投げればよいか苦しむこともありません。
平和な時代の今だからこそ、そのことは可能でもあります。

そのことを実現するためには、歴史の事実を知ることは大事ですが、「あの時、お前はあちらに浮き輪を投げた」という考えで、戦争に携わった他国や自国の方たちを見つめる目を捨てる必要があると思います。

私たち日本人は、戦争の実戦の中で核攻撃を受けるという凄惨な経験をしましたが、後の世代の方に、憎しみを後に伝えてしまう、連鎖を断ち切りました。
この経験を生かして、もう二度とあのようなことが起きないことを、穏やかに世界へ発信していけたらいいですね。

難しい問題ですが、きっと接点はあると思いますし、解決方法もあると私は信じています

Posted by: 松沢直樹 | August 28, 2006 at 01:09 AM

TBありがとうございました。
松沢さんの長崎原爆忌を読み感銘いたしました。
これから、子ども達と報告書を作成するのですが、
参考させていただきます。

Posted by: とんぼ学 | August 28, 2006 at 07:01 PM

松沢様、先日はTB,有難うございました!

blogを始めたのが最近で、未だタイムリーに記事投稿も出来ず、また初めてTBを受けたもので、不慣れかつコメントが遅くなって、申し訳ございません。

貴殿の記事拝見しました。
歴史を振り返ってみても、人類は同じような過ちを繰り返していますよね!宗教に関わる争いも然りですが、たとえ神様が万能であり、敬虔な信者が、純粋に信仰にあつくても、人類が自分たちの手によって、滅亡への道を辿ることがないようにと思います。

我が国の政治の世界では政権政党の総裁選に目が奪われがちですが、国際貢献の名の下に、戦地に軍隊を送ることを可能にすべく、憲法改正議論が進められつつありますね。

本来、憲法は「国民の自由・権利を擁護するため」に、国家権力に歯止めを掛ける道具なのですが…憲法も古くなって、実際の社会に合わなければ、改正する必要性もあるとは思いますが、唯一の被爆国であり、前述の如く、憲法は理想を掲げているものであり、通常の法律よりも改正が困難であるのも「国民の自由・権利を擁護するため」なのです…国会議員の皆さんは、その点を再度、認識し直して欲しいものです(彼らには憲法尊重擁護義務もありますが国民にはありません)。また、政党は、国民の支持を背景に、政治的主張を掲げる訳ですが、国民も「うわべだけの人気」で代表者や政策を選択して欲しくないものです。
戦争というものを体験したことがない世代が殆どですが、もっとも無垢の市民を苦しめるものだと思います。

長いコメントとなった点、どうかお許しを。

Posted by: apollon | August 29, 2006 at 12:42 AM

「長崎原爆忌」を拝見して感銘をうけました。50歳を過ぎまして、内村鑑三の本に出会い夢中になりました。キリスト教もほとんど知らないまま、ただ内村鑑三の魅力に惹かれた感じでした。なにか内村鑑三にも通じる精神を「長崎原爆忌」を読んでいるとき感じました。「美しき二つのJといい給いしイエスキリストと日本のことを」わたしの拙い短歌ですが、この精神がわたしは好きです。有難うございました。

Posted by: 後藤人徳 | August 29, 2006 at 05:34 AM

トラックバックありがとうございました。
私のブログのちょっとした気持ちにまで。
松沢さんのように、小さなところにもこうやって探してつなげていく事が、戦争をなくすことに繋がるのかもしれないなって感じました。
夏になると、長崎原爆投下の日のその時間にどこに遊びに行っても、友人の家族に1分間の黙祷を勧められたことを思い出します。
自分自身は現在平穏ですが、この今の平和が世界に広がり、いつまでも幸せでありたいですね。

Posted by: | August 29, 2006 at 11:08 AM

 初めまして。
 私のような小さなブログにTB有難う御座いました。
 「純情きらり」を見て、切ない思いに駆られています。
 本当に戦争は二度と起こしてはならないと思います。
 私達人間一人一人が、人を思い遣る情愛に溢れた思いで生活をし、戦争のない平和な世界が築けることを、心から願っています。

Posted by: リリィ | August 29, 2006 at 06:22 PM

本日トラッククバックありがとうございます。原爆資料館・如己堂・
山里小学校・浦上天主堂と浦上散歩を致しました。平和でした。
原爆投下の恐ろしさをあらためて実感」しました。。修学旅行の生徒と同じコース。平和教育の大事さがよくわかりました。

Posted by: kawasemi4481 | August 29, 2006 at 10:54 PM

TBありがとうございます!
数年前に長崎の原爆資料館を訪れて、核の恐怖というものを再認識しました。
そして、そのときからずっと行ってみたかった、広島も今回の旅行で訪れることが出来ました。
現在では当時のものとは比べられないくらい強力な核兵器が大量に存在し、その脅威に世界中の人や生き物がされされています。
そのことに気づかないといけませんね。
原爆が投下された後、たくさんの人々が自分の家族を探して現地に入ったり、瀕死の重傷を負いながら自宅に帰ったりしたという話を見て、涙が出そうになりました。
結局家族は見つからず遺品を持ち帰ったり、帰宅した人もほとんどが亡くなり、本当に地獄だと思いました。
戦争の恐怖というのは、こういう身近なところから実感できるのだと思います。
そして、一人ひとりが考えることが、いずれ大きな力になるんだと信じています。

Posted by: Can☆ | September 01, 2006 at 01:42 PM

松沢さま

はじめまして。うきはのAKKOと申します。
先日はTBをありがとうございました。


松沢さんのコメントのお返事で、浮き輪を…の話が
出てましたね。私は、家族だったら…他の誰でもなく
自分の子どもだったら…多分躊躇なく自分の子どもに
投げると思います。異論をお持ちの方も当然いらっしゃると
思うのですが、私はやっぱり自分の子どもを優先させます。


戦争って、『自分の大事な人を守るために』という
気持ちがどんどん拡大していって起こっている側面も
すごく大きいと思っています。
最近のイスラエルとアラブの果てしない報復合戦の
報道をみていても、命を生み出す女性であっても
その報復の連鎖の中に埋没してしまっているので、
すごくつらいものがあります…。


今、平和な日本で生活できる事に感謝して、世界の
皆さんのために、自分でも出来ることを考えて、子どもを
育てる親として…あんまり欲張れないけど、心に留めて
おきたい気持ちです。

Posted by: AKKO | September 02, 2006 at 09:45 AM

TBありがとうございます。
戦争というものがどういうものだったのかという口伝えに、その「核」が、いまでは、「実験」や「開発」がさらに進み、そして原子力発電など、さまざまな日常に使用されているという実態にこそ、考える意味があると思う僕です。

日本は、決して平和ではありませんね。他国の「実験」の標的、海域での射殺など、あらゆるところで戦争の種が蒔かれています。こういった脅かされている報道があるのに「日本は平和」という国民が多いことに懸念しています。

戦争を行わずに、自国を守る手段や外交を考える意識が、1億総人口とともに育っていくべきですね。

今後も、関連する記事がありましたら、ぜひトラックバックをおよせ下さい。また、訪問させていただきます。

Posted by: Sai | September 04, 2006 at 08:20 AM

 sanroku63です、TBありがとうございます。
 戦後61年、未だにいやされない日々を送っている方々を知ると心が痛みます。
 世界に誇れる平和憲法は、あのような戦争の犠牲者を二度と出さないという願いから制定されたものです。
 憲法と平和を守るために、これからも私のブログで書き続けます。 またのご訪問を待っています。

Posted by: sanroku63 | September 05, 2006 at 04:42 PM

TB有難うございます。まだ、ブログを始めたばかりで、「手探り状態です。1人でも多くの人が毒ガス島(大久野島)について知ってもらえたらと始めました。
大久野島と小倉は旧日本軍の毒ガス戦の拠点だったことはご存知ですか。現在、苅田港からは敗戦後、証拠隠滅のために小倉の毒ガス兵器(日本陸軍毒ガス兵器曽根製作所)から海に投げ込まれた毒ガスを回収し処理しているところです。毒ガス処理施設は新北九州空港の近くにあります。
  毒ガス島(大久野島)より

Posted by: 山内(毒ガス島歴史研究所) | September 06, 2006 at 08:26 PM

はしめてコメントさせて頂きます。過去の戦争について、体験していない世代は、「過去の事だから」とか、「自分達がやった事でないから関係ない」と言いたいだろうけど、過去や歴史から何も学ぼうとしない人は、おそらく同じ過ちを繰り返すでしょう。私も”もしも…”、を考えると、今自分の生命の尊さを感じます。

Posted by: 路地裏のファンタジスタ | September 14, 2006 at 02:41 PM

度々、すいません!TBうまくいかないのでURL張っておきます。

Posted by: 路地裏のファンタジスタ | September 14, 2006 at 02:52 PM

みなさま、コメントのレスが大幅に遅れまして申し訳ございません。
ほぼ毎日、この件についてメールをいただいていることと、また、新しい作品の執筆を進めているため、時間を要した次第です。ご容赦くださいませ。

>とんぼ学さま
お子さんと一緒に、こういった問題を考えることは素晴らしいことですね。少しは当方のブログがお役にたてたでしょうか。
もしよろしければ、戦後60周年を記念して連載していた「ぼくたちの空とポポの木」という作品がまだウェブ上で読むことができますので、よかったらご一緒にご覧いただければと思います。

☆ぼくたちの空とポポの木

http://machi.monokatari.jp/author/popo.php?itemid=2245


>apollonさま
ご自分のお伝えになりたい思いを込められたコメントをありがとうございます。
おっしゃるように、政治指導者の決定によって戦争がおきてしまうのは事実ですが、やはりいつの時代の人も戦争は望んでいないと思うのです。過去に日本が戦争を経験した際も、戦犯として処刑された政治指導者の中にも、戦争回避の案を唱えていた人がいます。もちろん戦争を遂行する意見を唱える人もいたわけですが、その共通した思いは、自国の平和を維持することでした。

当たり前のように存在する自国の平和を維持しようとしたために、戦争が起きてしまう。こういった矛盾も戦争の中には含まれているのが事実です。昨今の極東の政情不安定な状態を鑑みて、再軍備を進める意見も多々聞こえるようになってきました。
果たしてそれが、自国や他国と良好な関係を守り、安全と平和を維持することなのか、私たち国民一人ひとりが十分に歴史を考察したり、政治に関心を持ち、考える必要があると思います。

>後藤人徳さま
ご返信が遅れましたこと、不作法ご容赦ください。同じクリスチャンとしてまた、人として内村鑑三先生は、困難な時代に信念を持って生きられた方だと思います。
内村先生や旧五千円札の肖像になった新渡戸稲造先生が、日米の開戦を回避することに尽力されたことは、あまり知られていません。
あの困難な時代に、日米の橋渡しを行い、開戦を回避する外交活動を行ったことは、不安定な時代を生きる私たちも学ぶ必要があるのかもしれませんね。

>お名前をいただかなかった方へ
文面からして女性の方でしょうか。素晴らしいコメントをありがとうございます。きっとほんの少し、この国に住む人や世界の全ての人が、何かを出来ることを信じられたら、きっとこの世界は変わっていくのだと思います。その力を信じたいですね

>りりぃさん
コメントありがとうございます。日本は60年前に戦争を経験したのですが、全ての人が戦争を望んでいたわけではありませんでした。むしろ、結果として戦争を始めることになってしまった人たちですら、戦争を回避することを最優先に考えていました。
それなのに戦争は起きてしまい、止めることができませんでした。
その理由を、私たち一人が考えていけたらいいですね。


>: kawasemi4481 さん
コメントありがとうございます。戦争は60年前に終わりましたが、その残した爪あとは決して消えていません。原爆資料館をご覧になられてご理解いただけかとことと思いますが、あれだけの凄惨な被害を受けた後も、現在もまだ放射線障害に苦しんでいる方たちがいらっしゃいます。
その恐ろしさを知ることは歴史を見つめる意味でとても大事なことですが、それに加えて、なぜあのような悲惨な戦争が起きてしまったのか、私たちは歴史の事実を見つめ、考える必要があると思います。

>Can★さま
コメントありがとうございます。原爆資料館をご覧になられたのですね。凄惨な現実を目の当たりにして驚かれたかもしれませんが、あれは現実に起きた出来事で、今も生きている人が経験したそう遠くない過去に起きたことなのですね。
残念ながら、それらのことは決して遠い過去ではなく、今も私たちの生活のうえにふりかかるかもしれない危機なのです。
そういった出来事を繰り返さないためには、私たちはどうしたらいいのか、できるこ