« July 2006 | Main | September 2006 »

August 2006

August 29, 2006

味を研ぐ

060827_185801

木曜日に外国企業のトップを招いた
設宴を取り仕切ることとなった。

建前上、内輪のホームパーティだが、
そこはコンペに残った2つの企業が、
仕事を取り合うための
最終プレゼンの場でもある。

要は、首脳会談よろしく、設宴の料理と酒で気分を和ませ、
自社に有利な交渉展開を図ろうってわけですな。

相手のアメリカ企業が引っ張ってきた料理家は、
フランス共和国公邸で、各国外交官や首脳との設宴を
任されていたらしいという猛者。

公館の料理人は、自分の出す料理が、
自国の命運を握っているという
緊張感を常に持ち合わせている。

舌戦では海千山千の外交官や各国首脳も、
酒と食の場では隙が出る。

そのことを公館の料理人は、常に自覚し、
自国の外交官が有利な交渉展開を図るための
料理を出すという、目的意識を持っている。

たかが料理ではあるが、
国益と国の威信をかけた
見えない戦いが皿の上で行われているというわけだ。

そんな歴戦を重ねた猛者ならば、
相手にとって不足なし。

伝統的な和食の技法だけでなく、
フレンチ、イタリアンの技法も多少なりとも身につけた、
型破りな野武士のような自分の料理が、
どこまで通用するか、考えただけでもわくわくしますな。

ふふ、ちょこざいな。おいしいものご馳走してやるぞ。
い、いや、もとい、目にもの見せてくれましょうぞ。

クライアントからは、和食を出すことを希望されている。

とはいえ、クライアントが
いかに日本文化に造詣が深いとはいえ、
やはり脂肪分の多い食事に慣れた
欧米の方なのは間違いない。

伝統的な和食を出しても、
おそらく不利になるだろうし、

NY辺りの値の張る店で懐石料理を
食したことがあるだろうから、
目新しさという点でも、有利な展開は期待できない。

設宴に招くVIPの情報を考慮した結果、
和食の繊細な味わいに、
濃厚な旨みを持つ、
型破りな品を加えた献立を考える

コンセプトは和魂洋才。私が好きな言葉でもある。

日本酒やワインとのマリアージュ
(仏語で結婚の意:ここでは料理と酒の相性)を
考えた献立にするが、
横槍を入れられても問題がないように、
ワインやシャンパンにも合うように
献立を組み立てておく。

寿司のような鮮魚や酸味の強い食材を使った和食は、
ワインやシャンパンには合わないことが多い。
魚の生臭さだけが目だって、
とても食べられたものではなくなることがある。

せっかくだから、
ワインと一緒にこの料理を食べてみたい
なんていわれて、そのまんまワインを出したが最後
なんてことにならないように、
構えておくというわけですな

懇意にしていただいているスタジオにお願いして
器は、織部焼きと備前焼きを主体に。
後は、朱塗りの椀などといった
日本を強調したものを
調達してもらった。

箸を使うことになれていない、
ゲストのための食器を添えることも忘れない。

酒は、日本酒、焼酎を200銘柄試飲し、
10銘柄をピックアップ。
一度封を切った後、空気になじませ、再び氷温で貯蔵
三日後に最良の味わいを引き出せるようにする。

ひしお、味噌、香辛料などの調味料も調達。
スタジオにこもって
自分の献立に合うようにカスタマイズする。

地味な作業だが、こういったところが
明暗を分けてしまうので、注意を払う。

写真は、今回の秘密兵器。

手製の「煎り酒」という調味料です。

日本酒に梅干と出汁を加えて
煮詰めて作る調味料ですな。

醤油が普及する以前では、
刺身などの調味料として
広く使われていたが、現在では、
ほとんど使われていない。

(一説には、安土桃山時代の武家が
好んだといわれ、織田信長も、煎り酒で、
刺身やなますを食することを好んだとされる)

さよりやすずきといった白身の魚に使うと、
淡白な独特の風味が映える。

醤油を使った時のように、刺身をつけても、
黒くなったりしないため、
白身の美しさをそのまま楽しめる。

また、わさびをこぼしてしまっても、
煎り酒に溶けたわさびが、
鮮やかなうぐいす色に変わってくれるため、
粗相すら、ちょとした余興にしてくれる
という楽しみもある。

(※和食をいただく際に、わさびを醤油にこぼすのは、
作法の上で好ましくないとされている)

懇意にしていただいている料理スタジオにこもって、
仕込んでからちょうど2週間。
封を開けて、味を研ぐ(味見のことです)
ふむふむ、しっかりとなじんでますな。

塩味だけでなく、複雑な旨みと日本酒の芳香が絡み、
ふくいくとした繊細な味わいと同時に、
豪胆な存在感があります。
時間をかけて手作りした甲斐がありました。

鍛造を終え、研師の手によって、
刃入れを済ませた
日本刀を手にしたような重量感がありますな。
申し分ない。

献立も決めたし、後は水菓子(デザート)の献立を
考えるだけですな

1ヶ月ほど前から、某居酒屋チェーンの依頼で
作っていた、アメリカンチェリーの
コンポートを使って、
日本酒のジュレ(ゼリー)でも出しますか。

仕事に通っている料理スタジオで試作してみましたが、
これがまた大変よろしい。
和洋問わず、見事に設宴を締めてくれる一品ですわ

考えてみれば、アメリカ産のチェリーと、
フランス産のワインが、
日本酒のジュレ(ゼリー)に飲み込まれてしまうという
一品なわけで、
まあ嫌味な料理ではありますな。

フランスのシェフを引き連れてきた
アメリカ企業のアイデアよりも、
我々日本企業のアイデアと企画の方が
優れているという意味に取れるからね。

その意味を知ったら、相手側は、
さぞかし悔しがるでしょうなあ、うふふ。
まあ、これも洒落とか粋ってことで、ひとつ。

さ、設宴の準備は万端、あとは楽しみましょう。

あ、そだそだ。高級食材が余ったら、
後で、まかないつくって、
手前でごちになろうっと。(やっぱり食い気かよ)

| | Comments (0) | TrackBack (0)

August 27, 2006

謎の依頼

仕事用のメアドに、メールが来たのさ。
いや、全然しらん人から。

なんか人づての依頼ってこともあるんでね、
添付ファイルも付いてないし
とりあえずウイルスチェックしてみてあけたのさ

そしたら一言

ふな

と書いてありました。

ふ、ふな?
お、お客様、何がご入用なんでございましょう?
笑いのツボにはまって、あたしゃ爆笑しましたですよ。

ひ~、おっかしいの。
しかしまあ、何か書いてる途中でメール送信してしまった
とかいう事故にしては、的確な文字配置だし、なんなんだろうね。

とりあえず、仕事の依頼用のアドだし
クライアント様からのメールだしなあ。お返事した方がいいかしらん

こんな感じでさ

■お問い合わせの案件につきまして

このたびは、当方にお問い合わせをいただき、
まことにありがとうございます。
当方はライターとして雑誌記事などを執筆する傍ら、
コピーライターとして多くの企業様の商品開発、販促などの業務に
広く携わってまいりました。

クライアント様のニーズに沿ったご提案をさせていただけるよう、
尽力する所存でございますのでよろしくお願い申し上げます。

(なお、当方の実績等につきましては、
HPで概要をご覧いただけますので
ご高覧いただき、ご依頼のご検討の材料としていただければ
幸いです)

これを機会に、今後ともご高配を賜りますよう、
よろしくお願い申し上げます。

さて、ご依頼の案件でございますが、生憎当方では、
「ふな」の取り扱いはございません。

お手数ではございますが、再度ご依頼内容について
お聞かせいただけませんでしょうか。
なお、お急ぎでしたら、鮮魚店ないし、川魚料理店に
お問い合わせされることをお勧めいたします。

以上取り急ぎご返信させていただきます。

松沢直樹 拝

とでも返信してみようかしらん。
ん? でも返事かえってきたらちょっと怖いかも

あ、真面目な話になりますが、書き物系のお仕事
募集しております。ウェブで商品を説明する文章製作をお考えの
企業様、

雑誌記事執筆などのライターをお探しの出版社様
企画出し、インタビューなど、諸々の作業がございましたら
お気軽にお問い合わせくださいませ。

| | Comments (2) | TrackBack (0)

August 25, 2006

公魚(きみうお)と鮎

気がつけば金曜日

諸々のお仕事で東奔西走する一週間でしたな。
日記の更新が滞ったのは一日中外に出て
ぐるぐるあちこち回る日が多かったためです。
ご容赦くだされ

今週に入って、なんだか急に暑さが穏やかになってきたね。
もちろん暑いには変わりないんだけどさ。
夕方くらいになると、少し秋めいた感じがするようになった。

立秋を過ぎたから、それも当たり前なのかな。

取材先で打ち合わせしたりした後
魚屋さんの近くを通ると、
この時期にしては大ぶりのさんまが売られていたりして、
一足早い秋の訪れを感じたりしております。

今年は異様な暑さのせいか、
すっかり食欲をなくしてしまいました。

できるだけスタミナのつくものや、
季節を感じられるものをいただくようにして、
心と体を癒しております。

この前の水曜も、魚を売りにした
某居酒屋さんに入ったのですけど、
公魚(きみうお)のお刺身と鹿児島の焼酎に
すっかり癒されました。

公魚っていうのは、ホウボウというお魚の別名

ホウボウってお魚は、なんとも不思議な姿をしてます。
砂底に住んでいて、カラフルな胸びれを広げながら
(なんか往年のジュディオングさんみたいだ)

その脇についた脚のようなもので、
歩き回りながら餌を探すお魚なんですな。

ウィキぺディアに写真資料があったので、ご参照くだされ
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9B%E3%82%A6%E3%83%9C%E3%82%A6

ちなみに、「わかさぎ」という川魚も、
公魚という字を当てています。

これは、味がよいことから、
その地方を治めるお殿様に献上したことから、
この字が当てられるようになったとか。

ホウボウもどうやら、そのような由来があるようです。

ホウボウを公魚と呼ぶのは、東北や北陸地方の
習慣といわれていますが、
江戸でも、よい型の物が水揚げされると、
将軍様に献上されていた時代があるそうで、そのことから
公魚と呼ばれていたのだとか。

ほんとは冬が旬のお魚ですが、
夏場でもじゅうぶんおいしい。

むしろ冬に比べて脂が少ない分、
僕はこの時期のお造りが最高に好きです。

さてさて、一品目にいい肴にあたったので気をよくして、
次々追加。

鮎の一夜干し、まとうだいの刺身、いとよりの刺身、
まぐろ赤身のヅケなどをいただく。いずれも美味でございました。

特に鮎の一夜干しは、いい風味でしたな。
注文すると、七輪を持ってきてくれて、
網の上であぶりながらいただけるのも、またよろしい。

和歌山の熊野川産と名が打ってありましたが、
どうやらほんとらしく、焼けた鮎をいただくと水苔の香りがしました。

魚介類って、お肉なんかと違って、
素材をほぼ全部食べることになることことがほとんどですから、
魚がどんなものを食べていたかによって、
味の違いがはっきりと出てきます。

(料理人の中には、大型の魚は自分でさばいて、
胃の中に残っているものを調べて、調理法を変える人もいます)

鮎は、小さい頃、虫などを捕食して成長した後は、
川底の石に生えている苔を食べて過ごします。

大人になった鮎の口は、ちょうどヤスリのような形をしていて
川底の苔を上手に削って食べるんですな。

子どものころに、夏場になると川にもぐって遊んだりしたのですけど、
鮎が苔を食べた後って、
ちょうど柳の葉っぱのような形の跡が石につくんですね。

その後を見つけたら、鮎がいる証拠。
潜って銛で刺して捕まえたりしたもんです。

とはいえ、そんなことは昔の話。
今、巷に出回っている鮎は養殖のものがほとんどです。

きれいな水の中で跳ねるように育った水苔の香りがする鮎なんて、
値が張る料亭にでも足を運べば話は違うでしょうが、
東京では、しがない物書きの口に入ることはまずありません。

養殖物も最近は変わってきましたが、やはり干したり冷凍したりすると
鮎が食べていたらしい配合飼料のようなにおいがする物に
多々出くわします。

それもまた興ざめなので、いかがなものかなあ…と思っていたら
これまたすごいものが出てきたので、すっかり驚いた次第です。

酒も体調に合わせて、焼酎の蕎麦茶割りにしたのですが、
これがまた鮎の焼き物によく合う。
乾煎りした蕎麦茶の香りと、水苔の香りをまとった鮎の香ばしい香りが
マッチして実にうまい。

一緒に頼んだ肴をつつきながら、杯を重ねるうちに、
すっかり元気を取り戻しました。

これで一品500円~600円程度
他にも馬刺しや、京都のお漬物などを締めにいただいて、
2人で散々飲んで、お会計は5000円ほどでございました。

しかしまあ、東京の真ん中で、こんな品をこの値段で出してたら、
原価われするんじゃねえの、なんて思っていたら、
会計を済ませた時に店長さんが応対してくれて曰く、
某大手チェーンの経営なんだとか。

なるほど、資金力と物流システムを持ってるから、
これだけ安くできるんだろうね。

これじゃ、一人で仕入れて、経営しているような小料理屋さんとかは、
よほど特化しないとお店やっていけなくなるだろうな。

料理の世界は、素材の目利きと腕で食えた時代がありましたが、
どうやら相当上手に、そろばんをはじけない時代になったってことですな。

安くおいしいものがいただけるのは、呑み助としては有難かったですが、
資本主義の弱肉強食の面を垣間見たようで、
ちと興ざめした次第でやんした。

うーむ、それにしても世知辛い世の中になったものよのう

時代は、確実に変わりつつあるようです。

| | Comments (0) | TrackBack (0)

August 17, 2006

再び個展のおしらせ

Machi_00031_5

以前このブログでも
お知らせさせていただきましたが
もう一度おしらせさせていただきますね。

拙著児童向け小説
「ぼくたちの空とポポの木」

の挿画を描いてくださった
福岡在住のイラストレーター 渡邉美奈子さんが
個展を開かれるそうです。

今回の個展のために製作された作品だけでなく、
「ぼくたちの空とポポの木」の原画も
公開されるそうです。

電子書籍でご覧いただいたあの原画が
リアルタイムにご覧いただけるチャンスですので
お近くにお住まいの方、ぜひ足を運んでみてくださいね

■開催情報

日時:2006年8月16日~20日
   (11時~19時まで。最終日は17時まで)

場所: 福岡市中央区天神2-8-136
     新天町きた通り
   ギャラリー風 (GALLERY KAZE)2階
    http://www.gkaze.jp/


日時:2006年8月23日~8月31日
場所:うきは市吉井町1238「矢野家蔵」
        (午前10時~17時)

| | Comments (2) | TrackBack (0)

August 15, 2006

1920年に彼は生まれた

彼は1920年に生まれた

彼が生まれた日、両親は新しい家族の誕生を喜んだ。

幼かった姉たちも、初めての弟の誕生を喜んだ。

 

厳格だった父は、彼を厳しく育てた。

でも、姉たちに囲まれて育った彼は

優しい少年に育った。

たくさんの思い出ができた。

 

6歳の春は、

父に隠れて、姉たちと一緒に白い花の種を蒔いた。

 

7歳の夏は、自分と同じ年に生まれた柴犬が死んで、

父に隠れて一晩中泣いた

 

8歳の秋は、父と二人だけで栗拾いにでかけた。
いつもは厳しかった父が、とても優しかったのが不思議だった。
 

9歳の冬は、はじめて学校の成績が一番になって、
父からアメリカの絵本を買ってもらった。

 

少年は、絵本の中に飛行機を見た。

少年は、初めて見る飛行機の姿にすっかり魅了された。

少年は、操縦士になる決心をした。

 

父は、飛行機に夢中になる少年を見て、
男の子らしく成長していく息子に目を細めた。

操縦士になりたいという少年の夢は、どんどん膨らんだ。

「絵本で見た大きな飛行機の操縦士になって、

お父様とお母様を、遠い国へ旅行に連れていきたいんだ」 

 

夢を膨らませ続ける少年に、父は、
操縦士の養成学校の存在を教えた。
 

勉強に励んだ彼は、17歳の春、
乗員養成所の試験に合格した。 

 

超難関と言われていた逓信省航空局の試験にパスした彼は

一人で米子に移り、難解な勉強と訓練に励んだ。

 

卒業して二等航空士の資格を手にしてしばらくした後、
彼は航空会社に職を得た。 

 

横浜の根岸にできたばかりの国際空港が、
彼の職場になった。
 

南太平洋のパラオに飛び立つ最初の日は、

両親と姉たちが見送りにきてくれた。 

 

彼の操縦する飛行機が、乗客を乗せて
初めて空を飛んだ時

彼の両親は、夢をかなえた息子の姿を誇りに思った。

 

半年の操縦経験を積んだ後、
彼は上司の勧めで見合いをし、
結婚した。
 

仕事柄、留守になりがちだったが、
妻は、彼の両親に暖かく迎えられ

毎日がとても幸せだった。

 

結婚して一年経った日、
彼に初めての子供が生まれた。

 

男の子を授かった彼は、かつて自分が
暖かく家族から迎えられたように

生まれたばかりの男の子を抱いて、
心から喜んだ。

 

その翌日、彼は軍から招集されることになった。

 

彼が操縦士の養成施設に入学した年から、
二等操縦士の資格を得た後、

半年の間、軍で飛行訓練を受けることが
義務付けられていた。

 

短期間のうちに技術を高められるし、

予備士官として軍にも籍を置くことで、
別の収入が得られる。

 

結婚した後は、むしろ、会社と軍から
手当てがもらえる選択をしたことを

感謝した。

 

若いのに、世間並み以上の生活を、
妻や息子や両親にさせてあげられることが

彼の誇りでもあった。

 

だが、その選択が、確実に彼の運命を変えていった。

軍での仕事は、今までと何も変わらなかった。

 

ただ、旅客機は輸送機に代わり、
乗客が軍人になり、

土産物や旅行者のトランクが、
米や弾薬に代わっただけだった。

 

彼は、飛びなれた横浜とパラオのルートを
淡々と往復した。

 

戦争に加わっている自覚など全くなかった。

 

だから、飛行ルートの先から向かってくる
戦闘機を見ても

別段気に留めなかった。

 

戦う意思などないのに

応戦する武器など持っていないのに

トンボのように小さな戦闘機は、

雲の切れ間に姿を消して

太陽を背にして

彼の飛行機を追いかけた。

 

決して話し合うことなどできない空の上で

彼は大きな飛行機を巧みに操って

逃げることしかできなかった。

 

彼の操縦技術は卓越したものだった。

 

まるで闘牛士が、興奮した牛の突進を
マントでかわすように

彼の飛行機は、戦闘機の攻撃をかわし、

燃料を浪費させた。

その技術の高さが、戦闘機の操縦者の闘志に
火をつけた。

 

そして、何度かの銃撃の中で、戦闘機が放った弾丸は

操縦席の彼の眉間を貫いた。

 

彼の飛行機は、無言のまま、
青い青い海の上に落ちていった。

 

戦闘機はそれを見届けると

何事もなかったかのように雲の中に消えていった。

 

彼の飛行機がどこに落ちたのかはわからない。

彼の飛行機に誰が乗っていたのかもわからない

彼が何を感じていたのかもわからない。

 

ただはっきりしているのは

小指の先ほどの小さな鉄の弾が

彼の命と未来を奪ったということだ。

 

彼は、家族に愛されて生まれた。

誰よりも優しい少年だった。

 

飛行機にあこがれて空を飛ぶことを夢見た。

 

だが、夢をかなえて、幸福な人生を歩みだした瞬間
彼は小指の先ほどの小さな鉄の弾に
全てを奪われてしまった。
 

彼は、両親にとってこの世でたった一人の息子だった。

彼は、姉たちにとってこの世でたった一人の弟だった。

彼は、妻にとってこの世でたった一人の夫だった。

彼は、生まれてきた子供にとって、たった一人の父親だった。

| | Comments (2) | TrackBack (1)

August 12, 2006

総合ベストセラー1位に

原爆記念日の日記はレスいただいたのに、
お返事をお待たせしてすみません。

急な仕事が入ったのもあるんですが、
なにぶん、台風とか低気圧が接近すると身体が動かなくなるという、
やっかいな体質なもので、余計にあたふたしております。
(身体が動かんとですたい)

おまけに深刻な夏ばて気味でして、スタミナを養うのが
最優先課題になりつつあります。
(なんとかしなきゃな)

そんなわけで(どんなんだ?)
必ずお返事を書かせていあだきますので、
ちとお時間くださいませ。すみませんです。

さてさて、あれやこれややってましたら、
新しい作品を販売してもらってる電子書籍販売サイト
「理想書店」さんから、メルマガが来ました。

==========================================
 □ 理想書店ベスト5(8/1~8/11)
==========================================

☆1☆ぼくたちの空とポポの木 
著:松沢直樹/画:渡邉美奈子 880円 マチともの語り

 http://www.dotbook.jp/dotbook/details.php?id=machi_00031

☆2☆靖国問題の核心 
三上治/富岡幸一郎/大窪一志 525円 講談社
 http://www.dotbook.jp/dotbook/details.php?id=kd000739

☆3☆今夜、すべてのバーで 
中島らも 420円 講談社
 http://www.dotbook.jp/dotbook/details.php?id=kd000044

☆4☆生協の白石さん 
白石昌則/東京農工大学の学生の皆さん 840円 講談社
 http://www.dotbook.jp/dotbook/details.php?id=kd000698
 
☆5☆苦海浄土 わが水俣病 
石牟礼道子 525円 講談社
 http://www.dotbook.jp/dotbook/details.php?id=kd000164



げ!
話題作「生協の白石さん」を抜いて
俺が書いた本が、今週のベストセラー 1位になってる!


あわわわっ! しかも中島らもさんの作品より出てるってこと?
みなさん、これだけこの問題に関心を持ってくださってるんですね。
なにはともあれ、ありがたいことです。

原爆の問題ですが、先日の記事を書かせていただいたところ
日本中の方からお問い合わせをいただきました。

またオーストラリアやフランスなどの海外からも
たくさんのお問い合わせをいただきました。

先日の日記で、私たちはごく普通の生活を送っていても
世界中と密接に関わりをもたなければいけなくなってることを
書かせていただきました。

海外の方で、原爆に関心を寄せる方が増えるように
平和や核の問題も
世界中の人たちが、自分の生活に直結する
問題だと考える時代になってきているのでしょうね

昔と違って
今はインターネットがありますから、
世界のいろいろなことを居ながらにして
知ることができるようになりました。

もちろん、ネットで全てのことが分かるわけでは
ありませんが
より世界が身近に感じられるようになったのは
否定できないと思います。

このことから多くの方が
世界中の様々な出来事に関心を持っていただけると
きっと誰もが望んでいる
真の平和を実現できる時代が
やってくるのではないか、と考えています。

おかげさまで本書「ぼくたちの空とポポの木」も
世界中のいろいろな方が手に取ってくださるように
なってきました。

本書を通じて
過去の戦争のことや
なぜ誰も望まない戦争が起きるのか
そしてどうやったら防ぐことができるのか
そのことを考えていただけるきっかけとなったら
とてもありがたく思います。

| | Comments (6) | TrackBack (0)

August 09, 2006

長崎原爆忌

Machi_00031_6

北九州が舞台になった原爆を題材にした拙著 児童向け小説「ぼくたちの空とポポの木」のテーマである長崎の原爆投下の日から、61年目の朝を迎えました。

僕が住む関東地方は、台風の大雨と、
厚い雲が空を覆ってしまっていて何も見えません。
61年前の運命の日も、こんなお天気だったのでしょうか。

ちょうど61年前のこの日、原爆を搭載した米軍のB29爆撃機
「ボックス・カー」は、グアム島の近くにあるテアニンの基地を
飛び立ち、僕が生まれた街・北九州の小倉に向かっていました。

奇しくも、61年前のこの日の小倉の空は
前日の八幡大空襲の煙のために
地上が確認できないほど曇っていたため、
急遽、攻撃目標が長崎に変更されたそうです。

広島に投下されたウラン235型原爆の2倍以上、
TNT火薬22キロトン相当の破壊力があるといわれていた
プルトニウム239型原爆・ファットマンは、

一瞬にして長崎の市街地を焼き尽くし、
死者・負傷者14万人、消失面積6,702,300m2
全焼全壊計約12,900棟という被害をもたらしました。

また、爆発の際に放出された放射線の影響で、
現在も後遺症と戦っている方が
たくさんいらっしゃいます。

NBC・長崎放送の記者として活躍された伊藤明彦さんは
ご自身の被爆体験を通して、
1971年より、全国を訪ね歩いて
ヒロシマ、ナガサキの被爆者の方284人の証言を、
音声ファイルに収めていらっしゃいます

被爆者の声 ヒロシマ・ナガサキ 私たちは忘れない
※クリックすると、音声ファイルを納めたホームページに
ジャンプします。ぜひ一度ご高覧ください

当時は、現在と社会環境が違った部分があったとはいえ、
家族や地域社会の人たちと生きていく「生活」の本質は
現在と変わらなかったはずです。

様々な年齢、そして様々な社会的立場にあった方たちが
述べられる61年前の生々しい体験は、この問題が
決して過ぎ去った過去の危機ではないことを
伝えているように思います。

同時に、経済が一国の政治の力すら凌駕する
する力を持ち始めた現在の社会に住む私たちは、
この問題が、私たち日本人だけの問題ではなく
今も続いている危機であるということを伝えていかなければ
ならないように思います。

61年前の長崎の街を、私は見たことがありません。

訪れた人を暖かく迎えている
異国情緒の街・長崎のシンボルともいえる
浦上天主堂は

暖かく澄み切った荘厳な空気の中、
静かに人々をみつめているかの
ように見えますが

原爆投下によって倒壊し、
再建された時期があったのですね。

残念なことに
イエス・キリストに導かれ
洗礼を受けたクリスチャンであった大統領の命によって
浦上天主堂は、

同じ神を信じた多くの尊い命とともに、
天へ帰ることとなってしまったのでした。

イエス・キリストが十字架にかけられ
磔刑の後、復活の奇跡を人々に示したように
浦上天主堂は、今は復活した美しい姿を見せています。

当時の面影は、やはり薄れてしまっているそうですが
焼け焦げたアンゼラスの鐘と聖母マリア像が

この街に住む方と訪れる人々に
人類の歴史を刻んだ一日を
今も静かに物語っているように見えます。

同時に
憎しみを捨て
赦しを与える寛大な心と強さを持つことで

神々しいまでの
満たされた生を手に入れられることを
強く 静かに
私たちに伝え続けているように
思います。

もし
8月6日の広島に雨が降っていたら
8月9日の小倉が晴れ渡っていたら

おそらく間違いなく小倉に
原爆が投下されたことでしょう。

そうしたら、私はまず生まれてくることが
できなかったでしょうし
当然こうやって文章を綴っていることもないはずです。

私たちは、ふだん意識することはありませんが
私たちの命は、私たちだけのものではありません。

次の世代の命を育むためのものでもあります。

今ある命を絶ってしまうことは、
これから先、生まれてくるかもしれない命を
絶ってしまうことでもあるのですね。

61年前の運命の日、小倉に原爆が投下されなかったために
この世に生まれてくることができたのかもしれないと思うと
そのことを「幸運」とか「運命」いう言葉で語るには、
やるせない思いを感じずにはいられません。

このように原爆の問題は、
広島と長崎だけの問題では
ありませんでした。

戦争当時アメリカは、原爆の投下予定地として
複数の都市を
候補にしていました。

たとえば、首都圏有数の政令指定都市である横浜も
原爆の投下予定地として有力視されていましたが
5・29の横浜大空襲のため、投下予定地から
外されてしまったそうです。

最終的な投下目標が絞られた後も
米軍は、原爆投下に備えた訓練のために、

東京、静岡、茨城、福島、新潟、富山、愛知、
京都、岐阜、滋賀、大阪、愛媛、徳島、山口
をはじめとした約50箇所に
「パンプキン爆弾」という
原爆と同じ重さの通常火薬を積んだ
模擬原爆を投下しています。

http://www1.ocn.ne.jp/~susuma/bombing/509/509MSN.htm

大阪の東住吉には、模擬原爆が投下された
記録を残すための碑が
現在も残っているそうです。

そのことを考えると、広島や長崎の方だけでなく、
他の地域で生まれ育った方も、ひょっとすると、
この問題に大きく関わりを持たなければ
いけなくなっていたかも
しれませんね。

誤解のないように付記しておきますが、
僕は、アメリカ政府が決定した原爆投下の加害を
責めるつもりはありません。

紙幅が足らないため詳細は割愛しますが
すでに60年以上の時間が経過していますし

当時は、日本を含め、
第二次世界大戦に参戦した全ての国が
必ずしも戦争を望む意見を述べている方ばかりでは
なかったからです。

また、戦争という極限の状態の中、
当時、第二次世界大戦に参戦していたそれぞれの国にも
人としての理想を貫いて善行を行った
人たちがたくさんいました。

アメリカをはじめとした当時の交戦国もそうですし、
日本もそうです。

それなのに、戦争は止められず
あれだけの被害を生んでしまった。

それはなぜでしょうか?

この矛盾について考えなければ
私たちの住む世界は、また近い将来、同じことを
繰り返してしまうのではないかと思うのです


困難な中、他の方に愛情を注ぎ、
人として生きる理想を貫いた人たちがいたことを忘れ
「加害と被害」という視点から過去の戦争を
検証することは、

過ちをののしり
新たな憎しみの連鎖を生むだけに
なってしまう可能性があります。

赦し、赦されるために

そして、かつて交戦した国々の方たちと
未来を作っていく最良の方法を模索するために

なぜあのような悲劇を生んでしまったのか
歴史の事実を学ぶとしたら、
あの戦争は、

今を生きている人
そしてこれから生まれてくる人の
命を守る尊い教訓になるのではないか、と思います。

ぜひ、そうあってほしいですね。

ご存知のように、国際情勢が悪化する中、
進歩した科学技術のおかげで、
自国にいながら
他国に核兵器を到達させることのできる
ミサイル技術が完成しています。

このことから分かるように、核や平和維持の問題は、
対岸の火事ではなく、私たち一人一人の生活に直結した
問題なのですね。

戦争や核の問題を考えることは、
ほかの誰のことでもなく
自分の生活を守ることでもあると思うのです。

それは、同時に他の国で生きている人
そしてこれから生まれてくる世界中の
人の命を考えることでも
あるはずです。

そんなことを考える余裕なんてない
日々の生活のことで精一杯なんだ
仕方ないじゃないか。

他人様や
見たことも聞いたこともない外国のことなんて
考える余裕なんてないんだ。
仕方ないじゃないか。

世の中の流れが芳しくありませんから
きっと、そう考える方も多いと思います。

生活していくことは、とても大変なことで、
自分の周囲のことで手一杯というのが
現状ということも珍しくありませんから
無理からぬご意見だと思います。


ですが、私たちの生活は、
経済の発達によって否応なしに、
世界の動きと連動する時代になっています。

その動きが、私たち一人一人の生活に
リアルタイムに
直接影響を与える時代になっているのです。

何気なく見過ごしてしまいがちですが、
ちょっと観察してみてください。

たとえば夕食のお買い物にでかけるスーパー

食料品やティッシュが値上がりしていませんか?
夏が旬で、値段がうんと安くなるはずの野菜が
異常なくらい高くなっていませんか?

その理由を全て説明する
紙幅はありませんので割愛しますが、
大きな原因の一つは

食料品を包装したり製造するための材料になる石油が
他国の戦争で値上がりしているからです。

このように、
聞いたこともない遠い遠い国で起きた出来事のせいで
私たちの明日からの生活が変わってしまうことが
いつ起きてもおかしくない時代になってるのですね。

世界の平和を考えることは
私たち一人一人が自分の生活を守ることでもあるのです。

何も難しいことを考えることはないと思うのです。

私たち一人一人の生活が世界と密接につながっている以上
自分の生活圏の中で見える何かを考えることで、
この世界が変わっていくと思うのです。

「戦争」という国家規模の巨大な問題も
要はこの世界で暮らす
私たち人間一人一人の生活から生まれてくる
問題なのですから。

なにより一番恐ろしく危険なのは、
他者に関心を持たないことなのですね。

自分や自分の大切な人が
真に安全に暮らしていけるためには
どうしたらいいのか。

この国に暮らす一人一人の人が、この問題の
真の解決方法を模索し
他の意見を持つ方たちと論議して最良の方法を
考えることで、

核を含めた平和の問題や、
不安定な世界は、大きく変わっていくのではないか、
と私は考えています。

広島、長崎の原爆、
そして第二次世界大戦の本土空襲で亡くなられた民間の方、
ならびに戦闘行為によって尊い命を落とされた
日本の兵士の方々、当時の交戦国の兵士の方々、
そして民間の方々に慎んで
哀悼の意を表します。
 

身はたとい
核の業火に焼くるとも
永遠(とわ)に轟(とどろ)け
アンゼラスの鐘

 

正義の名の元に
多くの方の命が奪われることが
もう二度とないように

そして、神の心を宿した人たちが
一刻も早く、尊い命を奪い合う争いをやめてくれることを
心から願ってやみません。

MAY GOD BLESS YOU ALWAYS

2006 8・9 松沢直樹

※「被爆者の声」ホームページの管理者様には
リンク許可について、ご好意をいただいたことを
心より感謝いたします。

また、長崎の原爆をモチーフにした拙著児童向け小説「ぼくたちの空とポポの木」について、挿画の協力をいただいたイラストレーターの渡邉美奈子様、出版に尽力していただいた有限会社「眺」様、書評をいただいた児童文学作家の ながたみかこ様

そして、拙著を手にとってくださって、他の方に一読をお勧めいただいた読者の皆様に感謝いたします。

ウェブ上で、無料で立ち読みができますので、機会がありましたらぜひご高覧ください

Machi_00031_7 ぼくたちの空とポポの木
理想書店

クリックすると、理想書店さんのページに移動します

| | Comments (81) | TrackBack (20)

August 06, 2006

広島原爆忌

今年の原爆忌は、とても暑い日になりました。
原爆が投下された8:15は、黙祷することにしているのですが
本年は、仕事しながらの黙祷となりました。

というのも、今春出版させていただいた原爆をテーマにした小説
「ぼくたちの空とポポの木」という小説が
朝日新聞さんの七月三十一日の夕刊(福岡地方)で紹介していただいてから
読者様から、多数ご意見をいただくようになったからです。

様々なご意見を拝読させていただいていますが、
過去の戦争から時間が経過しているのだなあ
ということだけは、
お寄せいただいた様々な意見から感じることが
できるような気がします。

61年前の夏の日
日本だけでなく、
世界中の人たちが凄惨な経験を教訓としたはずなのに
今も戦争は途絶えることなく、
世界の各地で続いています。

幸いという表現が適切かどうかはわかりませんが
核兵器に至っては、60年間、実戦で使用されてはいません。

しかしながら、冷戦の終結後、多くの国が自らの安全保障の名目で
核兵器の開発を進め、
より核の脅威が広がっているのは事実です。

こうやって安全に暮らしている私たちも、他国の人たちも
対岸の火事ではなく
偶発的に起こる他国の紛争に巻き込まれて
核の脅威にさらされる危険があるのが事実です。

60年前、核の脅威を世界で唯一自らの身体に刻んだ
私たちの国は、世界に向けて発信すべきことが
あるのではないでしょうか。

そして、何より
平和を享受している私たちが、
今ある平和を当たり前とせずに
過去の歴史に関心を持ち、様々なことを知ることも
大事なのではないかと思います。

この場では、多くを語りませんが
本作「ぼくたちの空とポポの木」の中で、
かつて少年たちが真摯に願った
戦争がなくなる日が
いつか絶対にやってくることを、僕は信じています。

※「ぼくたちの空とポポの木」は
電子書籍のパイオニア「理想書店」で、お求めいただけます

立ち読みもできますので、アクセスしてみてくださいね。
★理想書店「ぼくたちの空とポポの木」
http://www.dotbook.jp/dotbook/details.php?id=machi_00031

| | Comments (2) | TrackBack (3)

« July 2006 | Main | September 2006 »