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June 2005

June 21, 2005

今夜は小説を書きます

諸々の原稿を書き終えて一旦休憩。
文章を書く手を止めるのは、かれこれ20時間ぶりでございます。
くうううっ、めまいがするぜい……

現在、深夜2時半 コーヒーを飲んで一服ちう

一段落したら、今夜は自分の作品を書きます

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June 18, 2005

時速 5枚

諸々の週刊・月刊誌の原稿書きの仕事に追われております。

一応、痩せても枯れてもプロの物書きなので、
毎日日記を更新するなど、わけないことなのですが、
仕事が入ると、どうしても後手後手に回ってしまいますな(反省)

最近は、ネットの発達のおかげで
出版社さんや編集プロダクションさんから依頼をいただいた原稿を
メールで送ることが普通になりました。

便利になったんだけど、その分、依頼を受けてから短時間で入稿しなければ
いけないことが多くなってきたので、痛しかゆしではあります。

仕事にもよるけど、本日中に4000字程度の原稿(原稿用紙10枚)を
送ってくれなんて話は珍しくなくなってきました。
(もっとも、大きな出版社さんとかのお仕事は数日お時間をいただけることが
ほとんどなんですけどね)

中には、原稿以外に企画書なんかの資料を一緒に送らないといけないことも
多いので、複数のお仕事が入るとほんとに大変。
ちなみに、この一週間で書き上げた原稿や資料を合わせると、原稿用紙625枚

小説の単行本だったら、ほぼ一冊くらいの分量です。
打ち合わせなんかで出かけたりする間をぬって、原稿を書いてるから
実働時間で割ってみると、1時間あたり原稿用紙5~8枚くらいの原稿を書いてる
計算になります。

さすがにこうなってくると、自分の作品を書く気力も失せがちなので、
少し仕事も整理しないといけませんね。(飯をくいっぱぐれない程度に)

さてさて、今夜は久しぶりに自分の企画に時間を使える日なので
もろもろの作品を書き進めたいと思います。

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June 10, 2005

コンぺ参入

午前中、都内の某広告代理店へ。
とあるコネクション経由でお呼びがかかり、
某コンビニのCM制作コンぺに参加させていただくことになった。

割と大きな仕事は、クリエーターがアイデアを提案して、
気に入ってもらえた方が仕事をもらえるって寸法。
英語のコンぺティションを略して、コンぺなどと言ったりします。

あちこちの制作会社のプロデューサーさんが
クリエーターさんを引き連れて参加してたけど、
フリーは俺だけ。居心地悪かったなあ。

コピーライターとしての、今までの実績が認められて(らしい)
お呼びがかかったわけだけど、
仕事を確実にもらえる保障はない。

おまけに今回は、企画から一通りの段取りを
自分一人で出さないといけないので、
かなりしんどいですな。

勝算は薄いですが、まあ、前向きに考えましょう。

午後からは、都内の制作会社で初顔合わせ。

名刺交換の後、午前中の、某大手広告代理店の方と
コネクションのある方で思わず苦笑。

ほんとクリエーター関係の人脈ってせまいもんだ。

★公開オーディション「小さなつばめとりんごの木」
出版検討までのポイントまでは、まだまだ遠いけど、おかげさまで予約が伸びてますね。
みなさまありがとうございます。

まだご覧になっていらっしゃらない方、無料で全文が読めますので
よかったらご覧いただくとうれしいです。

★童話「小さなつばめとりんごの木」(閲覧は作品名のところをクリックしてください)
http://www.alphapolis.co.jp/dream.php?citi_id=222005401

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June 08, 2005

爆弾作品

お世話になっている文芸サイト「マチと物語り」さんで、
「ぼくたちの空とポポの木」という、
児童向けの小説を書かせていただくことになった。

なんだか、ほのぼのとしたタイトルなんだけど、
第二次大戦末期に長崎に投下された原爆をテーマにした作品なんで、
正直言って書き進めるのが恐い。

というのも、歴史や政治的な話が絡む作品って、
批判の的にされがちだから。
特に、韓国や中国との国交に問題が生じている現在、
こういう作品を発信することは、それなりの覚悟がいると思う。

とはいえ、僕の世代の物書きが今書かないと、
永遠に歴史の彼方に埋もれてしまうテーマってあると思うんだよね。

僕自身、先の戦争を経験したわけではないんだけど、
戦争の残した爪跡をたくさん目の当たりにしてきた。

既に高度経済成長期を迎えて、今とほとんど同じライフスタイルの中で暮らしていたから、
あまり話題にされることはなかったんだけど、やはり戦争の爪跡はそこかしこに残っていた。

小学校にあがるくらいまで、沖縄に行くにはパスポートと予防接種が必要だったし、
僕が中学生くらいの頃までは、第二次大戦末期の本土空襲の被害にあった方や、
実際に従軍しなければいけなかった方がたくさんいた。

日々の生活の中で、その方達の痛みに触れることの決して少なくはなかった。

特に長崎に投下された原爆は、僕にとっては他人事ではなくて、
戦争当時には生まれていなかった僕たちの世代にも、深刻な問題を落としていた。

そういった、戦争の負の遺産は、時間の流れとともに、
人々の記憶から忘れ去られようとしている。

記憶には2種類あると思う。
永遠に止めておきたい記憶と、そうでないもの。

実際に戦争を体験された方にとっては、戦争の記憶は後者だろう。

でも、そんな過酷な時間の中で、人としてのあり方や、他人に対する優しさや、
愛情を注ぐことを学んできたのも事実だと思う。

僕自身、先の戦争を肯定する気は毛頭ない。
だけど、先の戦争を否定することからスタートして、新しい道を歩んできたこの国が、
たどり着いた「現代」という時代が正しいとは到底思えない。

児童買春やオレオレ詐欺などといった、犯罪の急増を見ても一目瞭然である。

先の戦争を否定することから始まった「自由」という考え方は、
私腹を肥やすことと情欲を満たすことしか頭に無くなった大人を生み出す土壌を
作ってしまったのは否定できないと思う。

一介の無名な物書きが、何をどうこうできるということはないんだろうけど、
大人達の最後の良心を呼び覚ます作品を書けたら……と思う

★公開オーディション「小さなつばめとりんごの木」
出版検討までのポイントまでは、まだまだ遠いけど、
おかげさまで予約が伸びてますね。みなさまありがとうございます。

まだご覧になっていらっしゃらない方、無料で全文が読めますのでよかったら
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June 03, 2005

遺書

眠れない。

以前の日記にも書いたように、原稿を書き上げた後や、
過労がたたると全く眠れなくなってしまう。

なぜか出版関係に携わる人に、こんな症状は多いらしいけど、
僕の場合は遺伝的な体質もあってか、特に波がはげしい。

友人の医師からマイナートランキライザー
(気分を落ち着かせる精神安定剤)を非常用に処方してもらってるが、
今回に限っては全く効果がない。

まいった。降参。こういう時は無理をせず、起きているのが一番だ。

音楽を聴くのもいいが、今夜はどんなに和む曲を聴いても、心の襞に何かが突き刺さる。

チェリスト溝口肇氏の曲とシンガーソングライター崎谷健次郎氏の曲を
数曲聴いただけで、早々にCDプレーヤーをストップし、買ってきた書籍に目を通す。

目に通した書籍は「遺書」(幻冬舎文庫刊)


内容は、若くして自ら命を絶った5人の若者たちの最後の言葉と、
なぜ彼らが自殺に走ったのかという考察を交えて、軌跡をたどるノンフィクションである。

購入したとはいえ、読書を楽しむために手にしたわけではない。

知り合いの編集者さんに打診いただいた、単行本の企画資料として
最適だと考えたからだ。

自殺に走る人の多くは、ある日突然、何の前触れもなく命を絶ってしまうことが多い。

この問題を読み解くには、精神医学や臨床心理学などといった
学術的な知識を有していることが、非常に重要である。

本を書く上で必要になる、その手の知識は十分有している。
仮に補足資料が必要になれば、どこぞの図書館にでもこもれば、
十分ことたりるだろう。

ただ、残されたわずかなメッセージから、他界された方の生前の心情を
正確に読みとるための資料となると、なかなか最適な物はみつからない。
実際、資料探しは難航した。

この本を選んだのは、取材や執筆にあたっているスタッフが、
ドキュメンタリーの中で取り上げられている自殺された方と、
年齢が非常に近いということだ。

(もっともそれだけではなくて、実際にお会いした方も
スタッフとして名を連ねていらっしゃるし、以前、記事を書かせていただいた
リクルートのフリーペーパーR25などで、お名前をお見かけした方が
スタッフとして、クレジットされていたのもあるんだけど)

他界されてしまった方とほぼ同年代の執筆者の方なら、
37歳の僕が容易に見過ごしてしまうであろう、
この問題の本質を突いたデリケートな部分を、
拾い上げることに成功しているのではないか? 

そういう直感から選んだ書籍だった。その読みは当たったようだ。

一通り目を通してみて、非常に胸が痛んだ。
いや、そんな単純な感想ではないな。
人が自ら命を絶つという事実を追った本だから、胸が痛むのは当たり前だ。

人が自ら命を絶つという事実を追った内容よりも、僕が強い痛みを覚えたのは、
命を絶とうとしている人が、実際に自殺に踏み切るまでに、
信頼している人や周囲の人に発し続ける「無言のサイン」が、
残された手紙や電話の会話記録から、いくつも読みとれることだった。

不謹慎だが、心を病んだ苦しみ(医学的にという意味でだが)を
知らない人には見えないであろう、
「人が自らの命の糸を切り落とそうと決断する瞬間」が迫る様が、
僕にはありありと見えてしまう。

自殺を考える人は、自らが苦悩していることを、
他人には伝えられないほど疲弊しきっている。

助けを求めようにも、そのことを伝える気力すら奪われてしまっているのだ。

彼らは、自分が窮地に立たされていることを直接告げられないために、
必死になって自分の信頼している人に、救いを求めてサインを発信し続ける。(※1)

(※1:犯罪の被害に遭った方が、なかなかその事実を人に告げられなくなるように、
心に深い傷を負った方は、そのことを直接、他者には、
なかなか告げられなくなることが心理学上、明らかにされている。)

それは、言葉で異変を伝える代わりに、暗号に等しいサインになって現れる。

たとえば、「ふだんは大人しくて物静かな人が、些細なことで激高して執拗に食い下がったり」、
「ふだんは関心を持つことに全く興味を示さなくなることだったり」、
「自分のことをどのように思ってるのか」という執拗な問いだったり、

「愛情を示す具体的な行動を自発的に見せるよう要求すること」だったり
「電話やメールの返事を執拗に要求したりといった行動」だったりする。

はっきり言って人それぞれで、共通した兆候はないと言った方がいいだろう。
それだけに読みとるのが難しい。またそれ故に最悪の事態が迫っていても
誰も気付かないという悲劇が起きてしまう。

悲劇はそれだけにとどまらない。

彼らの無言のサインを読みとれなかったことで、
残された人は、自分たちをいつまでも許せなくなってしまうのだ。

自分がこのようなルポを任されたら、とてもではないが
遺族の方にインタビューなどはできない。

一部には、自ら命を絶ってしまう方を屈折していると揶揄する人もいるし、
「言葉に出さずに自分の心の内を汲み取れなんて身勝手すぎる」という人もいるが、
自殺を考えるほど追いつめられて、心が崩壊寸前になっている人は、
このような形でしか、周囲の人に自分の異変を知らせる術がないのだ。

おそらく、このような状況を目の当たりにしても、ほとんどの人は、
いつもとは何か違うとは感じながらも、まさか相手に死が迫っているとは思わないだろう。

中には、執拗に何かを要求されることに嫌悪感を覚えて、
拒否反応を示したり、感情的になって反論したりすることも多いと思う。

人は言葉でしか、自分の内面で起きていることを伝えられないわけだから、
何もはっきり言わずにしつこく絡まれたりすれば、反論したり拒否したりするのは、
至極当然な反応といえる

(心理学的にも本能的に自分を防衛する心理が働くので、
このような行動を取るのは当たり前とされている)

だが、自殺の念に取り憑かれている人は
「信頼している人なら、言葉では伝えられない危機に気付いてくれるに違いない」
という望みを託して必死にコンタクトを取ろうとしてきていることが多い。

感情的になって反論されたり、話を聞いてもらえなかったりすると、
「信頼している人に見捨てられてしまった」と錯覚してしまう可能性がある。

また、積極的に誰ともコンタクトを取ろうとせず、手紙や持ち物に
「信頼している人なら気付いてくれるかもしれない暗号」をそっと忍ばせることによって、
救いを求めようとすることも多い。(この場合の方が深刻な事が多い)

些細なことのように見えるが、無言のSOSに気付いてもらえなかったり、
理解しようとしてもらえなかったりすることによって、
信頼している人とすれ違ってしまった人の絶望感は、はかりしれない。

「大袈裟な」という人がいるのだが、人はこのような心理状態の時は、
針でつつかれたようなわずかな痛みでも、簡単に命を失ってしまうのである。

言葉でしか、お互いの意思を伝えることのできない
「人間」という存在の悲劇がここにある。

だが、人一人の命を一瞬で奪う鋭い刃になるかと思えば、
冷え切った心を暖めて底知れぬ「生きる力」を、言葉が与えてくれるのも事実である。

文筆業に就いて時間だけは経過したが、
まだまだ自らを磨き上げる手を休めるわけにはいかない。
一つ一つ心をこめて、言葉を拾い、命の糧になる文章を紡げたら……と思う。

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June 01, 2005

へキエキ

単行本の印税振り込みの連絡があった。

雑誌記事の原稿料、その他の仕事の振り込みと併せて
銀行で確認。

最近、移動、取材、打ち合わせ、原稿書きの連続なんで
こんなちょっとした変化があるだけでも気分がほぐれるね。
(収入が確認できたというのもあるんだろうけど)

で、少し木戸銭をいただいたのをこれ幸いとばかりに
バーで少々飲んだ後、打ち合わせの席へ。
皆で夕食を取りながら、新しい雑誌の企画会議という寸法。
その席で、最近、小説の単行本を上梓した、とあるライターさんと同席する。

久しぶりに会ったので挨拶をしたら、呆れてしまった。
以前会った時とはあからさまに態度が違うのだ。

本人は気がついてないんだろうけど、
新しく上梓した二冊目の単行本の事や、それについてメディアから取材を受けた
ことを一方的に話し続けて、肝心の企画会議の話題については発言しようとしない。

挙げ句の果てはキャリアの長い先輩ライターさんや編集者さんに対して
失礼極まりない発言をする始末。

「同じ物書きとして」みたいなことを連発してたけど、
たかだか一冊二冊本を出したやつが、業界歴二十年近い方に
対して話す態度じゃないよねえ。

みんな大人なので、その場は何も言わずに解散し、
件のライター氏を除いて、再度別の店で打ち合わせをすることになったのだが
皆、酒も入ってることもあって爆発。

某大手出版社の編集者さんなどに至っては、カンカンになってしまい
「知り合いの編集者全員に手を回して、あいつには
二度と仕事をさせないようにしてやる」などと気炎を吐く始末。

なんとか止めてやりたいが、残念ながら近いうちに、
本当にその方はそうされるかもしれないな。
薄氷を踏んじゃったしねえ……

出版業界は狭くて、数人の編集者さんに悪評が伝わると、あっという間に
ほとんどの出版社さんにその話が伝わってしまいかねない。

そういう怖さを知っているので、キャリアの長いライターさんは、
自著を出そうが何だろうが、いたって謙虚なままである。

というか、確かに単行本を上梓するのは大変なことなんだけど、
そう珍しいことでもないんだよね。

そもそも、一日に刊行される単行本って日本中で200冊を越えるから、
俺みたいによほどスローペースで仕事をしているライターはともかく
それなりのキャリアがあるライターさんなら、
1,2年に一冊程度は単行本を上梓しているものなのだ。
(もしくは雑誌などの媒体に膨大な原稿を寄稿している)

だから別に珍しくも何ともないんだけどね

ところが、一般の方にすれば、本を出してるっていうことは、
相当すごいことのように感じられるようで
ちょっとした文化人みたいな言われ方をすることもある。

おそらく、こんなところで勘違いしていっちゃうんだろうな。

昔はよく、こういう人を諫めたんだけど、最近は何も言わなくなった。
どうせ人の言うことには聞く耳を持たないし、
業界のルールはおろか、人として守るべき約束を果たさない人が
ほとんどなので、こちらがとばっちりを食らったりしたら、たまらない。

まあ、余計なことは考えず、今は自分の作品を書きたい時期なので
日々こつこつと精進してまいりましょう。

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ぼちぼち予約が伸びてます

アルファポリスさんに公開させていただいている童話
ちいさなつばめとりんごの木ですが、
ぼちぼち予約が伸びてますな。現在総合8位

300冊予約が集まらないと本にはならないので
なかなか難しいかもしれませんが、
これだけ宣伝もなにもしなくて予約が集まるんなら

あちこち売り込みをかけると、どこかの出版社さんが
企画を採用してくださるかもしれませんな。

今は、忙しすぎて、手が回らないけど
しかるべき時に、あちこち回ってみましょう。
とりあえず150社ほど版元さんと知り合いができたので
なんとかなるかもしれませんな。

まあ、せっかくオーディションに出したので
まずはこちらのプロモーションを注力しましょう

☆童話 小さなつばめとりんごの木予約ページ(無料で全文が読めます)

http://www.alphapolis.co.jp/dream.php?citi_id=222005401

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