« February 2005 | Main | April 2005 »

March 2005

March 29, 2005

栴檀は双葉より芳しく…

一つ仕事を終えてはまた締め切り。
年度末の最後は毎年こうなんだけど、
さすがに気が滅入るね。

仕事の休憩中、文藝春秋に掲載されていた
司馬遼太郎大先生がサラリーマン時代に書かれた
原稿なるものを拝読。
つまり作家司馬遼太郎として活動する前に
新聞記者・福田定一として書いた文章ね。

栴檀(せんだん)は双葉より芳しい(※)というけど
拝読して愕然とした次第です。

(栴檀という香木は、双葉の時から芳香がすることから
 優秀な人は技術を磨く前から、すばらしい才能を発揮することのたとえ)

もちろん、あれだけの名作を残された大先生と自分の駄文を
比べようなんておこがましい考えは微塵もありませぬ。
とはいえ、自分も売文で生計を立てる身ですので、
新聞記者当時の先生の文章を拝読させていただいて、
身が引き締まる思いがしました。

司馬遼太郎先生は、前述の通り、新聞記者から転身して作家に
なられたわけですが、全国紙なんかのメディアに署名記事を寄稿するという
立場にいた点を考えると、サラリーマンとフリーランスという立場の違いはあれど
今の僕と何ら変わらない環境で仕事をされていたことになる。

言い換えれば、僕は今、当時の司馬先生と同じ土俵の上にいるわけだけど
なんと自分の文章の甘いことか。
そう感じるのは、やはり、文章に対する気概の差だろうか。

司馬先生が新聞記者として活動しておられたころは、
サラリーマンであっても、文章で生計を立てることは至難の業だったと思う。
また、現在のように表現の自由が保障されているわけでもなく、
些細なことで当局の検閲を受けたり訴訟問題に発展した時代だ。

当然、そのような中で仕事をし続ければ、
自分の書いた文章が社会に与える影響についても意識するようになるだろうし、
自分の書いた一行で生活が破綻しかねないという危機意識とも戦いながら
文章を書かなければいけなかったに違いない。

そこまでピリピリした中で文章を書く気概は自分にはないと思うが
やはり、それくらい気を引き締めて一文一文を書いていきたいね。

ひょっとすると今の自分を越える鍵は、このあたりにあるのかもしれないな


| | Comments (0) | TrackBack (0)

March 28, 2005

入稿

昨年夏、マチと物語りというサイトで連載させていただいていた
「埋もれ行く恋」という作品が、電子出版されるということで、
必死扱いて改稿作業を行っていたのですが、
ようやく本日脱稿。

無事決定稿を送ることができました。
はあ~口から魂が抜けた気分です。

かといって、のんびりしてもいられない。
今日は、女性誌の原稿の締め切り日
それと単行本の企画書を書かねば

頑張れ自分。でもさすがに徹夜続きでめげそう

| | Comments (0) | TrackBack (0)

March 21, 2005

カレー焼きを追って福岡へ(後編)

福岡から帰ってきて、企画の売り込みやら何やらで版元さんを回り、溜まった仕事を片付けてたら、あっという間に数日が飛んでしもた。さすがに年度末、とほほですな。

実は今月末に決定稿をお渡ししなければいけない小説も、改稿作業の途中でして、火に油を注ぐ戦争状態な毎日。
そんなさなか、福岡に取材に行った際に撮影してきた「カレー焼き」のポジが上がってきたので、先にお約束のレポートをさせていただきますね。
(デジカメが壊れたので、あちらでは久々に一眼レフがフル稼働。現像に時間がかかったので、ご報告が遅れた次第です。ご容赦くだされ)

さてさて、またまた時間が空いてしまったので、もう一度話題の整理から。
今川焼き(大判焼き)を細長くしたような皮の中に、カレー味の餡を入れて焼いた「カレー焼き」なるお菓子があるんですわ。

僕も小さい頃親しんだ、懐かしい想い出のあるお菓子なのですが、このお菓子、てっきり福岡発祥と思いきや、福井、広島、徳島、三重その他の地域でも売られていることが発覚。(その後、この日記にレスをつけてくださった方から滋賀でも販売されていたことが判明。情報ありがとうございました)

で、「一体どこが発祥の地なのか」ってことを調べていたら、
霞ヶ関の特許庁に残っている登録商標などから、広島県にある鯛焼きや今川焼きの材料を製造販売している「ヤマト食品株式会社」さんが、今から数十年前に開発した商品だということが分かったんですな。

広島発祥のこのお菓子は、またたく間に地方に広がり、40年前ほどの、大分のとあるお店では一日に10万円も売上があがるほどの大ヒット商品となっていたことも分かりました(ちなみに当時の物価を考えると、おそらく10万円は現在の100万円~120万円程度の価値があるのではないでしょうか)

ところが、ここで新たな疑問が。
開発から数十年経った今でも多くの方に支持されている、この「カレー焼き」が、現在はなぜ一部の地方でしか販売されていないのか。

現在、販売されている地域が西日本に集中しているのは嗜好の影響なんかで説明がつくような気がするけど、「お好み焼き」をはじめとした、「粉食キングダム」の大阪で現在販売されている所がないのは説明がつきにくいような気がする。
ウェブ読み物マガジン「※日刊耳カキ」を運営しておられる大阪出身の大先輩ライター 吉村智樹さんによると、小さいころに食べた記憶があるものの、その後は全く見かけることがなくなってしまったらしい。つまり、大阪には上陸したものの、その後姿を消してしまったということだろうか

※ http://www.mimi33.com/index.php

CIA並みの調査能力を誇る私でも(をいをい)このあたりの理由の真相は探れども探れどもつかめず。たまたま私用も重なったので、福岡に飛び、実際にカレー焼きを販売しているお店を取材することにした。

で、カレー焼きを作ってるお店はあっさり見つかったんだけど、これがねえ、取材を申し込むべきかずいぶん迷ったんよ。お母さんが一人で焼いてらっしゃるお店なんだけど、なんていうのかな、生活の糧を稼ぐというよりも、ご自分のライフワークとして街の子ども達に、おやつを作り続けている感じのお店で、俺のような知名度も糞もない「どサンピンライター」が、いけしゃあしゃあと取材を申し込めるような雰囲気じゃないんだわ。

それにさ、自分のブログにしか書かないにしても、相当の数の方の目に触れる可能性があるでしょ。
そのことが原因で、街の方と良い関係を保っているお店の仕事がめちゃくちゃになってしまったら申し訳が立たないもんね。

それに「カレー焼き」は、自分の実家が大変な問題を抱えていたオイルショックの時代に、心を支えてもらった想い出が詰まったお菓子でもあるんです。
その大事な想い出を自分自身で壊してしまうような気がして、福岡に滞在している間、正直、取材を続行すべきかどうか、ずいぶん悩みました。

とはいえ、自分で提起した問題を知りたいという読者様が一人でもいらっしゃる限り、文章にしてお届けするのがライターのライターたる所以でもある。複雑な思いを抱えながら、東京に戻る日の夕刻、お店に足を運んでみました。
よほど僕が切羽詰まった表情をしていたんでしょうな。お店のお母さんは、お店の名前を出さないこと、記事からお店が推測できないようにすることなどを条件に、取材に応じてくださいました。

さてさて、早速、カレー焼きを作る過程を写真に撮らせていただきました。要は二つの生地を別々に焼き、片方の生地に細長くカットしたカレー味の餡を入れ、頃合いを見計らって二つの型を合わせて焼き上げるという方法で作ります。
20050321-1

2005-321-2

20050321-3

基本的には今川焼きと同じですが、細長い形に餡を入れるために、独特の道具の中にカレー味の餡を入れておき、スケッパーで切り分けて餡を流し入れる必要があるため、かなりの技術を要するようですな。

「カレー焼きっていうのは、広島でできたものなんだけど、今川焼きにあずき餡以外の物を入れて売っていたところは昔からあったんですよ。たとえば山梨だと野沢菜とかね。あたしが生まれた東京の江戸川ではきんぴらごぼうなんかが入ったものが、人気がありましたねえ」

どうやら、カレー焼きは広島発祥なのは間違いないが、それに類する食べ物は、日本中のあちこちにあったようだ。
また、カレー焼きという名前も必ずしも統一されたものではなく、お店によっては独自の名前が付けられて売られているようだ
(実はこのお店もそうだった)

以前の日記をご覧いただいた、大先輩ライターの吉村智樹さんから、既に発売はされていないものの、原宿チーズドッグという、カレー焼きに似たような商品が、東京でも販売されていたという情報を寄せていただきました。
このことから考えると、名前は違うものの、カレー焼きに似た商品が今でも関西より東でも売られているかもしれないですな。

「そうですね。たぶん東京の方でもあるんじゃないですか。おいしい物は、みなさんどこの方でも大好きですしね」

ずいぶんきっぷがいいしゃべりっぷりだと思ったら、お母さんは、東京の生まれなんだそうだ。福岡生まれのご主人と知り合って、この街に嫁ぎ、それ以来こうやってカレー焼きを焼いていらっしゃるとのこと。

「そりゃあね、最初はずいぶん戸惑いましたよ。東京とはずいぶん勝手が違いますからね。とはいえ、今はすっかり住み慣れました。主人も送りましたし、お姑さんも送って一人になりましたけど、東京に帰るのは考えちゃいますね。息子たちが東京にいて、帰っておいでって言ってくれるんですけど、まだまだ私の焼くカレー焼きを楽しみにしてくれている子どもたちがいますからねえ。なかなか名残惜しくて……」

街の盛衰とともに、日々を実直に過ごしてきたお母さんの言葉は、とても重みがあった。幼い時に戦争の時代を過ごし、ご主人と知り合って新天地へとやってきた若いころのお母さんの胸の内にはどんな思いがあったのだろうか。街が高度経済成長期に沸いた時期をとうに過ぎ、人が少しずつ減っていく老いを迎えはじめた今の街を、お母さんはどんな目で見つめているのだろうか。

「これね、わたしの宝物なんですよ。お店に来た子に自由に書いてもらってるの」

この街の昔を知る僕の胸の内を悟られたのだろうか、お母さんは、ふに数冊のノートを手に取ると僕に見せてくれた。店に来た子ども達が自由な思いを綴ったノートだった。遠い記憶になりはじめた蒼い思いが書き殴られたノートがとてもまぶしい。

「うちの子は、障害のある子でしてね。子育ての時期は大変でしたが、苦労はしたと思ってないんです。障害と言っても個性だと思ってましたから、甘やかさないで、しっかり教育して大学まで出しましたからね。今は、ちょっと勉強ができなかったり、他の子と違った部分があると、世の中がその子を否定しようとしたり、甘やかしたりしちゃうでしょう? 一度、このノートを学校の先生に見せてあげたいですよ」

一冊ノートを手にとってページを開いてみる。そこには、決して学校や家庭では見せない、子ども達の等身大の心の叫びがあった。
お母さんは、街の子どもを育てる第二の母として、この街に必要な人なんだろうね。
そういえば、俺が子どものころって、親にも学校の先生にも教えてもらえないことをそれとなく教えてくれる大人の人ってたくさんいたよなあ。

「わざわざ通い所から買いに来てくれてありがとうございました。また戻ってきたら、ぜひいらしてくださいね」

礼儀正しい折り目のついた、お母さんの挨拶がなんだかこそばゆい。昭和の匂いの残るこのお店が、この街にいられる時間は、きっと決まっているのだろう。でも、かなうことなら、できるだけ長く子ども達の心の拠り所であってほしいな。そんなことを考えつつ、福岡を後にしました。

カレー焼きが大阪より東の地区で販売されているかどうかは、
もう少し調べてみますね。とはいえ、名前が変わって販売されている可能性があるとのことなので、かなり難航しそう


| | Comments (0) | TrackBack (0)

March 15, 2005

カレー焼きを追って福岡へ

昨日から私用と仕事を兼ねて、福岡に来ております。
仕事というのは、今月末に校了しなければいけない小説
「埋もれ行く恋」の舞台となる街を再取材するため。

福岡の「唐人町」「天神」「中州川端」っていうところを取材したんだけど
自分が青春時代をすごしたころとはさすがに変わってましたね。
時間の流れを感じますです。

で、もう一つの目的が、ミクシィでも書かせていただいた
「カレー焼き」というお菓子の取材でござります。

当然、話が見えない方が大多数だと思いますので、ご説明。

僕が小さい頃過ごした街で、「カレー焼き」なる御菓子があったんですんわ。
カレー焼きっていうのは、今川焼きを細長くしたような独特の形の皮の中に、
カレー味のキャベツなどの餡が入った独特の食感を持つお菓子。

僕にとってはすごく懐かしい思い出のある御菓子なんだけど
たまたまネットで調べてみたら、このカレー焼き、
なんと、全国各地で販売されていることんですわ。


ざっと調べただけでも、福井、滋賀、広島、徳島、福岡、三重で販売されており、
しかも各地で根強い人気を誇っていて、
「消えた」などと言うには、ほど遠いことも分かった。

ところが、ここで一点の謎が新たに浮上。
福井、徳島、広島、福岡、三重、というように、
かなりの広範囲で販売されているものの、
いったいいつごろどこで生まれたお菓子なのかが分からないのだ。

読み物ウェブサイト「日刊耳カキ」を運営しておられる
大先輩のライターさん 吉村智樹さんからいただいた
コメントによると、大阪(氏は大阪府寝屋川市のご出身)でも昔は売って
いたが、いつの間にか、販売されなくなってしまったらしい。

こういう地域もあることを考えると、かなりの地域で販売されていたんじゃないだろうか。

少なくとも30年ほど前には、各地で発売されていることは分かっているんだけど、
そのせいもあってか、発売当時のころを正確に記憶する人が見つからず、
このお菓子の誕生・発祥地についてネット上で
激論が交わされているらしいことも分かりました。

正直、僕も、自分が小さい頃住んでた場所が発祥の地だとばかり思っていたので、
日本各地で売られていることに、びっくりしたとです。

そんなわけで、全国各地の販売店の情報を集めて、
発祥の地のルートをたどったんだけど、最終的に、ある食品メーカーさんにたどり着いた。

その食品メーカーとは、広島県福山市に本社を構える ヤマト食品株式会社さん。

ヤマト食品株式会社さんは、今川焼きやお好み焼きなどといった
お菓子の材料を製造販売している会社さんである。

なぜ、この会社さんに行きついたかというと、僕が昔、カレー焼きを買っていたお店に、
「マンソートのカレー焼き」という看板がかかっていたことを記憶していたからだ。

なにぶん古い記憶なので「マンソート」ってお店の名前かと思っていたんだけど、
取材の過程で、他のお店にもこの「マンソート」という名前のついた看板があるのを発見。
そこで新たな疑問が浮上
ひょっとして、この「マンソート」って言葉、お店の名前じゃなくて、登録商標じゃないのか?

登録商標というのは、会社名や会社の発明した商品の名前を
法律で保護してもらう制度のことだ。
あくまで推測だが、昔は、特許法の関係で食品の特許が取れなかったので、
(博多名物 辛子明太子が特許を取れなかったのはあまりにも有名)
全国展開を考えた発明者の方が
登録商標を取ることで、他の業者の模倣を防ぎ、
全国販売のフランチャイズかなにかを、なさろうとしておられたのではないだろうか。

早速、ネットで特許庁の商標登録データベースを検索してみる。
もし、この商標がまだ使われているとしたら、簡単に権利者の方が
分かるはずだ。

該当1件

ヤマト食品株式会社
広島県福山市

ええええええ! カレー焼きって広島生まれだったの?
早速ヤフーでヤマト食品株式会社のHPを探してアクセス

ヤマト食品株式会社
http://www.yamato-foods.co.jp/

あん粉館“8010”
http://www.rakuten.co.jp/yamato-foods/

あれれれ、でもカレー焼きなんて出てこないぞ。
ほんとにこの会社と関係あるのかな。

お忙しい中、ご迷惑とは思いながら、おそるおそる情報提供のお願いのメールを出してみたら、
快く回答をいただいた。

「カレー焼きは、弊社で数十年前に開発したものです。
 数年前も福岡県のたこ焼き店の方が研修にこられ、それから
 良く売れるようになりました」


ビンゴ! やっぱりそうだった。しかし、自然発生したお菓子ではなくて、
一つの会社さんが発明した商品だとは知らなかった。

掲載許可をいただくお願いを再度出したら、社長さんから、こんなすごいお話が……


数年前にも大阪の堺市に住むおばあちゃんに出会ったのですが、
なんと40年前に大分で当時一日に10万円販売したそうなんです。
しかも、カレー焼き虎の巻という冊子を作っておられて、
今でも大切に保存していらっしゃったんですね。

私は後にも先にも、そんな冊子を見せてもらったのは初めてでしたので、
冊子を見せてくれながら、昔を懐かしむ
おばあちゃんの姿に感動したことがあります。

ひょえええええ! 一日に10万円!
1個100円で売っても、1000個売上ないといけないでしょう?
それって個人商店というより工場みたいな生産体制だよ

ましてや、40年前の大分くんだりなら、物価を考えると
10円とか20円くらいの単価だろう。
そうすると、10万円売り上げるとなると、一日に5000個は売り上げないと
いけない計算になる。

きちんとした資料がないけど、その当時の九州地方は、
大卒の初任給が5000円~1万円程度くらいのはずだから、
現在の価値で言えば、一日200万円の売上があったってこと? 
文字通り爆発的な人気だったんですな。

それだけ親しまれた味だから、そう簡単に廃れるわけもないみたいで、
最近は、新規に販売をはじめるお店が出てきているらしい。

と、いうことは今回調査した地域以外でも販売されている可能性があるのかもね。
カレー焼きは、もはや「懐かしの味」ではなく、伝統の味に代わりつつあるというわけだ。

それにしても数十年もみんなに親しまれるお菓子を発明するってすごい。
単なる消費者のワガママかもしれないけど、
みんながこれだけ愛しているカレー焼き、いつまでもみんなのおやつでいてほしいよね。

それにしても、関東で売ってるお店を見ないんだけど、どこか売ってないかなあ。

このシリーズ、ミクシィでも評判だったので、調子に乗って、もう少し調べたいと思います。
だって、近くで売ってるところを知りたいし……


| | Comments (0) | TrackBack (0)

March 10, 2005

寝不足じゃあ

やっとこさ、確定申告が終わったと思ったら
(今年は昨年亡くなった親父の分も
俺がやらないといけなかったので大変)

あっと言う間に、もう三月も10日。

今月末までに校了して原稿を渡さなければいけない長編医療小説
「埋もれ行く恋」の改稿を寸暇を惜しんで急ぐ。
(校正も自分でやらないといけないから結構大変)

その間にメルマガ小説「桜の舞う空の下で」のアルファポリス版を流し、
請け負った諸々の企画の原稿や企画書を作成。

加えて、クライアント様からのお問い合わせのメールへ返信を出したりしてたら
一日なんてあっという間に過ぎてしまう。

加えて今日は、風邪でダウンしていたせいで伸び伸びになっていた
料理本の企画のプレゼンテーション用の写真
(オリジナル料理10品)をつくらなければいけない。

そんなわけで、食材を調達して、神奈川の某キッチンスタジオにこもっています。
ほんとは腕っこきのカメラマンの友人が撮影を手伝ってくれるはずだったんだけど、
他の仕事が入ったとのことで、急遽一人で全て対応。

料理は作るわ、写真は取るわで多分大変なことになりそう。

ま、二時間もあれば10品くらい考えついて、すぐに作れると思うけど
その前に少し仮眠を取った方がいいな。
とにかく、睡眠を取らないと、正常な思考が全くできなくなる人なので
借り物のキッチンスタジオを火事で燃しちゃったなんてことになったら
腹切ってもお詫びできませぬ。

とりあえず、朝まで時間はあるから、1,2時間仮眠を取って
これから気合い入れて作業に取りかかりたいと思います。

あ、できあがった料理、どうしよう。明日の朝飯にするにも
10品は多いしなあ……このブログをご覧になってくださっている方に
抽選で…なんていうわけにいかないしねえ

| | Comments (0) | TrackBack (0)

March 08, 2005

悲しみは影法師のように

今月末締め切りの長編医療小説「埋もれ行く恋」の改稿をしながら
あれこれ資料を漁る。

何しろ、大学病院の救急救命センターが舞台になる小説なので、
専門用語を使用するシーンがやたら多い。
記載ミスがないかということはもちろん、
スピード感のある文体で、救急救命の最前線で戦う医師達の緊迫感を
殺さないよう、慎重に改稿を加える。

実は、この作品は、以前、別の仕事で24時間、
高度救急救命センターに張りついて取材した体験がもとになっている。

だから多分ウェブ版を読んで下さった方から「非常にリアルだ」という
好評な感想が得られたのだろう。
(実は主人公である研修医の「真吾」を指導する
熱血外科医「中村」は、実在の医師がモデルになっています。)

ウェブ版では、あえて削ったシーンを更に加筆することで、
新たな躍動が生まれてくる。

それと同時に、この作品を産むために貴重なシーンの取材を許可して
くださったドクター達、そして取材に同意してくださったご家族の方たち
作品を世に送り出すチャンスを下さった「マチと物語り」のプロデューサー
の野知氏をはじめ、様々な方たちがこの作品を育ててくださっていることを、
ひしひしと感じている。
なにかに導かれているっていう感じかな。

もちろん、その中には、この作品のウェブ版を読みながら
巣立っていく姿を見ることなく、昨年、この世を去った父も含まれている。

人は何のために生きるのだろう。
文字を走らせる途中で、ふと考えてみる。

毎日どこかで誰かが必ず息を引き取っている。
こうしている間にも、どこかで誰かが亡くなったというニュースが飛び交っている。

ふだん私たちは、そのようなニュースにあまり関心を払うこともないし、
いたたまれないほど心を傷めることもない。

だが、その方の死に心を傷め、耐え難い悲しみにくれている人は間違いなく存在する。

私の父もそうだろう。人生の中で触れあうことのなかった人にとっては
父の死は、ただの情報でしかない。
ただ、この世で濃密な時間を一緒に過ごした私にとって
父の死は、いたたまれないほどの悲しみである。
私の生が終わる時間まで消えることはないだろう。

「本当の悲しみは、影法師のようなものさ。決して目の前には見えないし
 気付くことはない。ある時そっと振り返ると
 そっと自分に寄り添っているのに気付くものさ。
 日があたる道を歩き続ける限り、ずっとついて回るものさ」

いつかどこかで誰かがそんなことを言ってたっけ。
そうかもしれない。

その重さを背負っただけ、今はまたこの作品に
違った命を吹き込めるかもしれない。
いや、そうしないといけないのかもしれない。

そんなことを考えながら、今夜も
生まれてくる文章を走らせ続けている


| | Comments (0) | TrackBack (0)

March 03, 2005

今年もこの日が

本日、三月三日で、37歳の誕生日を迎えました松沢でございます。

毎年毎年、誕生日ってやってくるんだけど、
ここ数年はいろいろなことがあって
一日一日を過ごせることを、とても有り難く感じるようになった。

この年になると誕生日って、あんまり有りがたいものじゃなくなるんだけど
今年も一年生きることができたことを感謝できるようになってきた
というのが本当の気持ちですね。

特に一昨年、昨年と両親が立て続けに他界したり、
懇意にしていた方たちが突然亡くなったりする機会に
たくさん立ち会うこととなった。

悲しみはまだ癒えないけれど
人として生きていられる時間はいつまでも続くものではなく
春先に一瞬のうちに咲いて散る桜のように短いものであることを
学んだように思う。(実感としてね)

と、こういうことを書くと心気くさいのですが、
要は楽しい時があれば笑い、悲しい時があれば泣き、
生きるために必死にならなければいけない時は
魂と肉体に蓄えた全力を振り絞って一瞬一瞬を戦い抜く

この一年はそうありたいと思っています。

ある日の終わりに、突然、背中越しに神様から肩を叩かれて

「楽しんでる途中悪いんだけど、そろそろこっちに戻る時間だよ」
なんて言われても、あたふたしないようにね、
その日、その日の命を燃やし尽くしたいですな


淡く濃く 今日を咲きぬる 桜花(さくらばな)
  骸(むくろ)の運命(さだめ) ゆえにうつくし


出会ってくれてありがとう。そしてこれからもよろしく

 

| | Comments (0) | TrackBack (0)

March 01, 2005

料理本

諸々の原稿の締切が重なって日々徹夜。
精神安定剤が飯代わりに等しくなるくらい、食が細くなる。
なんか急に痩せてきたよ。大丈夫かなあ。まあ、もともと最近太り気味だから
大丈夫だろう。

依頼のあったウェブの原稿、コピー制作などをばたばたと片付け
月末の支払や入金確認などをすませ
某デザイン事務所の一席をぶんどり、自分の作品の改稿作業を行う。
浮き草生活ということもあってか、かなり体にこたえてるな。目がしばしばするよ

福岡の「マチと物語り」という文芸サイトで、書かせていただいていた
医療小説「埋もれ行く恋」が出版されることになったので、
ほぼ毎日徹夜して改稿しているのですが
(業務連絡:MAOさん、松沢は働いてますよ~)

以前、企画書だけ出していた料理本のオファーが二つの出版社からあった。
といっても、まだ詳しく話を聞いてみたいという段階だけどね

というわけで、徹夜明けの頭で明日は都内の某版元に行ってきます。
自分名義の単行本出すのって、そういえば2年ぶりくらいだよな。
小説ともども。本を出せるといいんだけど

ん? 料理本出すと、今度は料理ライターとしても活動が可かな?
おいしいものをいただけるのでしたら、ぜひ、お仕事頑張りましょう。あはは

| | Comments (0) | TrackBack (0)

« February 2005 | Main | April 2005 »