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December 2004

December 31, 2004

薬膳粥で過ごす大晦日

世間的には大晦日ですが、わたくしめはあいもかわらず
締め切りに追われております。

元旦の夕刻までに雑誌の原稿をはじめ、
頼まれた曲の作詞などなど文字通り目白押しですが、その後に堪能できる
お屠蘇飲み放題タイムをめざして
ここは一つラストスパートをかけたいと思います。

ところが、あららら、なんだか風邪っぽい。のどがいがらっぽいし、少しからだがだるい。
これは風邪にまっしぐら状態の体のサインですな。
フリーランス生活者は、体を壊すことが生活破綻に直結しているので、たかが風邪といっても
侮ってはなりません。

もともと僕は漢方の本を書いていたので、薬用植物や漢方薬については知識が売るほどあります。
(というか、本当に売ってるんだけどね)
漢方では、病気がひどくなる前、できれば未病(みびょう)と呼ばれる
発症する前に治療するのがベストだと言われているのですが、
このように何らかの症状が出てきてからでは、
静養するだけではまず治りません。

漢方的に薬理作用のあるものを体に入れてあげることで、症状が軽快しますので、
手持ちの食材の中で、風邪を撃退する効能を持つものを使って
薬膳粥を作ってみました。

漢方では、薬と食品の区別をつけません。ふだん僕たちが口にしているものでも、
上手に組み合わせることによって、医薬品並みの治癒効果が得られると言われています。
もちろん、たかが風邪といえど、症状がかなり進行すれば、
柴胡(さいこ)や麻黄)まおう)などといった
強力な薬理作用を持つ薬用植物を使わなければなりませんが、今の状態だったら
効能のある食品をうまく組み合わせて取れば、十分治るでしょう。

事務所の買い置きの食材と、近くのコンビニで使えそうな食材を調達してきました。

おろししょうが
日本酒
ネギ
昆布の佃煮
さんしょう(冷凍のうなぎのかばやきについていたおまけですね)
赤飯のおにぎり(コンビニで調達)


さてさて、一見なんてことない食材ですが、これを漢方の目からみると
きちんとした薬効が得られる立派な薬膳料理の食材なんですね。

しょうがは、胃の機能を高め、エネルギーを取り入れやすくする働きをもっていますし
日本酒、ねぎ、さんしょうは、体の熱を高めて発汗と体の表面に滞っている気を
払って、体調を整えてくれる作用があると言われています。

赤飯の中に含まれている餅米は、しょうがと一緒に働いてエネルギー補給に
そして赤飯の中のアズキは、佃煮の昆布と一緒にはたらいて、体の中に溜まった余分な水分を
追い出すと同時に、炎症を抑える働きをしてくれます。

漢方の面白いところで、同じ風邪でも、体質や病気の進行度によって、
薬を変えなければいけないという性質(同病異治といいます)があります。
したがって、この薬膳で必ずしも風邪がよくなるとは限りませんが、もともと炎症を起こしやすくて
ふだんから水分ばかりほしくなる体質から考えると、おそらくベストな組み合わせでしょう。

では、さっそく調理

片手鍋に日本酒と水を半々ずつ適量入れ、おろししょうがを加えます。

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コンビニで調達した赤飯おにぎりをいれ、弱火にかけます。

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おにぎりがお粥状になったら、昆布の佃煮をいれます。


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仕上げは、みじん切りにしたネギとさんしょうを少し加えてできあがり。
病気の療養のための食事ですので、塩味は
昆布の佃煮だけでまかないます。

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できあがり。いかがなものでしょうか
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早速試食タイム。あっさりとした感じですが、食べてるうちに体が温まってきて、
汗がどんどんでてきました。どうやら見立ては間違ってなかったようです。
30分ほど仮眠を取って、風呂に入ったら、肩の強ばり感や喉の違和感もすっかり無くなってました。
どうやら無事に乗り切ったようです。
仕事とはいえ、お正月は元気で迎えたいものですからね。
風邪の時だけでなく、冷えやすいこの時期、体を芯から暖めるのにはもってこいの料理です。
機会があったらぜひお試し下さいね


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December 26, 2004

クリスマスを過ぎて

東京に戻ってきたとたん、仕事の戦線復帰。
取材&原稿書きであっという間にクリスマスが過ぎてしまいました。

23日が祝日でしたから、24日はおやすみを取って、4連休にして
どこかお出かけなんて方も多いのかもしれませんね。
僕は、教会へ礼拝も行けず(一応クリスチャンなので)仲間うちと仕事が終わった後に
いただきもののシャンパンで乾杯しただけで、クリスマスが終わってしまいました
(相変わらずさみしいのお……)

世間様がおやすみの時に働くのがクリエーターの常。
携わってるジャンルを問わず、クリエーターはこの時期、仕事をしてる人が
圧倒的に多いです。今年も、どうやら仕事をしながら年を越しそうですね。
もともと、仕事のない日は、万年日曜日みたいな部分があるから、それも仕方ないんだけどね。

とはいえ、忙中閑あり。空いた時間に自分の作品を書いたり、
弟の作曲家Reijiとコラボユニットとして活動する計画を立てたりと、
仕事の中に遊び心を織り交ぜながらぼちぼちと活動をはじめております。
(詳細は、年明けにでもお知らせさせていただきますね)


そうそう、9月にこのブログで書かせていただいた児童小説
「小さなつばめとりんごの木」ですが、公開して3ヶ月の間に、
実にたくさんの方からご意見やお便りをいただきました。

「子どもが寝る前に読んで聞かせてます」という
メールを下さったお母様や、HRの時間に朗読劇として
クラスのみんなにこの作品を伝えてくださったという
中学生の生徒さんたち。

友達から英訳・仏訳してもらって、この作品に触れて感動したという
メールを下さった方などなど実にたくさんの反響があって、
僕自身、大変驚いています。

昔、書いた作品をガリ版で刷って、みなさんに配って読んでもらっていた時代を
思い起こすと、素晴らしいコミニュケーションツールが出てきたものだなあ、と思います。

さて、作品に関する感想をいただく中で、
「どうしてこのような作品を書こうと思ったのか?」という
メールをいただくようになりました。

大人向けのエンターテイメント小説を主に書いていますので、
以前から僕の作品に触れてくださっていた方の中には、
「どういう風の吹き回しだ?」と、首を傾げられた方も
いらっしゃるのではないでしょうか?

無名な物書きのきまぐれと言ってしまえばそれまでですが、
この作品を書こうと思ったのは私たちが、気付かない間に殺伐とした空気に
染まって麻痺してしまっていることを危惧したからです。

今年は、イラクで戦争があり、多くの子ども達が犠牲になりました。

イラクだけではなく、私たちの住む日本でも、心ない大人達の手によって、
多くの子ども達が貴い命を落としたり、当然とされる保護を受けられずに
虐待を受けるという事件が当たり前のように聞こえてくるようになりました。

安全で豊かと言われる日本ですら、この有様ですから、
政情が不安定な国や、経済的に不安定な国などに生まれた子ども達が
おかれている状況は、推して知るべきでしょう。

悲しいことですが、私たち大人は、幼い者や無抵抗な存在を慈しみ、
いたわる気持ちを失ってしまった上に、
その状況にすら気づかなくなってしまっているように
思えてなりません。

「よその家の話じゃないか」
「よその国のことじゃないか」
「俺には関係のないことだよ」
「私の知ったことじゃないわ」

残念ですが私たちの身の回りに、
そのような心の声があふれているのは
否定できないと思います。


「俺には関係のないことだよ」
「私の知ったことじゃないわ」

本当にそうでしょうか?
このまま現在の状況がエスカレートして、
自分以外の存在に関心を全く払えなくなってしまったとしたら
本当に私たちはそんな潤いのない社会の中で
生きていけるのでしょうか。

心のつながりが全く持てなくなるということは、
人とのつながりが完全に
遮断されてしまうということでもあります。

つまり、僕たちが当たり前の存在と感じている、
友人や恋人はもちろん、
血のつながった両親や兄弟という存在さえも
失ってしまうことになるのではないでしょうか。

見ず知らずのお子さんに手を差し伸べ、暖かいミルクとパンを差しだし
抱きしめてあげろとは言いません。

でも、どんな些細なことでもいい。
今の自分にできることを何か一つ心をこめて誰かに与えることで、
希望の光すら見いだせなくなりつつある現状を
少しでも変える可能性が生まれるのではないでしょうか。

僕自身、売れない物書きですから、お金ももっていませんし、ましてや、
社会に対してアピールする力ももっていません。
あまりにも非力な存在ですから、おそらく、
呆然とするような現状を何一つ変えることはできないでしょう。

共感してくださる出版社さんがいらっしゃれば、本にしていただいて、
印税を有効に役立てるチャリティ企画などといった企画が
可能になると思うのですが、現時点で僕がもっているコネクションでは
難しいのが現状です。

(少子化で、お子さんが減っていることもあって、
児童書はなかなか売れないため僕のような実績の無い無名な作家の作品は、
なかなか本にはなりにくいんですね)

でも、それでも何かを伝えたい。
一人でもいい。誰かにこの祈るような気持ちを伝えたい。
祈るようなこの気持ちが誰かの心の中で枝葉を張って
まだ見ない誰かをいたわってくれる木陰を作ってくれたら……

そう思って、ネットで公開させていただくこととした次第です。
この作品は、いわば、読者の方に渡す「僕の魂のバトン」です。
そう考えていただけに、多くの方にこの作品が届きはじめていることを
知ることができて、とてもうれしく思っています。

このおはなしは、読んでいただくとわかるように、
誠心誠意、幼い者のために尽くした主人公が
何の見返りも与えられることなく、最後に命を落としてしまうという
残酷で非常な結末を迎えます。

ですが、読後に不快感が残る方はいらっしゃらないのではないでしょうか。
それは、私たちに備わっている母性や父性といった、
自分の身をやつしても幼い者を慈しむという気持ちが
喚起されるからだと思います。


今後、出版化などの話がでてくれば状況は変わるでしょうが、
それまでは、このままこのブログで
公開し続けたいと思っています。
(第一稿を書いた後、ほったらかしなので、できるだけ早く第2稿を
仕上げたいと思っていますが、少しお時間をください)

この作品に触れた方の心が潤い、自分以外の誰かをいたわれる
穏やかな気持ちで世の中が満たされる
ことを心から祈っています。

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December 20, 2004

年末進行のさなか

昨月亡くなった父の四十九日の法要の準備のために、
福岡に来ています。
と、いっても明日には東京に戻るので、原稿をお待ちいただいてる版元様、
広告関係者様、その他クライアント様、こちらでも作業を進めて、逐次メールにて
原稿をお送りさせていただきますので、ご安心くださいね。

ばたばたする中、あらためて気づいてみると、今年もあと10日あまり。
振り返ってみると、今年は、仕事の面でも色々な出来事の多い一年だったと思う。

従来の広告関係のお仕事はもちろんですが、雑誌媒体の記事原稿書きや単行本のプロデュース
ラジオドラマの脚本などのエンタメ関係のお仕事と、様々な分野の新しいお仕事をいただいた一年でした。

うれしいことに、ほとんど放置状態の(いかんがな)HP掲載の駄文を御覧いただいて、仕事のオファーをいただく
ケースが増えてきました。事実、ネットがきっかけで、新しいお取引をいただけるようになった
版元様やクライアント様も増えましたしね。ありがたいことです。

実績・実力主義で業界が動いているので、文章を書く仕事は、
実績が無いと、なかなか新しい仕事が回ってこないという
現状があります。
長年手がけてきたコピーライターの仕事や雑誌記事・単行本のプロデュースですら、
大した実績は上げていませんが、こと小説や脚本などといったエンタメ関係の仕事は
まったくと言っていいほど、実績がないにもかかわらず
お問い合わせをいただくのは、ありがたいことです。

今年は、体調は崩すわ、肉親が亡くなるわで体勢が崩れてしまいましたが、
来年は、自分の作品や単行本も世に送り出せるように
頑張っていきたいと思いますので、よろしくお願いします。

それから、今年、松沢の作品に出会って、HPに通ってくださるようになった方、
そして、HP休止中もずっとHPに通ってくださった方、本当にありがとうございます。

体調を崩してお休みをいただいた時、また、父が亡くなった時も、
多くの方から応援とお悔やみのメールをいただきました。
まだ全ての方にお返事を返せていないのですが、きちんと全員に自分の言葉でお礼の
お返事を差し上げたいと思いますので、少しお時間をください。

心身共に参りましたが、おかげさまで充電もできましたので、
来年は年明け早々、新たな活動を開始したいと思いますので、応援してくださいね。
(メルマガもできるだけちゃんと流すし…(冷や汗)

なんか、こんなことを書くと、今年はもう更新しないみたいですが、
まだまだ後10日もありますので、逐次何らかのコンテンツを更新していきます。
今年一年、残りわずかとなりましたが、お付き合いいただければ幸いです。では 

福岡にて  松沢直樹 拝

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December 11, 2004

二河白道

いつのまにか、うたた寝してしまっていたらしい。
斎場に戻ってきた弟に起こされた。

「少しは眠れたか?」
「意外なくらいね。やっぱり気が張っとったんやと思う。それより兄貴、仕事はいいんか?」
「こんな時に悪いね。清書してメール出すだけやから、7時までには戻ってくる」
弟の言葉に甘えて交代し、斎場を出て実家へ向かう。

斎場を出たとたん、ようやく白みはじめた、底冷えのする乾いた空気に包まれる。
故郷の晩秋は、こんなにも寒かったのか。
父との距離も遠のくはずだ。
子どものころ、学校に通った道をたどりながら実家へ向かう。
街まで老いて見えるのは、あのころより、目線の位置が50センチ以上も
高くなったせいだけではないだろう。

書き上げた手書きの原稿を、淡々と清書し、複数の出版社やクライアントに送る。
「締め切りは厳守するが、葬儀のため、連絡が取りにくくなる」ということを付記しようと思ったがやめた。

プロとして仕事に関わる以上、所詮、私情だからだ。

手書きの原稿を実家に残し、再び斎場に戻る。
店屋物ばかりでは飽きるだろうと、年老いた叔母たちが、朝食を作ってきてくれていた。
ありがたかったが、ひしひしとこみ上げてくる父の死の実感に押されて、喉を通りそうもない。
早々に礼服に着替え、喪主として弔問客を迎える準備をする。

沐浴・香炉・入棺
告別式は昼の一時からなのに、父はまるで、ゆるやかな川の流れに身をまかせたように、
あちら側の世界へ送り出されていく。
弔問客に挨拶をしているうちに、あっという間に告別式の時間が訪れ、ほどなくして、火葬場へ向かう時間となった。

「本日はよろしくお願いいたします」
「精一杯務めさせていただきますので、こちらこそお願いいたします」

父と同じ年頃の霊柩車の運転手さんに挨拶し、助手席に乗り込む。
弟は、親戚を引率するために後続のマイクロバスに乗ることになった。
こんな時に、父と同じ年頃の人と二人きりになるというのも、不思議なものだ。
車窓を流れる故郷の空は低く、重い。

灰色の雲と、複雑な思いを後ろに送りながら、車は進む。

火葬場に着くと、職員の方がすでに待機していた。
手際の良さに唖然とするくらいのスピードで、父は別に運ばれていった。
後続のマイクロバスが到着するのを待って、父の柩の後に続く。

「このスイッチを押すと、ご遺体とのお別れになります。
 お名残惜しいことと思いますが、どなたかお願いできますでしょうか」

参列した全員で焼香した後、父の柩を炉の中に移す。
おずおずとした声の職員の方の呼びかけに、無言で前に進み、合掌する。

無言で合掌した瞬間、あることが胸をよぎった。
母方の祖父が亡くなった時のことだ。
私が初めて人の死に立ち会った日のことだ。

「のう、直樹、人というもんは、いつ死ぬか分からんもんじゃのう。
 じゃけん、毎日を精一杯生きていかんといかんのやな」

実の父の突然の死に号泣する母と、まだ幼かった弟の肩を抱き、
父は微笑みながらそう言ったのを覚えている。
あの時、父が私に何を伝えたかったのか、わからなかった。

たぶん、大人の階段を昇りはじめた私を、一人の男として扱いたかったのだろう。
そして、「精一杯生きていってほしい」という願いを、言葉の中にこめたのだろう。

だから、「俺も骨になった時は、よろしく頼むぞ」と、骨上げの時、私だけに耳打ちしたのだろう。

結局、生きてる間は何もできなかったが、せめてあの日の約束を果たそう。

「親父、枕元にギターの弦をワンセット入れておいたのわかるか?
 あの世に行ったら、先に待ってるおふくろにブルースでも聴かせてやれよ」

2年前、母が亡くなった時に父が押したボタンに手を伸ばす。
想像以上に重いボタンを強く押し込むと、機械が動いて、父は炉の中に消えていった。

「あばよ、親父、まあいつかまた会えるから、またその時までな」

そう心に念じた後に、合掌を解いた。
一時間ほどの後、骨になって骨壺に収まった父は暖かく、いつまでも膝の上で重かった。

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December 05, 2004

寒風

福岡空港から、一路、実家のある北九州へ。
一時間ほどバスに揺られた後、高速のインターチェンジを降りる。

関東と違って、一足早く冬の訪れた福岡は
頬をなでる風がつめたい。

インターチェンジの食堂で、地元名物のうどんとかしわめしのおにぎりをいただく。
こんな時に腹が空くほど、僕は神経が図太かったのだろうか
いや、たぶん、腹が空いてるのではなく、気持ちを整理したいのだろう。

ちょうど、喫煙癖のある人が緊張するとタバコを吸うように
何か「生」を感じられる行為を通して、自分が生の世界にいること、そして
父が、自分の住む世界とは、反対側の世界に渡ってしまったことを
理解したかったのかもしれない。

携帯で弟と連絡を取ると、父は既に病院から斎場へ連れてこられているようだった。
どぎまぎする気持ちを押さえて、インターの外で客待ちしているタクシーを拾う。

「お客さん、見慣れん顔ばってん、里帰りかね? おうちはどこですか?」
「いえ、斎場の方へ向かっていただけますか?」

僕の言葉を聞いて事情を察してくれたのだろう。タクシーの運転手さんは
無言のまま車を出してくれた。

「あの? お代は?」
「よかたい。さっきは無粋なことば聞いたけんね。おっちゃんの気持ちたい。
 それより早く行って、仏さんに会ってやらんね」

代金を頑として受け取ろうとしないタクシーの運転手さんと押し問答するが、
お言葉に甘えることにした。この街は、都会ではとうに無くなってしまった心が生きている。
ありがたい。タクシーを黙礼で見送ると、斎場の中に入る。

「おお、よう帰ってきたな。残念やけど、お父さんの死に目は結局誰も会えんかったばい。
 顔を見たらわかると思うが、大往生やったと思う」

僕が、遅く駆けつけてきたことを、苦にしないように気遣ってくれたのだろう。
一番年上の叔父が、涙をこらえながら、そう言ってくれた。
叔父にしてみれば、たった一人残った男の兄弟が亡くなったのだ。祖父母も自分の妻も亡くした
叔父にしてみれば、耐え難い痛みが胸を刺しているのだろう。

すっかり年をとってしまった他の叔父叔母に挨拶をしながら、斎場の和室に眠る父に会いに行く。

20畳ほどの広い部屋の中、父は弟に付き添われて真新しい布団の上に眠っていた。
「ここまでよくやってくれた。辛かったね。ありがとう」

気持ちがほどけて、泣くじゃくる弟に丁重に礼を述べた後、父の頬に触れてみた。
まるで眠っているようにしか見えないが、父の肉体には、もはや「生」の息吹はない。

父は、本当にこの世を去ってしまったのだ。
それでも僕は、自分の心に沸き上がる物が何もない。
全てが膜を張ったように感じられる。現実感がまるでない。

別に今日に始まったことではないが、この日ほど自分の麻痺してしまった心が
恨めしいことはなかった。

続々と訪れる弔問客に、丁重にご挨拶をしているうちに、日が傾いていく。
深夜に傾くころになると、年老いた叔父叔母が一旦、帰ることになった。

「お前も帰って寝てていいぞ。明日は大変だからな。俺は、ここにいて、親父を看ながら
 一晩を過ごすから」

疲れが見える弟を実家に帰らせると、父といよいよ二人きりになった。

冷蔵庫にあった、冷や酒を一本だけ空ける。

「親父、ご苦労さま。まあ、飲もうか」
あれだけ好きだったのに、父は酒に口をつけることはなかった。

「親父、飲まないんなら俺が飲むぞ。それから悪いけど、仕事があるったい。
 ここでやってもいいかな?」

 こんな時でも、仕事の締め切りはやってくる。プロの宿命というものだ。
 文机を一つ借りると、プリンター用紙の裏紙に、原稿を書く。
 明日、実家のパソコンで清書してメールで送れば、締め切りには間に合うだろう。

 それにしても、手書きで原稿を書くのは何年ぶりだろうか。

 おそらく手書きの原稿はこれが最後になるだろう。
 そして、きっと生涯忘れられないものになるだろう。

 しんしんと冷え込む中、何度か父の掛け布団の位置を直す。
 ちびちびと日本酒を傾けながら、筆を進めたが、やはり枚数は進まなかった

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